F-nameのブログ

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マキャヴェリズム。

マキャヴェリの思想。彼の生きていた中世Italiaでは良くも悪くもキリスト教の宗教思想が強かった。しかしマキャヴェリは宗教的な要素を無くして政治を考えるべきだとした。そして軍事は政治の延長線上にあるので、軍事面でも宗教色を否定する。今の政治や軍事に連なる思想とされる。しかし今のものが宗教色に染まっていないとは言い切れない(Americaの大統領の就任時には聖書を使用するのが好例)。その意味でマキャヴェリズムをもって説明可能だとすることは適切ではないだろう。現実の政治や軍事のmanualとして利用できるかも疑わしい。そもそも彼自身を崇拝するのを当のマキャヴェリは天上から認容しているかも同様である。

台風無き通路の水没。

今年は梅雨がなかなか開けない(あくまで高槻市がある関西地方に於いてだが)。幸いにして私は大雨には遭遇していないが、熊本県などでお亡くなりになられた方は多い(御冥福をお祈りします)。高槻市の中心部にあるJR高槻駅のホームを潜るようにして通路が設けられているのだが、数年前には水没しているのを見た。殆ど通路を満たすような勢い。今年に大した被害は無いのは単に幸運なだけにすぎない。7月は観測史上初めて台風が発生しなかった年になるこではとNEWSで見たが、そもそも台風が絡まない大雨の被害の方が、少なくとも平成時代には圧倒的に多かった(先に書いた通路の水没も台風は関係無かった)。南の海からやって来る台風の方が目立つのだけど、単なる豪雨も無視するべきではない。

日常経験から学ぶ(教育心理学概説第8回)

日常生活からの学びは自覚的であったほうが良いのかもしれない。

 

人が学ぶ仕組みを活かした学び。生活のためにする活動から。日常経験から。大人が仕事を?少し昔の研究。子どもたちが働く時に。背景から。学校という制度そのものが多様化。学校に行かない人も。学校ではないことから。いろいろやってみよう。学びが在る。学校の外でいろんなことが。地域のバスケットチームで広報誌を。高校では劣等生。学校外の学びと学校内の学びを。働きかけを上手く。卒業できれば地域にも利益。教育のすぐとなりに社会の問題や行政の問題も。
貧困層の子どもたちが路上でお土産物などを観光客に売る。学校には行っていないけれど、高度な計算をしている。路上計算。ストリートマス。路上数学。英語で検索。認知的関心の高い文化人類学者が。ブラジルで家計を助ける子供。どんな計算を。キャンディを椰子の実を、計算が違う?毎日やっている計算。スーパーで予算内に買物を収める。日常計算。学校の計算練習とどう関連するか。いろんな賢さが。人によって文化によって多様性が。繰り返しの経験や創意工夫が有利に?
路上で物を売る子供。ブラジルでキャンディを。学校に行ったことがなくても応用して適用範囲を広げて新しいことも。説明もできる。80年代のブラジル。儲けが出るように価格を。認知過程、ザックス。学習過程。稲垣波多野の中公新書。暇な時に聞いてみる。箱の分全体で考える。誰も教えてくれない。自分で。85年。当時のブラジル。学校に行かなかった子供が。随分良く計算が出来る。他の問題も解いてもらい。物売りでない子供と比較。お札についての知識も。大差がなかった。6種類の紙幣について正しく言い当てる。紙幣の何処で?図柄で判断しているらしい。金額の数字を隠しても判断できる。数字だけだと判断できない子供が多かった。紙幣でなくて数だけだと出来なかったらしい。お金についての足し算や引き算そのものは物売りの子供が良く出来た。計算の仕方も説明できる。28足す26。まとまりを作って自発的に計算する。数を分解してそれから合成。3倍も頻度が高かった。比率。子どもたちにとり難関。物売りの子どもたちは理解していた。クルゼイロ。説明を与える。単に儲かるように高くつければ良いのではなく、複雑なことを。高すぎても売れないし、たくさん売る時には少し安くするなど価格の調整。売り切ることが出来るように。何本か一度に扱うことも必要。インフレが激しかったので大きな価格を扱うことも。お金の単位が変わる。学校に長く行っている子供のほうが理解が高い、という訳ではない。経験そのもので計算機能を。仲間内で協力しあって。考えついていろんなことをやり、他の子が見ている。全体として何が起こっているか分かる。
ブラジルには海岸で椰子の実売りを。ココナッツ。同じような観察。キャンファー。椰子の実について考えてください、数字だけで考えて計算する。やることや答え方に違いが?経験からの実用範囲。10個のヤシの実の計算。実際には有り得ないけれど、計算上で。10個で幾ら?時間の感覚が。即答しないので経験したことはないような。たかだか3個が現実。計算できる答えとして考えている。3個に3個、更に4個必要。3戸と個に。105105105、更に35。かなりなステップの計算を。数の足し算は応用的に出来る。1回やっただけなのに答えは合う。経験にないことでも可能に。実際の場の中で経験が蓄積。学校の場での学びと違っている。問題を変えて、35×4。椰子の実のイメージがない。答えは200。間違い。何が起きているか。キャンディの売り買いで経験がない問題を解いて説明できる。椰子の実の子供も自分の経験をベースに数を操作する。学校で学んだわけではない。数字だけになると経験が活きてくる訳ではない。
違いは何故か?離れたことを聞くと苦労する。2つの研究を比較。キャンディは比率について。椰子の実は数字だけだとうまくいかない。学校の中で解き方がわかったふうにする。何度も経験していることをベースに抽象度の高い問題を。数字だけの問題にして答えられない。2つくらいの要因。経験そのものの質や量、タイプ。少しずつ多様な問題を経験する。違いを考えずに色んな扱う数値の幅の広さ。どちらの子どもたちも数値の幅については広い。バリエーションによりどのような差が出るのが説明しづらい。計算のタイプ。キャンディの方が有利?1個だけ売るのではなく色々なタイプを計算できる。タイプが変えやすくて有利だったかも。椰子の実が経験自体がバリエーションがない。キャンディの方が複雑。現実に近いけれど。色んな組み合わせを扱わざるを得ない。瞬時で対応が出来ないと。現実のものがどれくらいの大きさで組み合わせはどうか。現実社会そのもので決まっている。真似ることが出来る。色んなものが試させてもくれる。現実問題を。買い物を沢山やるとリアリティが高まる。在る種の縛りがあるが、上手く活用する。課題の真正性。きちんと学校の中でどう扱うか。リアルな方が扱いづらいことも。制約は社会で何が出来るか。社会と教育を近づける。数を色んな形で。学校で学ぶこと。経験の裏打ちのない計算。社会との関係でいうと真実性がないことに。現実の人の学びを理解。椰子の実で個数と言うかどうかにも関係する。学ぶ本人の視点から。領海可能なのかを視野に入れていくのは大事なこと。教育現場で計算の仕方を。意味を把握するのと。算盤。習熟することが数の理解に繋がらない。全国大会に出場するような中学生に。5進法的。しかし現実の問題には適用できず。計算の意味を理解。自発的に似たような問題を作って解く。解き方そのものを検討する。
学校を出てからスーパーで。カリフォルニアの成人のプロジェクト。計算課題というのはあまり出来が良くないが。お買い得。日常生活では計算に困らない。本人から見て廻りの世界がどう領海可能か。やっていることを説明できるかどうか。適応できるかどうかを。研究を通して自分にとり意味のある場所で何度も経験することで学んでいく。学校の課題だけではなく。自らの有能性を。間接税が高くなると。有能さを自覚しているのではない。つい最近のこと。自覚していなけれど人間は有能。何が起こっているかを把握することで学校や教育心理学も変わっていける。学校教育の中にある具体的な経験。抽象性を扱う時にもリアリティアが。学ぶの可能性を掘り起こすのが学校教育の目的。

 

臨床心理学概説 (放送大学教材)

臨床心理学概説 (放送大学教材)

 

 

リンパ質(の人)。

ヒポクラテスの医学理論での、人間の4つに分けられる体質の一つがリンパ質とされる。どうも人間の体液として近代医学で知られるリンパとは違うと考えておいた方が良いかも。アランの断章を全文引用する。「これは食べては寝る幼な子の体質である。ふっくらとした柔らかい筋肉、脂肪、乳の幸せ、散漫な注意力。この体質は、大人になっても支配的なままでいる。」まあ幼子の特質としては合致するだろう。鍵になるのは、大人になってもそのままかどうかであろう。逆の性格になる人も多い。というか、ふっくらとしたままだと現在では生活習慣病になってしまいかねない。それに注意力が求められる仕事にも向いていないと言えるかもしれない。勿論、大人になってもそのままの人の方が幸せといえばそうだろう。

声だけで記憶している関係先。

昨日に帰宅すると、某配送業者の不在者連絡票がポストに入っていた。家族宛なので自宅に居て引き取らなければならない。連絡先を見ると、いつも職場で電話をかけている相手先。連絡すると聞き馴染みのあるスタッフの方。一瞬職場を名乗ってしまいそうになる。伝票番号等を伝えて再度の配達をお願いする。相手の方も聞き馴染みがあるのか、私を認識している模様。頑張ってください、などと伝えてしまう。どうも会話がしづらかった。来月に弊店は移転をするので、同じ配送業者にお願いすることになるかは分からない。まあ変わると当分は慣れることはないだろう。変わるとなると何人かのスタッフのお声も忘れてしまうのかと思うと切ない。

教師とスクールカウンセラーとの連携(スクールカウンセリング第2回)

カウンセラーの領域は学校にも重要であることはもっと理解されて然るべきだと思う。大昔のように牧歌的な状況ではないのだから。特にいじめの問題があるから尚更。

 

嘉嶋領子。教師とスクールカウンセラーとの連携。小中学校に勤務。それぞれの専門性を理解し連携することで有効に。受容と共感。勧めて貰うときの留意点。守秘義務の問題。
教師とスクールカウンセラー、専門的技能。固有の文化が。スクールカウンセラーには受容や共感、個人の尊重という文化が。相容れないことも。一人ひとりの児童の成長を支えるという点では目標を共有している。
教師の専門性とスクールカウンセラーの専門性。沢山の児童生徒に関わる。何故か上手く指導できないと思ったことが。そうした戸惑いはベテランになるにつれ増加する。子どもの心の有り様などへの理解が深くなるから。自分自身がより厳しい目を。相談すると新たな気付きも。身近なスクールカウンセラーに相談することも。やや異なる文化を。教師の立場から見えているその子の姿とを照らし合わせる。1つの彫刻に角度を変えてライトを当てると違う像になる。僅かであるほど繊細な表情を。似てはいるが微妙な違いを。教師から見えている子供の姿との違いを話し合う。気づきが生まれることが。スクールカウンセラーの言葉への反応というより、内側の気付き。気づいてみれば極当然かもだけど、意識から消えていたこと。話を傾聴。専門性に基づく日常的な振る舞い。心理臨床的専門性が教師の専門性に触発される。共に事態に向き合う。硬直化した部分が揺さぶられる。新鮮な体験は教育に還元される。
受容と共感。カウンセリングの多くの学派で。先生方にもカウンセリングマインドとして。スクールカウンセラーが何でも受容してしまうと生徒指導と相容れないのではと。ぶち壊してしまうのでは困ると。カウンセラーが受容し共感するのは、追い詰められている心。行為ではない。辛い心がそうさせたとしても、やってはいけないことはやってはいけない。やらずにいられなかった心。受け入れられた時にやすらぎを、自制する行為が。自己実現傾向。自ずと進んでいく。妨げられた時に自己を守る。要因は複雑であり全てを排除するのは困難。何が妨げているのかを理解することで対処しようとする心が。それも自己実現傾向。教育の指導と受容と教官は互いに補い合う。悲哀と不安が。訴えに耳を傾ける。対応の方策がないような子供にも手が届くことが。
先生方が生徒指導や保護者に。自発的にカウンセリングを求めるのではなく、先生方が有効だと考えて勧める時に。カウンセリングという言葉。誰でもがなんとなくの意味を。結果については曖昧な?指示や助言を?優しい言葉で慰められる?治療の場として?カウンセラー自身にとっても難しい。哲学的論考が。相手がどのように受け止められたかが曖昧に。状況に応じて人の心は不安に。些細な言葉も自分に悪く聞こえる。問題があるからカウンセリングを勧めるのか、と考えてしまう。いじめの被害者としての子供。問題は加害者にあるのにと。相談という言葉を使う。真意が伝わる。状況に働きかける能動的な。回復する心が。人の心が回復への第一歩を。児童生徒の問題行動や神経症的症状。家庭内の要因があることも。学校に知られるのは困ると保護者が。カウンセリングを保護者がどのように受け止めるのか、保護者の了解を得た方が関係性から良いことも。必要に応じて守秘義務について説明することも。全ての人の心をきめ細やかに。
守秘義務の問題。重大な秘密が語られたりする。先生も疎外感を味わったりする。誰にでも生じる健康な心の働きだが、心地よいものではない。合理化して気持ちが引いてしまうことも。学校への関わりの中心は教師。スクールカウンセラーは代わりになれない。子供についての見立て。対応を共に考えるコンサルテーションを行うことが大切。成果を学校生活にいかすことを。重要になるのが集団守秘義務の考え方。教師とスクールカウンセラーで必要な情報を共有するが、他には漏らさない。遵守にあたってはそれぞれに微妙なバランス感覚が求められる。情報に慎重な配慮を。きめ細やかな。本人の将来を見通した利益を最大限に考える。
連携によって子供をいじめから守る事例。ある中学校の保健室。生徒と雑談を。女子生徒がすきをみて、男子生徒がいじめを受けていると。傍目には仲良そうだけど、A君にだけいじめをしていると。女子生徒は幼馴染。ダレニモイワナイデと。判断に迷ったが、放置すると危険と。学年主任の先生に話すことに。生徒の様子に気配りをして信頼できる。言葉のままに伝える。B先生は内緒にしてはいけないなと。放課後の校内巡視で、校門のところでふざけ合っていた。A君と話を。いつもと違うと。A君は別にありませんと。ホッとした表情を。いじめアンケートに一緒に行動しないようにしようと、別のグループに。地区の研修会でB先生と。A君が話をしてきて、耐え難くなり自殺したいとあれこれと。分かってくれている人が居ると。嫌だと言い返す力が。いじめの圧力が急速に弱くなる。きちんと拒否されると勢いを失う。固定する前の初期の段階では、用意にいじめ関係が解消される。誰かが信じてくれるという安心感から。自殺に至る可能性があった事案は無事に解決した。誰にも何も言わない。SOSが発信されていると言う認識が必要。SOSをきちんと受け止めて救援を。守秘義務で遮断するのではなく。
先生方のメンタルサポーターとして。公立中学校でスクールカウンセラーとして。先生方が激務に耐えている。かなり遅い時間まで。数人の教師が残って電話したり事務処理をしたり教材を作ったり。帰宅が午前になって7時に出勤し部活の朝練に。土日も部活の大会に。長時間労働による影響が。不登校やいじめの問題。対応に戸惑う。ストレスに。通常学級において、対応に困る生徒が。充分な支援もなしに教師の負担に。保護者への対応。躾を先生に求める。責任を転嫁。ストレスを先生にぶつける。保護者の課題に向き合う。心身をすり減らす状態で勤務、うつ状態に。自身の状態を正しく把握できず、深刻な状態に。困難に出会った時には誰かに相談して助けを求めることが。スクールカウンセラーは立場が違うので相談しやすい。学校の人間関係や職員室の雰囲気、生徒や保護者の特性も共有できる。より現実に即した助言が。多くは臨床心理士。精神医学的な基礎知識を。スクールカウンセリング業務の傍ら医療的な領域に。受診についての情報提供や助言も可能。多くの自治体で。教師の心理的ケアにあたることが出来るように別途予算を。先生方の相談に応じる時間を作ることが出来るように。日常のコンサルテーションや雑談なども教師を支えることが。日常の関わりでよく分からないと感じた時に身近な相談相手として。他愛もない雑談だったりすることもあるが、それで良いだろうと。人事に影響を及ぼしたり現実的なことは殆ど無い。耳を澄ますだけ。だからこそ安心して迷っている時にそのままに話が出来る。ただ聞いてもらうだけで現実の状況に全く変化できないから無駄?だけどメンタルサポートの側面からは、言葉にした結果について気を回す必要がなく、ありのままの自分の言葉と向き合い、紡ぎ出した言葉から理解を勧めることが出来る。メンタルサポーターとして最も適任。身近なメンタルサポーターとしての体制を。先生方との連携を確かに。心のゆとりは子供との関わりを豊かにさせる。学校生活を一層充実したものに。よりよい連携の在り方を。

色欲。

仏教に於いて「性欲」と同義。生物の基本的な欲求は食欲と睡眠欲と性欲が挙げられると考えるが、性欲だけは露骨に言うのは憚られるのが人類の文化に共通するであろうタブーtaboo。なので色々とレトリックrhetoricを用いて、その内容が昇華されて文学や芸術が編み出され現在にまで伝えられる。「現在社会では性的なtabooが無くなりつつある」という俗論が太古の昔から伝えられる。しかし様々な芸術作品などは綿々と産まれている。なので年老いた人間が事態を理解出来ていないものと思われる。