F-nameのブログ

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謙虚さ。

今でこそ名の知れた企業で働いているが、だからこそ謙虚さは必要。小売業なので、お客様に謙虚な姿勢で向かい合うのは店員として最低限のことである。会社によっては、社員に謙虚さが欠けていることがある。下請会社に対し横柄な態度で応対している人間が大半のことが。酷くなると顧客に対してさえ。得てしてそんな企業は業績が悪化することが多い。周囲のステークホルダーが悪く反応する結果に起因するのだろう。まあ営利企業は厳しいもの。問題なのは、そういう企業がリストラをする時に、横柄な人間に限り対象から逃れることである。憎まれっ子世に憚る、なのだろうか。

台風一過。

台風一過。今日は晴れているけれど、それほど気温は上がっていないかも。

昨日は従業員が来れないので急遽店舗が休業になり、自宅でダラダラとネットサーフィンを。夕方になってから雨風が強くなったが、大過なく無事だった。交通機関にかなりの影響が出たり避難をした人は多かったけれど、死者お一人が出た以外は大した被害も無かった模様。予め台風が来るのが分かっていたことが大きかったと考える。戦後暫くは台風が近づいても何処にいるのか分からないことも多く、洞爺丸台風や伊勢湾台風など1000人以上の被害者を出したこともあった。気象予報の進歩は偉大だと感じる。勿論、備えておくのも大事だけど。

近現代日本社会の姿(日本の近現代第1回)

冷静に考えてみれば、ペリー来航以来の日本社会の変化はかなり急激だったように思う。政治史だけでは説明がつかない。まあ他の国にも言えることかもしれないが。地域社会の変化は押さえておく必要がありそう。

 

近現代全般の話。全体の狙い。53年のペリーの来航や明治維新。一般の人が外国人に出会うことはまずなかった。植民地にしようとした鬼のような存在。グローバル化。海外の接触によって幕が切って落とされた。最初は日本の独立の確保が重要だった。独立の為に外国から大きなものを輸入。外国と競争しながら国際交流を拡大。国内は一致した社会体制の方が有利、中央集権的に。三割自治。地方自治の弱さ。しかし中央政府だけではない。近代化という抵抗することの出来ない流れに対応する。一人ひとりの個人が自立して、安定した生活を営み、社会上昇を。家や地域。国民を守る緩衝材。小さな個人だけではなく互いに協力。膨大な成功と失敗を繰り返す。地域社会に注目。形成や、中間団体としてどのように機能したか。地域社会も実力をつけた。新しいアイデンティティ。国家のアイデンティティと共に。国家もいつも暴力的であった訳ではない。国家も中間団体。防波堤の役割も期待されている。中央と地方の関係も簡単ではない。
近現代日本社会。地域社会がどのような変容を?地域には根深い伝統が、しかし産業化の進行で、現代では一変する。人口の移り変わり。社会の規模を示す指標。様々な手がかりが。1872年から10年間隔で。江戸後期は停滞。明治では増加。100年間以上に亘って。昭和から平成の変わり目。
近現代の家族と村。全人口の8割を農家が。土地を売買することは基本的に許されず、家を維持することが強制された。家族や村が生活の大半を占める。結合力の強い家族や村の変化。小農の存在が続く。自作農から小作農になることも。第二次世界大戦後も50%。高度成長期まで大きな変化は無かった。近代日本の農村のスケールは60年頃まで変わらなかった。国土が狭く農地面積の拡大は期待できなかったので、長男だけが受け継ぎ、それが限界。小農は同じところに定住するというスタイル。単独相続。農地や家の財産を長男が。分家は否定的。家名を強く意識し、家が継続することに強い意識を。広く養子制度が。家の祖先を崇拝。神棚や墓参り。農家以外でも家の存在意義が。増加した人口は?他の兄弟たちが他の産業に、新しい家を作る必要がある。近代の場合、在来産業に。伝統的商品の生産流通販売。生活用品。労働は家族単位で、手工業。女性や子供が労働するのが広く見られた。働きながら通学。若年労働者が多かった。子供は労働力。沢山の子供を。子供の発育や健康に注意が向けられなかった。農村の生活は向上。生活基盤を一から作るしか無かったので、生活は楽では無かった。結婚して子供を産む余裕はあったが。近傍の街に。街から都市への人口集中。行政区画としての町村。88年、法人格。地方自治が。教育税金徴収がしやすいように町村合併を促す。昭和の大合併。市町村の事務が増加することによる。平成の大合併。120年の間に2.4%。大字は更に細分化。実際上の共同体であり続けた。近代化が国民に新しい可能性を。しかし多くの困難が。
大正昭和の産業化。大都市に新たな産業分野が。貧困の集中。急速に産業化と都市化が。しばしば恐慌も発生したが。重化学工業化。軍事だけが原動力だった訳ではない。日中戦争から猛烈な軍需が。人物金は統制の下に。戦後に多くのものが継承された。1940年体制。経産省に。戦後の窓口指導。戦時中の技術の継承。都市住民の生活は?中小企業が多かった。終身雇用、年功序列制度が。それでも家族工業が多かった。二重構造。戦後にも。地域の共同性が。同業組合を公認。組合結成はどんどん広がる。商店街の形成。親睦会という町内会。物資配給に。労働組合や生活協同組合。様々な形で。戦時期の生活。国家総動員。同じ能力を要求。画一化。
大衆社会と少子高齢化。産業構造が一変。高度経済成長。農業人口が激減。主要な担い手が農業以外に。家族が皆で働く小農システムは変貌。農家にも一定の保護はあったが。第2次産業従事者は増加を続ける。農村から都市への大量の人口移動。二重構造の下の層の。待遇は良くは無かった。格差是正の動きも。大規模工場の分散を。中小企業基本法。交通網も密に。市場開放というグローバル化。農産物の輸入自由化の流れ。アジア諸国との厳しい競争も。農村の過疎化。70年から人口は5分の1に。老人ばかりが農村に。第2次産業も少しずつ減少。第3次産業は69%に。伝統的社会と決別。農業社会から産業社会に、サービス業を中心とする脱工業化社会に。平準化。一億総中流社会に。第3次産業の幅が広い。格差社会も。バブル崩壊後、正規労働者と非正規労働者の格差も。個人の価値観は分散。マス・コミュニケーション。逸脱する個性を。個人主義。個人の自立は少子高齢化社会を。介護など家族の新しい課題も。地域社会も。

 

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)

 

 

慈悲。

「法の慈悲を」と叫んでも受け入れてもらえない、そんなシーンが銀河英雄伝説という小説にあったことを覚えている。要は許してもらえないか、と言う意味なのだろう。ただ、法律の概念として「慈悲」と言う言葉は用いられていない。刑事裁判では、「情状酌量」という概念が近いだろうか。犯罪行為をしたと事実認定した上で、それに対する刑罰を決める際に用いられる用語である。被告人側としては、少しでも刑を軽くしてもらおうとアピールをする。弁護人もツボを心得ていることが多い。まあ刑罰を決める基準としては「慈悲」にも近いものがあるけれど。

台風が近づく?

午後3時時点では、全くそのように感じないけれど。iPhoneから警戒音が鳴ったが、山間の地域に対してのもの。

出勤したら、職場は臨時休業することに。お客様が来れるか分からないし、そもそも従業員が集まらない。確かに2人しか居なかった。電車通勤では無理があろう。そそくさと明日の下準備だけして引き上げる。

午後は暴風で外に出られないと判断して、近くの松屋で腹ごしらえをする。誰も居ないので閉店しているかと思ったけれど。

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経済社会をどうとらえるか(経済社会を考える第1回)

社会発展のあらましだった。詳しくは次回から。色々と調べながら聴くと面白いかもしれない。

 

消費と産業。基本的な話。幾つかの視点。経済や社会という言葉。経済社会の中の消費と産業の意味。消費と産業の変化に伴って、経済社会にどのような変化があり、消費や産業にどう跳ね返るか。
経済、社会、経済社会の基本的な点。意味は?答えに困る。経済を具体的に。社会はimageもない。内容がどれだけ具体的であるのかに違いがあるのは?2つの言葉の狙い、目的に大きな違いが。経済。モノとお金。社会。具体的中身をあまり考えてない。全体を示そうとした言葉。狭い範囲の経済と大きな範囲の社会。経済が社会に含まれる。社会科学の世界では、経済は社会の一部。経済だけでも広いものだが。経済だけでなく社会にも関心を。経済と社会は複合している。アダム・スミスやマルクス。ウェーバー。高田保馬など。20世紀の後半。どんどん専門化が進む。経済学者や社会学者。経済でもバラバラに。経済と社会を関係づけないとバラバラの研究に。経済や社会は複雑化。経済社会という言葉。関わりあわせて経済を考える。その人は経済を社会の色んな面と重ね合わせる。重層化している。経済現象を社会の全体の中で捉える。高齢社会。それ自体は経済現象ではない。労働力が不足、財政難に。視野に入れない訳にはいかない。経済は社会と密接に。高齢化社会などの問題が。消費社会や産業社会を詳しく。他の経済との関わりもあるが。経済活動の中心が消費や産業にある。消費をするものを産み出すのが産業。市場という形で。経済の基礎を支える。消費と産業は社会との結びつきの中でも。消費。消費者は様々な活動をして、他者と関わっている。必要なものや欲しいものを見つける。産業。消費者を相手に。歓迎される製品を。消費者が強く社会の影響を受ける。産業も然り。新しいものを消費するなら産業も変わらなければ。産業界は労働者を必要とする。社会から影響を。労働者がどんな仕事を望むか?最近では単調な仕事を嫌い、やりがいのある仕事を。3K職場の産業が不人気に。人手不足になる。消費産業に携わる人ともに普通の人間として色々なことをしている。経済社会として経済を見ないといけない。消費や産業が社会に影響を。産業活動。廃棄物が。環境問題。消費者も環境汚染の原因に。
経済社会の変化。消費や産業の発達によって経済社会がどのように変わるのか?3段階の変化。自然の恵みである動植物を狩猟などで得る社会から農業の社会へ。養える人口が激増。産業革命や産業化。工業を中心として様々な産業が。食料の増産や様々な道具が。消費者の生活が快適に。産業化が成功し、在る種の限界を。生活に必要な物資の確保は大方達成される。便利なものも。人類史上画期的。産業と消費が目標を失う。現代の社会の最も大きな特徴。豊かな社会の成立。具体的な内容は?精神面の変化。ものをこれ以上生産しなくても済む。これが欲しいというものはなくなる。経済活動だけではなく、経済外の活動にも関心を。精神的な充実を。自然と生活環境を大切に。他者との関係を。人権擁護、政治への関心。効率合理性組織性を疑われる。脱物質主義。目に見えない面、内面を。社会の中で目に見える変化は?行動様式が変わる。女性は就労を。余暇時間を確保する為に労働時間の短縮を求める。ハラスメント行為は批判される。社会的弱者への連帯。ボランティア活動。精神生活へのシフト。超自然的なものへの関心。宗教類似の。産業の需要の不振。従来型の産業の成長が困難に。経済成長率が低くなる。充分豊かでない非先進国では、かえって貧困者が増える傾向が。南北問題。低成長と矛盾するかもだけど、環境問題が深刻に。生産量は増加し続けている。地球温暖化などの問題。環境保護の動きが。良い面も悪い面も。不確実性が高まっている社会に。変化に対して、消費や生産の対応は?従来のやり方、多くの生産消費を維持する路線。新自由主義。金融ビジネスの活性化や市場の自由化。情報技術などの新しい技術に活路を。情報通信。エネルギーや労力を活用するものとはタイプを異に。次々と新しい産業が。新しい社会状況に適応して、それに見合った消費と生産を。消費者は価値観を変えて、コトへの。南北問題や環境問題などの深刻。消費者としての対応を。サービス産業。様々な業態が。企業は社会的責任を。3つは複雑に関係している。
消費社会の変化。豊かな社会の出現。消費社会の最初。産業化がキッカケ。第1段階は?人々は主に便利さと量的拡大を。第2段階。試行錯誤する消費。記号的消費。差異を求める消費。第3段階。内と外に向かう。精神的な充足を求める消費。新しい消費文化の誕生。消費文化にも3つのタイプが。第3の消費文化。消費社会はどのように変化するのか?話をまとめて補足し、重なり合っていることを。消費文化も重なり合っている。具体的に。情報の消費。現代の消費社会と産業社会。経済システム。消費社会と産業社会がどのように存在し、他の部分とどのように関わっているか。産業社会。第1段階。産業の時代。産業の出現。産業革命が生じることによって技術を中心とした産業の発展。大量生産方式を産み出す。規模の経済。マネジメント社会の発達。マネジメントが何故必要か。大量の人間を操作しなければならない、その為に。ヒエラルキー、階層性。勤労精神が。第2段階。サービス産業の増大。ビジネスの時代。サービス生産。労働集約性が高い。にも関わらず増大するのは何故か。ビジネス社会の興隆。金融中心。ビジネス精神の成立。金融経済が中心に。リスクも伴う。信用拡大における金融危機が何度も。トラスト、金融的革新。企業結合の発達。第3段階。信頼の時代。変化というのが特徴。大規模化によって不確実性が出てくる。限界が。規模が大きくなる特徴。不確実な状況が。どういうふうに対処すればよいのか。ネットワーク社会と不確実性。信頼社会の可能性。何故信頼性が必要とされるのか?他の人と一緒に仕事をするのはどういうことなのか。相互連関的な関係や社会は?不確実性を低下させる必要がある。専門信頼。コミュニケーション信頼やネットワーク信頼。人的な繋がりが重要視される。消費社会や産業社会が相互にどのように影響を与えているか。前半は消費社会。後半は産業社会。

 

経済社会を考える―消費・産業の様式(モード)とアンサンブル (放送大学教材)

経済社会を考える―消費・産業の様式(モード)とアンサンブル (放送大学教材)

 

 

悲惨さ。

1995年1月17日の朝は揺さぶられて目を覚ました。地震があったことはラジオで知る。淡路島が震源地であり、只ならぬ事態であることは分かったが、京都で所用があったので無理やり外に出る。夜遅くに一段落してTVのニュースを眺めると、長田区の彼方此方から火が出ていることが分かり愕然とする。悲惨なのはそれに限ったことで無いことは、当時の人なら覚えていると思う。被災地に住んでいない私のような人間でも、震災に絡んで親族が亡くなった。そして震災と言う言葉が指す意味が、2011年3月になるまでは一生変わらないと思っていた。