F-nameのブログ

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失意。

就職がどこにも決まらない時。履歴書や職務経歴書を一つ一つ作成し、面接を受けるのは楽ではなかった。微妙なところは受ける会社によりカスタマイズcustomizeしないといけないし、面接会場に行くのも大変。落ち続けていたので、今度もダメなのかなあとも考えてしまっていた。人生全体で選考に落ちた会社は、100社を超えるのではないかと思う。まあ今の会社に勤めることが出来ているので、数多くの失意も挽回出来たのではと感じるけれど。

 

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また物を無くす。

今度は眼鏡を。枕元の眼鏡ケースに入れて置いたのだけど、寝相が悪かったせいか眼鏡が脱出してしまう。部屋を探しても出てこない。無いと仕事に差し障りがあるので、職場と同じビルにある店で眼鏡を購入する。1諭吉は痛い出費だけど。目覚まし時計やiPhoneのように意外なところから出てくるかもしれない。ううみゅ。まあスペアはあった方が良さそう。

総論3・時間と政治(日本政治思想史第3回)

無責任の体系、という印象を持ってしまうのは何故だろう?

 

政治は下から上への奉仕。天皇は支配の主体とはならず、奉仕する側に回る。天照大神。独裁制とはならない?一神教とは異なる。日本固有の政について、主体はない?普段に流れる時間ではないか?鍵となるのは「おのづから」「いきおい」「なりゆき」という大和言葉。丸山眞男。72年「歴史意識の古層」執拗低音。思考の枠組み。記紀神話で用いられる大和言葉に探る。「つくる」「うむ」は他動詞。「なる」は自動詞。時間の経過とともに「なる」。記紀では強い。古事記の冒頭。天地の初めの時。歴史意識の古層で。普段になりゆく世界。「おのづからなる」。「なった」神。次々になりゆく勢。「おのづから」。古層に対する批判も。必ずしも自明ではない。丸山眞男が作り出した虚像?49年。「軍国支配者の精神形態」。東京裁判の被告の供述。「なりゆき」の論理。現実という作り出されてしまったもの、どこからか起こってきたもの、と考えられている。現実は過去から流れてきた盲目的な必然性として捉えられる。60年安保闘争。新安保条約の批准案が強行採決して自然成立。時間の経過とともにおのづからなってしまった。時間の流れに逆らうことが出来ず、急速にしぼんでしまった。11月自民党296議席。一つの深刻な挫折。何故?古層に向かわせる一つの契機。Europaと中国。規範的な政治哲学が確立。原理的なものへの指向性。古代ギリシアのプラトンのイデアから。朱子学。「理」という概念。日本では?儒学が盛んに。朱子学者は「理」への嫌悪。懐徳堂。富永仲基。「翁の文」。今の食べ物などを食べたりする、こういうことが道。あらゆる規範は相対化される。身も蓋もないけれど。驚くべきこと。明治にも受け継がれる。明六社。加藤弘之。「天賦人権論」。生まれながらにして自由平等。幸せになる権利を有する。数年後加藤は、「社会進化論」へ転向。時間と共に進化する。優勝劣敗な社会を肯定。究極目標はない。古層は進化ではなく無限の進歩。進化、今が無限に継続する。皆社会進化論を受け入れる。「いきおひ」とも親和性がある。原敬。政治を哲学と科学とから外し、奇形的政治家。吉野作造。
折口信夫。天皇というのは時間の外にあり、時間を支配?天武天皇、桓武天皇。遷都。平安時代からは天皇も時間に支配されていった。明治維新。一世一元の制。中国にならい、元号が変わらない。神武天皇即位紀元。皇紀。40年、神武天皇が即位して2600年。天皇が時間を規定する。72年から85年にかけて六大巡幸。馬車が多く用いられる。止めたい時に止められる。90年以降、鉄道網が整備。鉄道による行幸。ダイヤグラムが絶対に。スケジュールが分単位に。天皇も従わなければならない。天皇は独裁者になりえない。止められない。時間によって支配される構造。昭和になると時間支配が更に進む。37年。日中戦争。近衛内閣。国民精神総動員運動。全国民黙祷時間。参拝をした時には一斉に同じ姿勢をとるように。42年。4月25日。靖国神社で臨時大祭。戦死者を合祀。10時15分、全国民黙祷時間。同時に黙祷していると想像している。アンダーソンの想像の共同体の成立。45年8月14日。玉音放送。全国民がラジオの前に。天子として振る舞おうとした。上から下への数少ないケース。内容は?2015年に公開された原盤。ポツダム宣言の受諾への経緯。8月10日、最高戦争指導会議で聖断を下す。世界の大勢、が2回出てくる。何故?降伏の決断が世界の大勢から正当化される。耐え難きを、耐え、忍び難きを、忍び。単なる棒読みではない。安岡正篤。時運の赴くところ?時間支配が入り込んでしまっている?
次回から各論に。江戸時代から。

 

日本政治思想史 (放送大学教材)

日本政治思想史 (放送大学教材)

 

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落胆。

現役時の共通一次試験(今で言うセンター試験)で失敗したこと。何処の大学や学部を受験しようかと迷い、勉強が手につかなかったので、当然といえば当然だけど。国公立大は、その年に限り試験前の出願だったので受ける大学の変更が出来ず、私学にも願書を出してなかったので、事実上浪人が決まってしまったと落胆した。結構暗くなってしまった。今では浪人したことで成長したと思っているけれど。落胆を償うのも人間としてのダイナミズムdynamismなのかもしれない。

 

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今日は休日。

今日は休日。良い天気。前日の夕方から朝にかけては冷えたけれど。おかげで目覚まし二機体制でも少し寝坊する。

所用で高槻に行く。まあ自宅も高槻市の内だけど、中心地の意味で使う。待ち時間は読書に充てる。

リンガーハットで野菜たっぷり皿うどんを食す。一応は麺が入っていた(笑)

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毛布を干す。暖かくして寝たい。

国と地方の教育行財政改革(日本の教育改革第3回)

国や都道府県、市町村の関係はややこしい。都道府県や市町村で現状が違うだけに尚更。ナショナルミニマムも確保しなければならないのだから。

 

義務教育学校の教育行政制度。
どのような仕組や特徴を?教員は?身分上は市町村の教育委員会。採用は都道府県、費用は国が3分の1、都道府県が3分の2。等しく教育を受ける権利を。基準や教員配置、学習内容などの基準を。ナショナルスタンダード。格差の是正。市町村に負担させる場合、財政力の弱い自治体に人材が集まらない恐れが。義務教育費国庫負担制度。三位一体改革。人事配置も都道府県。人材の偏在を防ぐ。人事異動のルールを形成。県費負担教職員制度。meritはあるが運用に確執や問題が。少人数学級の導入の問題。費用を全額市町村が負担することに。地域に根ざした人材を養成出来ない問題も。英語力の研修。教育行政の分権改革。
2000年以降の分権改革。学級編制。1学級あたり何人にするか?長らく文部省は40人で法律で定めてきた。自由度の拡大は06年から都道府県の判断で出来るようになる。市町村が自由に学級編制基準を定められるようになる。地方の自由度の拡大。90年代以降の地方分権改革。新しい学力の養成の為。出口管理型の教育行政に。従来は入口管理、プロセス管理。00年前後からは出口での結果の重視。学力テストも広がっている。第三者評価の導入。PDCAサイクルの重視。教育振興基本計画。策定と検証。出口管理型の要。
出口管理型への移行と評価。縛りが解かれる。予算の関係。自治体がデザインできる。横並びの国の統制は不可能に。現状追認型に。良い工夫を広げる為の国の補助金。地方自治体は証明の責任を。成果についての説明責任。独自の新しい施策が。出口管理に。ニーズは現場に近いところから。検証重視に。
00年以降の地方分権改革は?自治体の課題は?市町村の段階では途上?義務教育の制度。互いの抑制と均衡。調和的にするにはガバナンスも必要。責任所在がはっきりしないことも。エネルギーを使うことも。自律的に使おうとしているとストップがかかる。最小限の機会均等。市町村の競争。地元の教育の質の問題。選択的な権限移譲。プラス面とマイナス面がある。どこまでの地域の中で、どこでいっても均一な教育。一見矛盾している。指導主事の問題。それぞれの役割を。上手く使いこなす行政手法が課題。無条件の移譲は疑問。中小の自治体への援助を。
県費負担教職員制度の問題。人事権は建前は県の教育委員会、実際は市町村が多い。自治体の格差の問題。教諭にはライフプランを示すことが必要。年齢による役割。不公平感を持たれないように。採用人事をどうするか?可能な限り市町村で採用をするべき?一律に人事権移譲をするべきではない?人材確保の必要もある。給与費用負担の問題も。

 

日本の教育改革 (放送大学教材)

日本の教育改革 (放送大学教材)

 

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蔑視。

女性蔑視が止まない。某医学部の点数操作には愕然とした。統計を見る限り他でもしている模様。女性の場合結婚や出産といったライブイベントlife eventがあるけれど、工夫次第で同じように働いてもらえる環境は作れるのではと思う。だいたい大学入試で点数を操作すること自体、究極の女性蔑視とも言える。社会の意識を抜本的に変えるしかなさそう。特に男性側の。まあ大昔に比べたらマシになってきているのかもしれないけれど。

 

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