F-nameのブログ

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節度。

施設の警備の担当で泊まり込みの仕事をしていたことがある。交代して仮眠室で休息を取るのだが、互いに節度を持たないとやっていけなかった。設定されたベッドに布団や毛布が全くない事もある。そういう人間は、寝ている他のベッドから取ることも。そして本人の責任とは言い難いのだが、大きなイビキをかく人間がいる。他の人間は眠れず文句を言って喧嘩になることも。指摘された人間は他のスペースを探して休んだりしていた。ことほど左様に節度を持つというのは大変なことである。

現金決済。

今日は某コンビニのeat-inスペースで昼食を。セルフレジにも慣れてきた。電子マネーを使うと圧倒的に?便利。レジには何名か並んでいたけれど、セルフレジでは待つ必要がない。確かに現金で払うなら通常のレジに並ぶしかないのだろうが。時々使っているお菓子のチェーン店では現金しか使えないこともあるし、弊店でも現金で決済することは多い。けれど取られるリスクはある。どんなに厳重に管理してもゼロにはならない。現金以外で支払うよう誘導するのも難しい。この点では日本は後進国なのだろう。ううみゅ。

環境問題のとらえ方と解決方法のフレームワーク(環境問題のとらえ方と解決方法第1回)

環境問題の把握は極めてややこしいと感じる。現在ではなかなか表面化して出てこないし、問題は複雑になっているから。

 

どのような視点で。その解決方法の全体の枠組。確実な方法が見つからない場合どうするか。順応的管理の方法。地域の環境問題から、国境を超える汚染問題。地球規模の環境問題も。有害化学物質。汚濁。大量の廃棄物の発生と資源の枯渇。原因は人間活動。昔もあった。多くの場合は小さな規模。産業革命以上の人口の拡大。地球全体の環境にまで影響を及ぼす。人間活動の影響を小さく。排水や排ガスを浄化。開発事業の影響が小さくなるように。実行は簡単ではない。排水処理装置で水をキレイにすることは出来るが、別の環境問題に繋がることも。大量生産大量消費の生活を続ける限り、極めて困難。社会生活の在り方を変える。持続可能な社会の構築を。人々の考え方は様々。皆の考えも同じではない。ステークホルダーにより捉え方も解決方法も異なる。合意形成が不可欠。フレームワーク。
身近な問題。河川水質汚濁と魚の死。養分酸素濃度。有害物質。濃度変化。沈殿したり光の影響。流入地点で魚が死亡する確率は高い。濃度が充分低いと魚は死なない。有機物を多く含む排水も。有機物濃度。多くは毒性を持たない。吸着や沈殿、微生物分解により濃度は下がる。養分酸素が微生物で消化。大気から水中に酸素が供給される。養分酸素濃度が低く。酸素供給速度。溶存酸素濃度。排水の流入。どんな魚が死ぬかで環境問題の大きさは違ってくる。どのくらいの量の魚が死ぬかでも。眼の前の魚が死なないからといっても問題がない訳ではない。小魚に影響を。低濃度の化学物質でも他の川に逃げていく可能性がある。魚が居なくなる。魚が絶滅して初めて認識されることも。
河川の水質汚濁問題。問題解決型フレームワークを。問題認識から始める問題解決のフレームワーク。環境問題を見つける。正確に把握し合意する。どの場所でどのような魚がどれぐらい死んでいるか。希少資源の問題。河川に関心を持たない人もいる。環境問題として認識しない。毒性物質が問題の場合、排水が原因だと理解される。問題の発生場所が異なる場合も。産卵などの長期的な変化の問題の認識は困難。正確に把握し合意するのが重要。原因の把握。必ずしも一つではない。現実的には主な原因を見つけることが重要。毒性物質か有機汚濁か。処理方法も異なる。排出源も幾つかある。責任も同じではない。工場排水に由来するか生活排水か。主要な排出源を。解決策の提案。工場排水中の原因物質を取り除く。毒性物質か有機物かで処理方法は異なる。廃水処理だけが解決策ではない。生産の方法を変えることも。初めから有害物質を使わないようにするなど。主な排水源の対策を先行すること。問題ない、魚が居なくてもいい、という判断も有り得る。何ら対策を行わないことも。目標の設定。解決策の実行。有機汚濁物質の除去。有機汚濁濃度が減る。何処まで濃度を下げていけば良いか。ゼロにすることが望ましいが、汚濁物質濃度をゼロにするのは困難。完全に除去しようとすると多くのエネルギーや資源が必要になる。別の環境問題に。排水中の汚濁物質濃度をゼロにしなければならない、というものでもない。希釈などによって減少する。問題がないと判断することも。どのような環境状態が容認されるかを考える必要がある。環境の状態の目標。出来る限り具体的に、定量的に。定性的な目標もあるが、充分ではない。何%が死なないのか?などが問題に。鮎の稚魚を守るなど。水質環境基準。環境問題とは何か、その定義。問題とは何か。現状と目標のギャップ。現在の環境の状態。望ましい容認できる環境の状態。異なる場合に環境問題として明確に認識される。問題であるか否かの判断基準。曖昧なままだったけれど。望ましい状態については議論しなかったけれど、現状では困難。具体的な定量的な目標を決めることは極めて重要。かつての公害と言われた時代には、誰が見ても深刻な環境問題として認識できた。目前の問題を解決するのが緊急の要請だった。現在の日本のように、今後何処までキレイにするか、具体的な目標を検討することが重要。問題解決型フレームワークでは。
DPSIRフレームワーク。何故起きるのか、人間活動の結果。社会経済技術などの側面と環境問題を切り離して考えることは出来ない。原因となる人間活動と連関させて。広く使われている。Dドライバー、要因。ライフスタイルや消費のパターンや変化。人口増加や社会経済的発達。水を大量に使い、排出を。Pプレッシャー、負荷。環境への。取水量の増加。河川水量の減少に。排水量の増加にも繋がる。負荷の増大。Sステイト。水質の変化。環境の状態の変化。人間生活や生態系は様々な影響。I、インパクト。魚が死んだりする。漁獲の減少。レクレーションに。何らかの対策。R、レスポンス。どれが最も適切かを検討する。一般的には負荷の削減。排水の負荷を。緩和策。Dの増加。人口減少は現実的ではないが、生活の方法を変えることも。下水道を作るのは負荷削減になるが長期間かかる。川に空気を送り魚の死亡を防ぐ。Sの改変。Sを受け入れてIを少なくする。補償する。水産業自身の縮小を。水道水源の利用に問題が生じる場合、他の河川に求めることも。水源がない場合は高度な処理施設を。ある時点の。時間経過により変化することも。相互関係も一定ではない。DとPの関係。PとSの関係。要因間の関係を考えなければならない。要因Dから考える。本質を考えるのに極めて重要。問題解決型フレームワーク。問題とは何かを、から。Iから。直感的。ある意味で順番は異なる。
順応的管理。実際の環境問題は広い対象の為、極めて複雑。相互関係が全て明確な訳ではない。簡単に判断できない場合。重要な因子を見落とす。科学的知見が不充分な場合も。しかし予測出来ないからといって対策の後回しは出来ない。管理施策。変更できるようなより柔軟な。順応的管理の手順。問題の同定。モニタリング。結果の評価。計画の改善。結果を丁寧にモニタリング。対象システムへの科学的理解を深めるだけでなく、繰り返しの学習する。成果に基づき施策を改善する。失敗の言い訳に使われる可能性があるけれど。

 

環境問題のとらえ方と解決方法 (放送大学教材)

環境問題のとらえ方と解決方法 (放送大学教材)

 

 

謙虚さ。

今でこそ名の知れた企業で働いているが、だからこそ謙虚さは必要。小売業なので、お客様に謙虚な姿勢で向かい合うのは店員として最低限のことである。会社によっては、社員に謙虚さが欠けていることがある。下請会社に対し横柄な態度で応対している人間が大半のことが。酷くなると顧客に対してさえ。得てしてそんな企業は業績が悪化することが多い。周囲のステークホルダーが悪く反応する結果に起因するのだろう。まあ営利企業は厳しいもの。問題なのは、そういう企業がリストラをする時に、横柄な人間に限り対象から逃れることである。憎まれっ子世に憚る、なのだろうか。

台風一過。

台風一過。今日は晴れているけれど、それほど気温は上がっていないかも。

昨日は従業員が来れないので急遽店舗が休業になり、自宅でダラダラとネットサーフィンを。夕方になってから雨風が強くなったが、大過なく無事だった。交通機関にかなりの影響が出たり避難をした人は多かったけれど、死者お一人が出た以外は大した被害も無かった模様。予め台風が来るのが分かっていたことが大きかったと考える。戦後暫くは台風が近づいても何処にいるのか分からないことも多く、洞爺丸台風や伊勢湾台風など1000人以上の被害者を出したこともあった。気象予報の進歩は偉大だと感じる。勿論、備えておくのも大事だけど。

近現代日本社会の姿(日本の近現代第1回)

冷静に考えてみれば、ペリー来航以来の日本社会の変化はかなり急激だったように思う。政治史だけでは説明がつかない。まあ他の国にも言えることかもしれないが。地域社会の変化は押さえておく必要がありそう。

 

近現代全般の話。全体の狙い。53年のペリーの来航や明治維新。一般の人が外国人に出会うことはまずなかった。植民地にしようとした鬼のような存在。グローバル化。海外の接触によって幕が切って落とされた。最初は日本の独立の確保が重要だった。独立の為に外国から大きなものを輸入。外国と競争しながら国際交流を拡大。国内は一致した社会体制の方が有利、中央集権的に。三割自治。地方自治の弱さ。しかし中央政府だけではない。近代化という抵抗することの出来ない流れに対応する。一人ひとりの個人が自立して、安定した生活を営み、社会上昇を。家や地域。国民を守る緩衝材。小さな個人だけではなく互いに協力。膨大な成功と失敗を繰り返す。地域社会に注目。形成や、中間団体としてどのように機能したか。地域社会も実力をつけた。新しいアイデンティティ。国家のアイデンティティと共に。国家もいつも暴力的であった訳ではない。国家も中間団体。防波堤の役割も期待されている。中央と地方の関係も簡単ではない。
近現代日本社会。地域社会がどのような変容を?地域には根深い伝統が、しかし産業化の進行で、現代では一変する。人口の移り変わり。社会の規模を示す指標。様々な手がかりが。1872年から10年間隔で。江戸後期は停滞。明治では増加。100年間以上に亘って。昭和から平成の変わり目。
近現代の家族と村。全人口の8割を農家が。土地を売買することは基本的に許されず、家を維持することが強制された。家族や村が生活の大半を占める。結合力の強い家族や村の変化。小農の存在が続く。自作農から小作農になることも。第二次世界大戦後も50%。高度成長期まで大きな変化は無かった。近代日本の農村のスケールは60年頃まで変わらなかった。国土が狭く農地面積の拡大は期待できなかったので、長男だけが受け継ぎ、それが限界。小農は同じところに定住するというスタイル。単独相続。農地や家の財産を長男が。分家は否定的。家名を強く意識し、家が継続することに強い意識を。広く養子制度が。家の祖先を崇拝。神棚や墓参り。農家以外でも家の存在意義が。増加した人口は?他の兄弟たちが他の産業に、新しい家を作る必要がある。近代の場合、在来産業に。伝統的商品の生産流通販売。生活用品。労働は家族単位で、手工業。女性や子供が労働するのが広く見られた。働きながら通学。若年労働者が多かった。子供は労働力。沢山の子供を。子供の発育や健康に注意が向けられなかった。農村の生活は向上。生活基盤を一から作るしか無かったので、生活は楽では無かった。結婚して子供を産む余裕はあったが。近傍の街に。街から都市への人口集中。行政区画としての町村。88年、法人格。地方自治が。教育税金徴収がしやすいように町村合併を促す。昭和の大合併。市町村の事務が増加することによる。平成の大合併。120年の間に2.4%。大字は更に細分化。実際上の共同体であり続けた。近代化が国民に新しい可能性を。しかし多くの困難が。
大正昭和の産業化。大都市に新たな産業分野が。貧困の集中。急速に産業化と都市化が。しばしば恐慌も発生したが。重化学工業化。軍事だけが原動力だった訳ではない。日中戦争から猛烈な軍需が。人物金は統制の下に。戦後に多くのものが継承された。1940年体制。経産省に。戦後の窓口指導。戦時中の技術の継承。都市住民の生活は?中小企業が多かった。終身雇用、年功序列制度が。それでも家族工業が多かった。二重構造。戦後にも。地域の共同性が。同業組合を公認。組合結成はどんどん広がる。商店街の形成。親睦会という町内会。物資配給に。労働組合や生活協同組合。様々な形で。戦時期の生活。国家総動員。同じ能力を要求。画一化。
大衆社会と少子高齢化。産業構造が一変。高度経済成長。農業人口が激減。主要な担い手が農業以外に。家族が皆で働く小農システムは変貌。農家にも一定の保護はあったが。第2次産業従事者は増加を続ける。農村から都市への大量の人口移動。二重構造の下の層の。待遇は良くは無かった。格差是正の動きも。大規模工場の分散を。中小企業基本法。交通網も密に。市場開放というグローバル化。農産物の輸入自由化の流れ。アジア諸国との厳しい競争も。農村の過疎化。70年から人口は5分の1に。老人ばかりが農村に。第2次産業も少しずつ減少。第3次産業は69%に。伝統的社会と決別。農業社会から産業社会に、サービス業を中心とする脱工業化社会に。平準化。一億総中流社会に。第3次産業の幅が広い。格差社会も。バブル崩壊後、正規労働者と非正規労働者の格差も。個人の価値観は分散。マス・コミュニケーション。逸脱する個性を。個人主義。個人の自立は少子高齢化社会を。介護など家族の新しい課題も。地域社会も。

 

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)

 

 

慈悲。

「法の慈悲を」と叫んでも受け入れてもらえない、そんなシーンが銀河英雄伝説という小説にあったことを覚えている。要は許してもらえないか、と言う意味なのだろう。ただ、法律の概念として「慈悲」と言う言葉は用いられていない。刑事裁判では、「情状酌量」という概念が近いだろうか。犯罪行為をしたと事実認定した上で、それに対する刑罰を決める際に用いられる用語である。被告人側としては、少しでも刑を軽くしてもらおうとアピールをする。弁護人もツボを心得ていることが多い。まあ刑罰を決める基準としては「慈悲」にも近いものがあるけれど。