F-nameのブログ

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不正直。

キリスト教などの宗教では、神や仏に対して正直であれと宗教者から説かれる。というか、そうでないと宗教関係者にとって都合が悪い。昔から多くの地域に於いて、牧師などの宗教者は信者からのプライベートな相談を受けることが度々ある。要は悩みの解決をしなければならない。そんな場合に事情を正確に把握しないと、上手く解決に導くことが出来ない。包み隠さず話しをしてもらうことが必要で、その根拠として神や仏に正直であれ、という教えが援用される。要は宗教関係者の都合、という側面があることは認識しておくべきだろう。そもそも人間関係において100%正直であっても問題だろう。自分の思う通りに人に悪口を言ったら周囲から排除されるだけである。

8月6日。

今日8月6日は、広島で人類初の原子爆弾投下があってから74年目になる。差し当たり投下時間の8時15分に黙祷をする。子供の頃に「はだしのゲン」を読んだ。その物語の中に、原爆投下の1年後、平和のハトよー、などと浮かれてパレードをしていて、反感を持った人達が叩きのめす描写がある。子供の頃はパレードの人間が馬鹿だとしか思えなかった。今にして考えると、GHQの影響下で、浮かれた感じでパレードをするしか無かったのが分かる。今でもアメリカ批判を控える雰囲気はあるのだろうか?

環境問題を捉える(現代を生きるための化学第1回)

公害などの環境問題に直視する必要がある。私は被害者であると同時に、加害者でもあるのだから。

 

化学を通じて現代を。時代の糸口。環境、生活、生命。開発や発展の過程での環境問題など。関連する現代化学についての。基礎知識と原理の習得。オゾン層破壊。オゾンホール。地球温暖化。大気中の二酸化炭素の増加。化合物の性質まで。課題の本質を把握。原理と合わせて理解する。大気環境。水を通しての。飲料水の安全。放射線や高分子。生体分子や薬。分子の形に踏み込む。
森林破壊や光化学スモッグ。生物多様性。環境問題は多種多様。物質に関する。問題の規模と性質。環境基本法と環境技術。大気汚染。空間的時間的な広がり。大気、水質、土壌の汚染。加害者や被害者は。国境を超える問題。大気汚染。光化学スモッグ。大陸規模の大気汚染。汚染物質が大陸規模で。越境汚染。黄砂。人工的なものだけではない。ヨーロッパ。酸性雨による生物の被害。硫黄酸化物。関係国の対策。資源。次世代や数百年続くことも。被害者であると同時に加害者でもある。コモンズの悲劇。空気、海など共有の資源。使用に責任を持つ人が居なく、被害は全員に及ぶ。地球規模の問題。地域規模の。光化学スモッグ。ロンドンやロサンゼルス。途上国でも問題に。日本の公害。環境基本法。典型七公害。内容も重要。足尾銅山鉱毒事件。四大公害病。排ガスで国有林が荒廃。洪水の原因に。鉱毒水が水田に。公害は被害者と加害者がはっきりしている。発生源が特定出来る。
環境基本法と環境基準。公害対策基本法を継承。環境省のサイト。環境保全。責務。負荷の少ない持続的発展。条文を読むこと。生きる時代を考える材料に。環境基準。維持されるのが望ましい。リスクを知ることは難しい。毒性の評価。人体実験は倫理的に許されない。科学的な知見に基づく。大気汚染物質の危険値。
大気汚染。16年。550万人以上が大気汚染で亡くなる。半分は中国とインド。PM2.5。光化学オキシダント。窒素酸化物。揮発性の有機化合物。光化学反応。炭素水素酸素。酸化性物質の生成。光化学オキシダント。人体への影響。喘息や花粉症などのアレルギー。窒素酸化物やVOC。環境基準。PPM。100万分の1。単位ではなく比率。%の中間。空気の中の物質の量。モル。1モルの中に含まれるアボガドロ数。数値も大事。1モルの体積は24.8。とてつもなく沢山の分子。汚染物質を繰り返し取り込む。今吸っている空気は安全か?各地の大気観測データ。そらまめくん。測定局数。東アジア地域についても。大気観測の現場を。千葉市の環境情報センター。常時監視。環境監視。二酸化硫黄など。自動車排気ガスの規制。

 

現代を生きるための化学 (放送大学教材)

現代を生きるための化学 (放送大学教材)

 

 

不幸。

不幸なこととしては、親族や親しい人間と死に別れることが第一に挙げられるのではと思う。けれど、私個人としてはそのことをあまり不幸とは感じていないような気がする。アルコール中毒の絡みで親族を亡くしたことはあるが、覚悟はしていたのでdamageは小さかった。大学在学時には友人を2人自死で失い、ゼミの恩師も病気で亡くなられた。それらの時も不幸だとは感じてはいなかった。そもそも亡くなった当人が一番の不幸なはずだし、その分までしっかり生きなければと無意識に気が張っていたのかもしれない。まあ薄情なのと外見上はあまり違わないけれど。

高槻まつり。

一昨日と昨日は50回目の高槻まつり。街中が浴衣姿で溢れていた。高度経済成長期で衛星都市として人口増加が続いていた、高槻のアイデンティティの確立を狙いとしている。私も子供の頃は夕方から出かけていって屋台を巡ったりしたのを記憶している。

今年は一昨日にディズニーパレードがあって大盛り上がり。着ぐるみの中の人は暑くて大変だったと思うけれど。去年は地震でパレードが中止になったので、そのリベンジrevengeも果たせて良かったと思う。例年だと夏の区切りになるのだけど、今年は夏らしい天候になったばかり。花火を見るのも良さそうだし映画も観たい。夏を満喫する余裕があれば良いのだが。

生成する文学と、その眺望(日本文学における古典と近代第1回)

恐らく日本文学は世界の国民文学の中でも多様性に富むのだろう。読み切れないけれど、トライする価値はあるかも。

 

この講義の趣旨。日本文学の全体像。1300年の長きで非常に多くの作品が。視点の絞り方によっては全体像がつかめるかも。作品はそれぞれに新しい。ひとまとまりとしての作品群。相互の関連を。作品が誕生した後も読みづがれて古典に。時代を切り開く展開性。古典と近代。在るジャンルの作品を紹介して系譜を。構成層として成り立つ。発展学習として作品を読むことを。読書の範囲を広げる。文学ジャンルとは何か。その出発点。系譜が存続していくのか。ジャンル別に概観。ジャンルとは何か。文学作品には多様性と重層性がある。ジャンルによる分類は有効か?複眼的な見方が多元性を。文学作品への理解を。古典と近代。趣旨と方法論。
日本文学史。不思議さ難しさ、蓄積、集約、浸透のダイナミズム。基準作。文学史の不思議。文学史のダイナミズム。古代から近現代までの作品の蓄積をどう考えるか。年代順に並んでいるのが編年体。作品のスタートライン。文学史の幾つもの不思議さ。同時代に書かれた作品だけが文化状況を代表するのではない。10年台で最も深く読まれた作品は、漱石であったり龍之介かもしれない。毎年新たな読者を獲得する。新作より大きな影響を。近代の古典。多くの歌集が出版。斎藤茂吉の赤光。近代以前にはもっと大規模に。古今和歌集が最も読まれた。源氏物語や伊勢物語。徒然草。現代に至るまで読者を持ち続ける。まさにその作品を読むという意味で、現代文学。多くの読者を持ち続けた古典。後の時代の作品が、古い作品に影響を。時間を巻き戻すのは不可能な筈。逆転現象が往々にして起こる。徒然草。兼行によって。主題やメッセージについて様々な学者が。しかし書かれてから100年の間は注目されなかった。正徹物語が注目。やがて応仁の乱を背景として、当時の連歌師に読まれる。江戸時代において、徒然草は人生教訓に変化する。時代によって古典の主題が変化する。もののあはれ、という主題。紫式部の意図と同じ?判定は難しい。宣長によって新しい源氏物語が誕生。本質の変貌。伊勢物語。女の具体化がなされた。古い時代の作品を取り込んで書かれた新しい作品が、かえって有名になる。香炉峰の雪。最初に連想されるのは清少納言が。白楽天は思い浮かぶことが出来ない。禅智内供。芥川龍之介の鼻。元作は龍之介の。古典とは、現代文学となって初めて命脈が保障される。発見されたのは成立から600年以上たった後。更級日記。大正時代になって正しい順序に戻り、名作に生まれ変わった。大正文学でもあった。文学史は不思議さに満ちている。
文学史のダイナミズム。蓄積、集約、浸透。蓄積とは数多くの作品が残ってること。個性的な作品を楽しむ。集約、再編集する創造的な行為。アンソロジーの編集。古今和歌集。小倉百人一首。源氏物語は様々な作品を集約。湖月抄。浸透。多くの人々に行き渡る。蓄積を多くの人が。現在は過去と未来の結び目。詩歌や小説だけでなく、文学史そのものでも言える。キーンの「日本の文学」。英語で書かれた。63年に翻訳。60年代は日本文学が世界文学を目指して飛び立ち始めた。三島由紀夫や安部公房など。世界文学を踏まえて。源氏物語を世界の作品と響き合わせる。

 

日本文学における古典と近代 (放送大学教材)

日本文学における古典と近代 (放送大学教材)

 

 

誤解。

以前居た職場で、女性の同僚が困っているのを見かねて手伝ったことがある。それは良いとして、その同僚の方は自分に気があると思われて、やたらとモーションをかけてくるようになった。私は全くその気がないので、誤解をされていたのだけれど。誕生日にはプレゼントを渡された。何故知ってはったのかは分からないけれど。お返しをするのに百貨店を彷徨ったことを覚えている。そうこうしているうちに、相手の熱が醒めた模様で、モーションはかけられなくなった。恋愛関係に持ち込むことが出来たかもなので、惜しかったかもしれない。そもそ恋愛関係なんて双方の誤解から芽生えるものかなと考えている。