F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

社会システムとしての家族(家族生活研究第4回)

未だに三歳児神話が世間で流布しているのが驚き。日本社会はリテラシーに欠けているのだろうか。

 

家族システムの考え方。家族はそれを構成する家族成員が相互関係を。集合体レベルのシステム。意義は?全体社会の変化で家族の変化は?家族の内部の要素の変化でどのように変化するか。どのような変化で安定するか。家族の変化につれて社会の変化は?生活者の生活の組み立ての変化が家族にどのような変化を。近代社会と近代家族。近代家族。当たり前と思っている家族の在り方。公的領域と私的の領域の分離。性別分業の一般化。近代社会の特徴。近代家族で何が問題?夫と妻の関係がうまく行かなくなった時、維持に支障をきたす場合。力の対立が露呈する。近代家族の特徴。公私の分離。分業。家族福祉。愛の共同体。嫡出原理。あくまで男にとり正統な子供と言えるか?女にとっては全ての子が嫡出原理。女性が性別役割分業の中で、生き方に満足が出来なくなった場合に障害が。仕事や介護の問題。理不尽。80年頃から家族に一員としての個々人が、自分の生活それ自体の優先を。近代家族の綻び。離婚件数の増加。近代社会にとっては病理家族、欠損家族。その捉え方の問題性。
現代社会の家族システム。家族は如何に個々人の生活をサポートするか。生活者中心の家族。70年代後半から、生活者であることが社会の中で顕在化。自分の生き方に合わせて家族の関わりを選択する。家族にどのように当てはめるか。自分の生き方を中心としての家族の在り方。個々人が自分の生活の組み立てを。夫妻が実質的対等に。それぞれ仕事や友人関係がある。営み方もどちらにとっても。現代社会における現代家族の特徴。現代家族にとって自分本位であるということ。主体的に家族との関わりを選ぶ。夫にとっても妻にとっても。対立も起こりやすいが。主体的に選ぶ。家族の在り方が相対的。家族が絶対的ではない。個々人にとっては家族は限定的に関わる。貢献も限定的になり得る。個々人が最低限の合意が維持される限り家族生活を維持する。合意はそれぞれ。個々人の生き方を尊重する故に、家族の分解や解体が必要になるかも。結婚するときは添い遂げたいと思うが、あくまで契約に基づくもの。無くなるかもという暗黙の前提が。
事例。一組の男女。28歳の男性と大学出たばかりの女性が出来ちゃった婚。相違点が出てくる。男性は、家事は女性がして欲しいと思う。女性は、男性が家事を手伝って欲しいと思う。それぞれの結婚幻想。相手での期待があっても互いの実行が問題。食い違い。不満点も。家事や子育ての経験も双方にない。ストレスが。子供が産まれたら互いに変わると期待していたが無理だった。6ヶ月検診。DVでは?と指摘。これまでの生活を見直す。
インタビューでの話。出産をされて子育てを。共通の趣味があって、趣味の場で出会って。話も弾む。仲良くなってお付き合いするようになり、子供が出来て、正社員として働いていると安心するところが私にも家族にもあった。妊娠を双方の家族が喜んでいた。差し当たり妻の家庭で、金銭管理も妻が。次々と嘘が。借金をしている、貯蓄もない。それは次々と返す。仕事も日雇い労働だった。社会保険も入れてもらう予定だったが、国民健康保険だった。おまけに酒癖が悪く、次の日に仕事に行かない。叩き起こして仕事にいかせることが1ヶ月に何回も。子供が出来たという自覚が全く無い。つわりで情緒不安定に。動けないし水も飲めない食べられない、寝たままで風呂も入れない。演技と言われる。性行為も強要される。思いやりがないと言われる。婚姻届の証人を。もう無理。子供が出来るので乗り越えていかないとと思っていたけれど。カネを持っていかれた貯まらない。シングルマザーで生きていくのか3人で生きていくのか?そこまでしてなぜ結婚しないといけない?恋愛関係が無くなる。家庭を作る上でそういう状況で子供が育つことを考えれば、シングルマザーで生きた方が良い?妊娠3ヶ月。どんなことをしても子供は産みたいと思っていた。これからどうする?限定の悩み方。結婚を反対される。区役所の相談で、それはDV。分かれたらやたらと執着する。何十件というメール。保護しますと言われる。第三者の判断が正しかった。信じようと生きていくというか。応答しないということから、今度は虚無感。やり直せた?涙も流せない。情緒不安定が。安定期に入って、共通の女性に丁寧に接していただいたので看護師になりたいと思った。資料やパンフレットを。DVの講座。彼から別れて出産したい。背中を押してもらえた。辛かったのが妊娠中だった。結婚しないで子供を産むことも反対された。今は可愛がってもらえるけれど。自分で抱え込んで自分で考えて自分で行動して。話を聞いてくれて。この先どうやって生きる?小学校に入るまでには職場で働く。看護師になる。自立したい。子供が負担に思わないように。一人で子育てしていく。どういう支援が欲しいか。働く時に子供が預かれる場所を。預けずに実家に?早退せざるを得ない?多めに施設があれば働きやすくなる。看護学校を受ける。
DVについて。身体的な暴力だけではない。殴ったり蹴ったり。精神的な暴力は周りからも理解してもらえない。職場などでは良い人と思われ、仕事も普通に出来ることが。自分もまさか暴力を振るわれているとは思えない。声を聞いただけで身体が震える、それもDV。なぜDVをするような男性と結婚したのか?結婚するまで相手が暴力を振るうかどうかは分からない。男性の中には妻は自分の所有物だと思う人も少なくない。躾は仕方がないということで、暴力を正当化する。暴力は我慢したらなんとかなる、ということではない。DVについては第三者に相談。夫から離れる。離れることも勇気が居るけれど、第三者に相談することで離れることについて援助を。DVがなぜ起こるのか。暴力を振るっても第三者から文句を言われることはない、という社会環境。密室状態で。引き金要因などでDVが具体化。個々のDVの分析。DV防止の方法は?
現代家族システムの。幾つかの選択肢。現代家族の特徴。夫と妻が互いに相手に役割を期待する。期待通りに遂行できれば安定する。しかし期待したことについて相手が遂行できなければ不満が溜まる。夫にせよ妻にせよ、相手の期待に応える体制が問われる。準備ができているかどうか。相手に期待すると同時に相手からの期待にも応える、その準備が必要。家族への貢献よりも家族への期待が満たせるか。現在の家族を維持することが必要か。家族を解体するか。離婚をして子供を引き取るにも、子育てと仕事との両立が問題。共働きでも同じことに直面する。3歳までは母親が育てることが望ましいという三歳児神話。エビデンスがない。影響されて母親の子育てに厳しい眼差しが。ママも神話に囚われている。制限を加える。期待通りに育児が出来なければ母親バッシングが。子育てについての提案。子供を育てるのではなく、子供が育つ。子育て支援システム。育つ主体は子供。子供は家族システムに属すとともに。家族システムの外部のサポーターなどの支援で育つ。支援システム。全ての子供がどのような環境であっても安心して育つことが出来るように。

 

家族生活研究―家族の景色とその見方 (放送大学大学院教材)

家族生活研究―家族の景色とその見方 (放送大学大学院教材)

 

 

慎み深さ。

一般的には、人間は慎み深い方が良いとされているようだ。私は全くそんなことはないので問題ではある。それは兎も角、特に女性に対しては過度に要求されるような資質であるように思われる。ジェンダーgenderの要素が入っている。慎み深いのも良し悪しがあり、女性が組織で梯子を登っていけない傾向が未だにある一因となっていると考える。即位の礼で日本の首相夫人の服装を問題にする人間が居る。主役ではないのだから目立つべきではないという議論には納得させる要素があるのだけれど、女性は男性に従わなければならない、という要素が入っていない保障はなさそうに感じられる。

墓参りに。

昨日は京都にゼミ会の墓参りと宴会に参加した。

高槻で供花を手に入れ、阪急河原町駅に。モニュメントmonumentを見つける。工事中は祇園祭の山鉾巡行が中止になった。

f:id:F-name:20191103141438j:image

墓参りの前に、宴会の場所を確認。四条通から奥に入ると道が細くて曲がりくねっている。何とか見つけて予約がしてあるのを確認。

f:id:F-name:20191103145121j:image

BOOKOFFで散財した後、知恩院の和順会館で墓参りの準備を。ソフトクリームとコーヒーを味わう。

f:id:F-name:20191103145249j:image

両替機が用意してあるとのこと。

f:id:F-name:20191103145316j:image

会館内に売店があり色々と販売しているが、何故なのか線香もライターも売ってない。昨日に用意しておいて良かった。

f:id:F-name:20191103145438j:image

午後3時半に参加者が揃い、恩師の墓参りをする。手慣れたもので、私が線香や供花を用意している間に、他の方が掃除をしたりしていた。ライターは殆ど使ったことがないせいか、線香に火がつかなくて焦る。他の方がつけることが出来たので、製品自体が悪い訳では無さそうだけど。何はともあれ無事に終了する。

 

マスメディアで死生について考える(死生学のフィールド第4回)

三人称の死を享受することばかりに神経が集中しているのは、かなり問題がある傾向と言えるのかもしれない。

 

60年代の「悲しくてやりきれない」。16年の「この世界の片隅に」。昭和初期から昭和20年頃までの広島。呉市に嫁ぐ。死ぬかもしれない毎日。淡々と前向きに生きていく。かけがえのない毎日を奪われようとしていた。戦争映画ではなく暮らしの映画。戦争をモチーフとしながら人々の毎日の生の営みを。死と生の営みをどのように取り上げるか。死をダイレクトに取り上げる映画も。09年の映画「おくりびと」。死者の身体を清める納棺師。死者と死者のゆかりの人々に向き合う仕事。異物化したりすることもなくストレートに。死生観を振り返らせる。映画での死生観。
マスメディアと価値観死生観の関係について。マスメディアとは大勢の人が読む大衆文化。特定の人が情報を伝達。特定少数の送り手。特定の意図や価値観が。死は生の一部。隠されるべきものではない。納棺師の仕事を知った妻に普通の生活をしてと懇願されるのに対する。戦時下の普通の人々の暮らしに。かけがえのない生の営み。製作者にはこうの史代も。原作が同名の漫画。「夕凪の街 桜の国」。情報の送り手にどのような意図があるか。情報が自分の価値観にどのように影響を与えているか?ルーマン。マスメディアを通して知っている。実体験したものではなく。特定の価値観の下に情報を編成する力。マスメディアの強み。忘れられた歴史だけど確かにあった歴史を。マスメディアを鵜呑みにするというリスクも覚えておく必要。アメリカの医療ドラマ。情報の不特定多数の受け手である私たちも、一方的な刷り込みを受けるだけではない。情報を読む自由と能力。マスメディアの特性。情報の受け手であるとともに読み手でもある。発信された情報を、読みの多様性。アニメのエンディング。恋愛もののドラマ?「愛している」。「続夏目友人帳」。妖怪が見える少年。気味悪がらせる。挙動不審に。喪失体験を続けている。夏目は友人帳を見つける。名前を奪い返したい妖怪から狙われる。名前を返す日々が。受け入れてくれる人達と関係を築く。絆の表現。「愛している」。絆の表現としても。読みの多様性の成立。
死を題材にするマスメディア。死の娯楽化で死を遠ざけるのでは?死のポルノグラフィー。死についても性と同じ。幻想妄想を生み出すマスメディア。タブー視されている。55年のイギリス。現代の日本に通じる。死は恐ろしくて口にすることも出来ないけれど、マスメディアでの死は楽しむことさえ出来る。マスメディアの死。一人称の死、二人称の死付随する現実感を切り離して、三人称の死にする。推理小説や西部劇などで増殖させて死のポルノグラフィーを拡大。あらゆる死を題材としたマスコミを説明するのにも無理がある。死のガイドラインという概念。死に様を考えたりする題材としてのマスメディア。がん患者のノンフィクション。捉え方。どちらか一方に明確に分類される、という訳でもない。死の情報はポルノグラフィー的側面とガイドライン的側面が。送り手受け手双方が決める。意図と解釈それぞれに自由度が。マスメディアの情報には両方の特性が。インターネットによる双方的コミュニケーション。簡単に情報を編成し発信する。マスメディアにおいては大半が受け手に。マスメディアをどのように解釈するかが重要。「バガボンド」。宮本武蔵が原作。戦いに身を投じる過程で成長する。どのように生きるべきか、生きる意味。武蔵の行動。フランクルの生きる意味のコペルニクス的な転回。ナチのホロコーストのサバイバー。私たちこそが人生に意味を問われる。「夜と霧」。生きることそのものの行為でしか。情報の読み手の死生観に基づく。具体的行動をもって。死のガイドラインとして。非常に沢山人が斬られ殺される場面も。死のポルノグラフィーとして。作者はどうして描いたか?インタビューなどで。NHKのトップランナー。人を斬ったりするシーンが多い。死を扱わざるを得ない。残酷な描写?死を扱う以上は軽々しく扱えない。重みや痛みを感じてもらえるように書かないと。読む人も目を背けたくなっても、死を痛みが伴うように読んでもらわないと。情報の送り手の意図。読みや解釈が変化した?強化した?振り返りが重要。
生き死にを考える教育について。子どもたちに死について考えてもらうのも死生学の課題。死をタブー視する社会。子どもたちが死別による大きな穴を実感できなかったりする。隠蔽されてしまうのなら、せめて学校によって。生と死の教育。いのちの教育。デス・エデュケーション。マスメディアを活かす手順。自分が読んで心が惹かれる場面を選ぶ。なぜ魅了するか読み直して考える。セリフを交えながら自分自身の言葉で描写する。以前に似たような感動を覚えたものを思い出して、それらと照らし合わせて共通点を文章化する。自分の価値観が明確になる。自分なりの言葉による説明をグループワーク形式で。フィードバックを受けて自分の価値観の再確認を。思いもよらない解釈に触れられて自分の幅が広がる。偏見に満ちていたり差別的だったり暴力的だったことにも気づける。自分の読みや解釈を共有。メディア・リテラシーの原則と照らし合わせる。マスメディアは全て構成されたものであり、現実を作り出すものである。受け手による解釈を持つ。社会的政治的意味を持つ。独自の様式などを持つ。分かち合う者同士が互いに傷つけ合うことなく尊重できるように。デス・エデュケーションに重要。openに語り合える場の確保を。
言葉や文字に依存。身体全体を使うわけではない。体全体を使って表現することも大事。言語的な検討に終始するのでなく、ロールプレイングなどで伝達し合ったりすることも。マスメディアの受け手の私たちは、読み手としての解釈の自由が。送り手の意図を。死生のメッセージを発信することも必要。想像力と倫理的問題を。

 

死生学のフィールド (放送大学教材)

死生学のフィールド (放送大学教材)

 

 

恨み。

今在籍しているか昔に在籍していたかは問わずに、会社(官庁なども含めて)に恨みを持つ人間はかなり居るのかもしれない。推量形なのは、私が経験していないからである。勿論、ろくでもないと思うことはあったのだけど、上手くいかない原因を探り当て修正することで何とか処理をしている。まあ自分自身で出来ないことは、どう転んでも可能にならないと見做しているから、頭の回転が働いているのかも。ただ、私が所属していないだけで、どうしょうもない職場があるのも事実。早朝から深夜まで働かせて潰し、また新しい人間を雇い潰すような所。逃げ出すべきだろう。

昨日の職場。

昨日は10月が終わったので、弊店では月締めの作業をしないといけなかった。何処の小売店でも同じだと思うけれど、決済手段というか、お客様が支払に使える方法は多様化している。現金も勿論多いけれど、クレカや商品券はあるし、最近では交通系電子マネーやPayPayなどというものもあるので、それらを全て処理しないとならない。その為に通常の作業が遅れるなど色々ある。ウンザリだけど。

昨日はメインの問屋の社名も変更になった。事業再編で大手の企業グループに加わったのを明確にしたのだが、やたら企業名が長くなって覚え切れていない。内輪では旧社名のまま使用することになるのではと予想する。ううみゅ。

今日は早めに投稿。これから知恩院で墓参りに。

戦後教育理念の形成と教育行政(戦後日本教育史第4回)

教育勅語の正式な解説書が無かったのにはビックリした。そんなものが教育の基盤と(一応)されていたとは、、、

 

戦後の教育理念の模索と形成。根幹となったのは47年の教育基本法。制定への経緯。GHQと政府の対応。抜本的な変革。文部省の再編。教育委員会制度の設置。
戦後日本の教育理念の形成。90年の教育勅語。教育に関する勅語。天皇の大権に基づき直接国民に。天皇のお言葉。GHQは当初は慎重な姿勢。天皇制と結びつく。どうするかは根幹の課題に。日本側の対応を見極めながら。教育勅語が中核だったが、具体的に何が書いてあったのかは理解されていない。本文は315文字。内容は三段に。国体。臣民の12項目の徳目。普遍性を持つ。皇祖。皇宗。儒教の影響?儒教倫理と市民倫理を折衷。具体的内容。皇祖皇宗。我が臣民。心を一にして。代々美風を作り上げる。国体の形成。父母に孝行を。博愛。学問を修める。有為の人物に。法令を尊重遵守。美風を表すことに。解説書注釈書は数多く出版されている。解釈それ自体が困難。正式な解説書が最後まで発行されなかった。
GHQに対し日本政府や文部省。教育勅語へも好意的。普遍的な道徳、教育の目指す理念。超国家主義により歪曲。本来の理念が浸透していれば戦争が起こる訳がなかった。本来の理念に立ち戻るべき。学校教育局長田中耕太郎。教育勅語は世界人類の道義的なものに合致。安倍能成。国民の日常道徳。日本側教育家委員会。誤りではないが適さないものがあるので、新方向の公布を。新教育勅語煥発論。様々に模索がされたが結論に至らなかった。教育刷新委員会の議論に引き継がれる。
教育刷新委員会。46年8月10日に設置。教育事項についての調査審議を。戦後の教育改革立法の議論の基盤を。総会の他に21の特別委員会。教育勅語問題は第1特別委員会で。集中的な議論を。46年9月25日の第2回総会。新しい勅語を求めることを天皇にしない。新憲法の精神に則るべき。46年10月8日。教育勅語をもって根源的な理念である考えを排除する。教育勅語を神格化する取扱を止めること。廃止するのではなく、絶対的な理念とすることを禁ずる。GHQのCIEも容認する。47年3月20日の貴族院。憲法の施行と同時に抵触する部分を廃止する。その他の部分は両立する。モーセの戒律と同様になる。抵触しない部分。12の徳目。文部大臣田中耕太郎が教育刷新委員会で、神様の言葉としての取扱ではなく、貴重な資料として。教育基本法の作成へ。基本的に矛盾するものではない。
47年3月31日。教育基本法が公布施行。基本理念と原則を定める。憲法理念を踏まえ前文を付す。各種の教育法と原則を一にする。前文と11条から。前文では個人の尊厳を重んじる。第1条では人格の完成を目指す。心身ともに健康な国民を。第2条。学問の自由を尊重。自発的精神。文化の創造と発展。第3条。等しく能力に応じる教育を。性別などで教育上差別されない。機会均等。学校教育の公共性の原則。社会教育の重要性。政治的教養の尊重。特定の政党を支持反対の禁止。宗教教育。国民全体に直接責任を。教育基本法の制定により教育勅語問題も解決。48年6月。国会決議で教育基本法と教育勅語の関係が不安定に。それまでの文部省の立場は修正を余儀なくされる。違憲詔勅。46年10月8日の内容とは相反する。教育勅語と教育基本法は矛盾しないという立場とも違う。占領下において民政局主導のもとでの国会決議。更に複雑で流動的に。度々教育勅語は焦点となる。
敗戦に伴う経済的困窮の中での教育の再建を。教員の組織化を。47年6月。日本教職員組合、日教組結成。教職員の経済的などの地位の獲得。教育の民主化。平和と自由を愛する民主国家の建設。行動綱領。団体協約の完全履行など。49年5月。文部省設置法。中央教育行政が明確に。中央集権的監督行政から、あらゆる面について指導助言をする機関に。教育委員会や大学などに専門的な指導と助言を。教育の向上普及に必要な法令案を。権限の行使にあたり監督を行なわない。中央教育行政。国が教職員給与の2分の1の負担を。地方教育行政。地方公共団体に公選の教育委員会を。教育委員会や教育長。都道府県を1単位とする地方教育委員会を。教育刷新委員会。48年7月15日の教育委員会法。地方公共団体の行政機関であり合議制の独立機関。48年10月5日に教育委員選挙。投票率は全国平均で56%。80%と比較して高くはなかった。
48年11月に発足した教育委員会制度。教員出身者が多かった。運営上で多くの課題が。文部省は教育委員会制度協議会を設置して課題の協議を。選任方法の問題。議会との関係。都道府県と市町村、国と地方との関係。議論の調整は難航する。市町村教育委員会を1年延期しようとしたが、52年の11月1日に市町村に教育委員会が設置されることになってしまう。見切り発車に。解決する課題も先送り。中央教育審議会などでも議論を。それぞれ改革案を。教員出身者の制限など。日教組が組織を使っての選挙戦を。市町村教育委員会の全面設置。負担は都道府県なのに、給与の決定は市町村。教育委員会廃止の決議も。公選制を巡る問題を中心に激しい議論が。
教育理念と制度改革の成果は徐々に修正する段階に。

 

戦後日本教育史 (放送大学教材)

戦後日本教育史 (放送大学教材)