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知的障害教育の指導法 ~その(3) 日常生活の指導・遊びの指導(知的障害教育総論第7回)

正直なところ、小学校ではこの種の指導が本当は必要なのではと。生活や遊びに困っている子どもの話を聞くことがあるので。

 

高倉誠一。知的障害教育の指導法の中の、日常生活の指導、遊びの指導。知的障害に認められた特別の指導形態の1つ。学校で指導するもの?知的障害のある子どもにとっては、自立と社会参加、心身の発達にとっても大事。支えるのが日常生活の指導、遊びの指導。
ある特別支援学校の朝。子どもの大きな声、先生も丁寧に挨拶。上履きに履き替える。靴を脱ぐのをおぼつかない子供や履き間違える子供も。様子に応じてさりげなく支援。繰り返し根気強く、子供が嫌にならないように優しく。教室での着替え。支援は子供により違う。朝の会。同じ年齢でも個人差が大きく、支援の種類や程度も異なる。日々の生活活動そのものが学ぶの場。繰り返される活動。登下校や朝の支度、係活動、手洗い。配膳、食事の後片付け。一日も終わりが。清掃や帰りの会。学習の機会。自立にとって基盤となる活動が含まれている。日常生活を発展的に支えることが日常生活の指導。学習指導要領の解説書。児童生徒の日常生活の諸活動を適切に指導。各教科等の内容が。衣類の着脱、手洗い、排泄、食事、清潔など基本的な。礼儀作法などの社会生活に基本的な内容。諸活動への子ども自身の主体的取組が。教師にやらされるのではなく。子供が自立的に取り組めるよう支える、日常生活が豊かに。毎日繰り返される自然な流れで。帯状に設定。登校の後に、朝の支度や朝の会が含まれるなど。適切な支援を。生活場面は様々だが、要点を説明する。生活敵の流れに沿い。日々の学校生活の必要な場面に即して指導を。着替え指導や食事指導など。特別な時間を設けて訓練をすることは避ける。箸の使い方なども避ける。必然性のない非現実的な指導に。学習上の特性にも合わず効果も期待できない。実際的で必然性のある状況下での指導を。繰り返し積み重ねる。学校での諸活動は生活習慣を含む。反復することで基本的習慣として定着させる。手洗い歯磨きなど、いずれも自立への礎となる。日々の一つ一つの機会が大切。食事の機会は1日に1度はある。手洗いや排泄の機会は更に多い。その都度丁寧な指導を繰り返し行う。生活年齢相応により良い姿で。障害の程度や年齢に関係なく指導が。一般には年齢の低い児童の方が位置づけが大きくなるが、生活年齢相応のより良い取組となるように。中学部でズボンを下ろし小用を足す子供など。朝の会を教師中心から適当な部分を子どもに委ねるなど。よりよい姿での取組を目指すなら、何らかの支えが必要。スプーンを単に使えるだけでなく。出来る状況づくりをこうじて。諸活動に自立的取組を期待。首尾よく成し遂げられる状況づくりが。手応えがあってこそ取り組むようになる。着替えの場面。工夫をすれば自分で取り組めることも。棚をハッキリさせることで取り組む。教師の手出しばかりが増えて、やらされる状況になりがち。活動そのものが嫌になる。いくらでも工夫は可能。食事の場面。さり気なく支える。家庭などと連携協力を図る。諸活動は学校だけでなく家庭や寄宿舎、居住施設などの指導内容と多くが。衣服の着脱。共通理解を図り一貫性を。家庭などの対応が適切な場合もある。相互の連絡や情報交換をして協力を。
遊びの指導。学校で遊び?知的障害教育では大切な学習活動。心身の発達において欠かせない活動。培われる言語概念情緒創造性知覚進歩などの発達。社会生活の礎。子どもの中心的活動。充実に欠かせない。遊びことそのものに没頭する。幼稚園や保育所は中心に遊びを。一方、決まった遊びに固定しがち。遊びこむことが苦手になりがち。生活経験の発達が阻害される。順当な育ちや生活の充実のために遊びに支えが。子どもの遊びを豊かにする取組。学齢期の教育では知的教育だけに認められている。学習指導要領の解説。身体活動を活発にし、仲間との関わりを、心身の発達を促す。考慮すること。児童が積極的に遊ぼうとする環境を。教師と児童、児童同士の関係を促す。身体活動が活発に展開できる遊びを多く取り入れる。遊びをできるだけ制限することなく、衛生面などの灰緑して安全に。遊びを促したり誘ったりして様々な遊びを経験し楽しさを。遊びを教えるということではなく、子供がより良く遊べるよう状況を整える。子供が自分で目一杯遊ぶよう子供自体の取組を。遊びはそれ自体を楽しむ。指導すると本来の遊びの良さが失われる。教師は自ら遊びに取り組むよう環境を整える。学習活動だからと遊びを手段として捉える?数の対象のためのボーリング遊び。指の感覚を高めるために粘土遊び。遊びの手段化は違う。没頭して遊ぶことができれば結果として能力が育まれると考える。実際に展開された単元、ワクワクの森で遊ぼう。子供30名と教師21名が毎日遊ぶ。体育館の中に森のimageで様々な遊具が。中央に滑り山。動線に沿って、ダンボールをくぐる遊具など。テーマパークをimage。場の中心に大型のSymbolが。様々なアトラクション。ワクワクの森も幾つかの遊具が。どれも先生の手作り。テーマパーク、ワクワクの森。子どもたちは思い思いに遊ぶ。斜面がマットになっているのでコロコロ転がる。何度も滑り山に登り降りる。段々と頭から滑り落ちる。先生も滑りながら遊びを盛り上げる。一緒に滑り落ちる。全体を見て安全面にも気を配る。1つに拘る子どもも。近隣の小学校の子供達や保育者も。遊ぶことが出来た3週間。比較的大型。規模も遊びの種類も様々。ダンボールで滑って遊ぶ。プレイルームで電車で遊ぶ。規模も種類も様々。実践上のポイントは共通。週日課表の設定。主体的取組と遊びの発展。同じ時間帯に繰り返し遊べるよう帯状に。一定期間はテーマを変えない。生活の見通しが持ちやすくなる。遊びが継続発展しやすい。単発的に組まれた遊びの場合は分断されてしまう。充分に遊びこむための期間も必要。ワクワクの森は3週間、朝に75分間の設定。遊びの単元化。ある特定の遊びを繰り返し遊んだ経験が在るはず。明日も遊ぼうねと。同じテーマの遊びを繰り返す。仲間との関わりも深まる。遊びの良さや特質を、遊びの単元化。一定のテーマに沿って遊びに取り組めるように。ワクワクの森で遊ぼう。遊びは一定期間毎日の繰り返し。遊びの良さ。単元の計画、日程計画上も工夫。遊具を付け加えたり遊具を改善したりして盛り上がるように。近隣の小学校に招待状を。保護者も一緒に遊ぶ。子供が期待感を持って取組み充実感を。テーマで特設した遊び場で展開。遊びの指導を単元化。生活単元学習。小学部において遊びを取り入れたもの。実践上は同じ。指導形態上の区分に囚われない。場の設定、遊具等の設定。大きな環境要因。ひと目見ただけで面白そうと思える場や遊具を。子ども一人ひとりについて興味関心を持ちそうな。複数の遊具を。動線も考えて。仲間と遊べるように。ワクワクの森では?指導案から。滑り山には高さの違う滑り台を。滑り山を滑った先にモグラトンネルなど、他の好きな遊び場に消えるように。橋は複数乗れるように。ボールの上を滑ったり。トンネルも少しずつ変化を。子ども自身で操作できる遊具の方が主体的に。単元期間中に遊ばない遊具も。アイデアや工夫も。遊びの様子も予想を超えるかも。単元期間中でも積極的に改善を。新たな遊具を加えたり。遊ぶ毎日の教師の支援的対応。子どもの一員として本気で遊ぶ。子供にはそれが嬉しい。遊びが自然になり盛り上がる。疲れている子供を発見したりなど、子どもの様子を看取りながら感じ取れ支援もしやすくなる。子供個々に対しさりげなく支援。離れている子供を誘ったり。上級生との媒を。より良い姿での遊びを。手立てを検討する。1人きりで遊ぶ子供には仲間で遊べるよう手立てを。子供自らの手立てとなるように、強制では遊びではなくなる。教師の支援は細やかでさりげなく、息長い姿勢で。より良く支える。これから遊びを始めます、は不自然。導入などのパターンに囚われない。

 

知的障害教育総論 (放送大学教材)

知的障害教育総論 (放送大学教材)

 

 

戒め。

最初に連想したのはモーセの十戒。そう言えば中森明菜(って知っている人間がそもそもそれほど居るのかは明らかではない)の曲にも「十戒」という曲があったが、ずっと「じゅっかい」と呼んでいた(正しくは「じっかい」)。


中森明菜  十戒 (1984)

それはさておき、モーセの十戒は10の戒めで構成されているが、初めの4つは神との生活についてなので、実際の社会生活では6つになる。各派により微妙に内容は異なる。それにしても(宗教的なものを除けば)実社会で6つで済ますのは少ないと言う印象を私は受ける。法学部では刑法の各規定について学ぶのだが、77条から263条にかけ殆どの規定は処罰される行為について規定される。十戒に比べボリュームが膨大である。しかも処罰規定があるのは刑法だけではなく、公職選挙法など呆れるほど多い。如何に現代社会が複雑になっているかが分かる。それにしても法律家は大変であるなあと法律家ではない私は感じる。

物理的な音(音を追究する第5回)

高校生時代にこんな説明を受けていたら物理に興味が持てたかもしれないと感じた。

 

岸根順一郎。佐藤仁美。大橋理枝。第2回に音とは波と。詳しく。波というのはどういうもの?物理を高校で学び始めると躓くところ。進んでいるようで場所が違ったり時間が違ったり。時間と空間がこんがらがる。音の波は目で見えない。見えるものから。水の波。揺れているところを見るのも難しいが。スタンドの応援団。ウェーブを作る。その時に100人が並ぶ。その100人が同じ時間に屈伸運動を。キレイに揃って体操を。波とは言わない。1番の人が屈伸運動を。2番の人は2秒遅れて。これを繰り返す。遠くから見ていると波に見える。この遅れというのが波の本質。個々の人の動きだけなら屈伸運動を。振動運動とも呼ぶ。バネに物体を。振動が少しずつ遅れて伝搬する。そうすると波になる。振動運動が伝わってくるのが波動。伝言ゲーム。同じ動き。位相の運動が伝搬する。フェーズが。2人が全くおんなじ調子で屈伸運動を。位相が揃っている。同位相。上がっていたり下がっていたり。逆位相。逆な場合。波はその中間。少しずつズレている。振動のパターンをKeepするのがコツ。空気を音が伝わる。空気は上下に伝わることが?応援団に頭をヨコに動かさせる。左右にずらす。上下に屈伸するのではなく。振動の向きは上下だが。直行している。横波という。光は横波の典型例。音波は縦波。応援団員が左右に揺れる。寄っては離れを伝える。振動は左右で伝わるのも左右。平行。これが縦波。空気の分子がギッシリと。あたかもところてんのように歪が伝わる。人をギッシリと。満員電車のimage。空気の中を音が伝わる。空気の中で縦波が発生。音を作るということは縦波を立てるということ。何処かを押す。声も声帯が振動して空気を押し出す。振動のパターンが伝わるのが音波。声の声色の違い。波形の違い。波のパターンの違い。一番キレイな正弦波。単振動。円周を同じスピードで。それを真横から。上下に振動しているように見える。それをた単振動と。調和振動。正弦波に。三角関数。サインやコサイン。もっと複雑な波を。形が大きく変わる。音色が色々あることに。横波の話。上下に振動。運動を始める前から上がって下がる。基準面から。振幅。波の大きさや強さを表す。応援団員が上がって戻って下がって戻って。ワンラウンド終わる。それまでの時間を周期と呼ぶ。1秒間に何回振動するか。周期の逆数に。周期が1秒だと振動数は1。2秒だと0.5ヘルツ。高いヘルツは激しく振動するので声が高い。耳の鼓膜を頻繁に。振幅と振動数。もう一つは波長。応援団員がウェーブを。スナップショットを。うねりが出来ている。うねりはゼッケン番号の頭の位置。つないだ模様。全員並べた時にスナップショット。1回うねったのを波長と。上がって下がって戻る。1うねりの長さを波長と呼ぶ。振動が激しいことと波長が長い短い。大雑把に言うと、振動数が激しいと波長は短い、波が細かく。大縄を揺する。激しく振動させる場合とゆっくりと。激しいと振動数が高い。細かい波に。縄全体ではスナップショットを。波長のために。振動数。振動数と波長が密接に。波を特徴づける。振幅と振動数と波長。波ならではの本性は、組み合わさってできる位相を。振動のパターン。全くバラバラだときれいな波にならない。きれいな波はスーッと左から右に。キレイに波が動く。時々刻々波が移動。てんでバラバラだと無理。振動のパターン。その情報を位相、フェーズと呼ぶ。内容を探ると両方が組み込まれる。位相を持つことが波動の本質。うなり。音楽の世界では位相を意図的にずらして効果的な音を。エレキギター。フェーザー。音を操作するデバイス。効果音を作る。位相をずらす。普通の音から意図的に位相のパターンをずらして重ねる。音を重ねる。波は重なると形が変わる。位相をずらした波を。波の重ね合わせ。波が位相という性質を持っているから。1番が司令を。2番の人は1秒遅れて、これを繰り返すと波が動いているように見える。逆の端の人も司令を。右端と左端から別々の司令が。何処かで衝突する。波の現象がどのようになる。そのまま足す。右からの司令。50センチ。左からは10センチ。差し引いて40センチ。変位。変位を単純に足し算することが出来る。波全体のプロファイルが書ける。グシャグシャだと新たなパターンは作り出せない。音になるとどうなるか?音にするには横波に。応援団の頭を空気の分子に。縦波から。創造力を無理やり働かせると目に見えない世界は理解できない。重なると重なった位置での空気の変位。右からの音源と左側からの音源。右からの音も左からの音もきれいな位相の場合、新たな形の位相の波が。うなり。振動数がほんの少し違う場合。440ヘルツと443ヘルツの音を重ねる。ワンワンワンと。心地の良い音ではない。波というのはきちんとした波を重ねた場合には新しい波が。どういう波と?正弦波を基本に。ある振動数の正弦波が。2倍の正弦波。440ヘルツに対し880ヘルツ。3倍4倍など。沢山重ねる。重ね方を色々変える。少し弱めたり。ありとあらゆる音を作ることが出来る。どんな音でも正弦波に。フーリエ分解。人間の耳には心地よく響く。ピタゴラス。整数倍の振動数の。ピタゴラス音階。ハーモニーや合唱に適する。振動数は2倍に。音を12分に。バッハの平均律。音楽としてどう違う?グレゴリオ聖歌。ピタゴラス音階を。ある基本的な音に対し2対3だったりの整数の比で。物理の立場からいうと整数比で重ね合って。ハーモニクスと。バッハは1オクターブを12分割に。ピアノの鍵盤。隣り合う音は整数比で書けない。何処から始めてもドレミが書ける。今の曲はハープシコードで。同じ曲でも音色が違うが。音色を物理学的に。重ね合わせて。応援団のスナップショットを。波の形にいろいろな在り方を。のこぎり型など色んな。音の世界に戻って、波の形が音色。ピアノの音色やバイオリンの音色。波の形が違う。しかし規則正しく周期的に繰り返されるのは共通。空気の音の振動はぐちゃぐちゃ。バイオリン。複雑だが周期的に繰り返される。位相の情報をKeep。音の音色。波には振幅が。強い音と弱い音。音の強さ大きさ。音の高さ。音色、波形。音の3要素。音楽というものは周期的な波の重なりで新たな波を。同じパターンが繰り返される。複数の楽器が同時に鳴る場合。色んな音があちこちから。干渉し合う結果を音楽として受け取っている。全貌はとても複雑。フーリエ分解。興味深いのはどちらが数学的か。ピタゴラス音階。3対4でなら?数に拘ったピタゴラス的な。バッハは1オクターブを12分割。2倍を12分の1に。2の12分の1乗。きれいな整数の比ではない。音楽で言う半音ずつ上がる。バッハも数学的。違った音楽を聞くのは興味深い。音楽は物理学的に言うと周期的波の重なり合い。音の伝わる速さ。最初に出してみせたのはニュートン。プリンキピア。音速を出したが間違っていた。約1,2倍の差。ラプラスが正す。ニュートンが、空気が圧縮されたりしても温度は違わないと。本当は断熱変化。温度は変わらないという条件を入れる必要がある。物理のコアな話に。物理学は日常のアプローチとは違う形で因果関係を。2500年以上かけて音の認識が。楽しみながら。物理としての音を。音は波であるとのテーマ。物理の入り口を。本格的ルールの一端を。音とは本質的なもの。

 

音を追究する (放送大学教材)

音を追究する (放送大学教材)

 

 

宗教。

葬儀に参列するなどしなければ意識しないもの。逆に言えば葬儀を営めばどうしても宗教の問題に取り組まざるを得ない。2ヶ月前に肉親の葬儀の喪主になったが、肉親の実家が曹洞宗だったので、形式もそれに倣った。以前から某宗教(と呼ぶのは適当なのか分からないが)の会員になってしまっていたようで、時々は会合への誘いはあったが断っている。covid-19が蔓延しており、家族葬で執り行ったので、当然だがその宗教の関係者には連絡していない。つい最近になり出くわしたけど、適当に世間話をして誤魔化した。

どの媒体かのクイズquiz。

昨日の晩にシャワーを浴びていると、玄関のチャイムが鳴る。無視したら幾度となく音が。仕方がないので玄関に出ると、某新聞の販売店のスタッフstaff。同居人と住んでいた時に購読していた。それで再開してくれないかと話す。どの新聞も宅配は断っていると話すと、それで諦めたらしく引き揚げていった。購読を継続していた時は、大阪ドームのプロ野球のチケットticketを貰えるとのこと。対阪神戦なのだが、わざわざTigersの応援をする気にはなれない。なので断った。今年は大阪ドームで開催するのかは知らない。「伝統の一戦」なら全試合を東京ドームで開催した方が良いのではと思うが、新聞の販促も絡んでいるのだろう。ここまで書けば、どの新聞かは分かると思う。

音の感覚と心理的要素(音を追究する第4回)

音楽は単純なものなら世界共通だと考えた方が良さそう。

 

佐藤仁美。大橋理枝。音の感覚と心理的要素。星薫。発達心理学。音楽は小さい頃からピアノを。大学ではエレクトーンも。テイク・ファイブを演奏。クラシックが中心。ジャズも。同じ音を聞いても人により感じ方が違う。心理学で出てくる。五感。それを司る部位。各感覚器官が。感覚モダリティ。異なった受容器を通して。モダリティとしては互いに関連がない。実際に音を聞いて色を感じたり。共感覚者も存在する。バイオリニスト。Bフラットは深緑を。どの弦でどの色を。感覚的経験は質的に異なる。19世紀に特殊神経エネルギーの説を。音波や光波。音波は耳にしか届かない。反対に光波を耳に当てても音を感じない。色聴。音を聞いて色を感じるのは心理学上妥当しない?波の話。人の感覚は見えているのかいないのかが分かりづらい。抽象芸術論。音楽と色を結びつけて。赤はチェロの音色を。緑色みたいな、茶色みたいな。チェロの色と混ざって。温かみを。例えば橙色。ヴィオラの音色を。何となく爽やかな暖色系を。水色と感じる。寒色系。色が薄い?3人居ても違っている。紫はオーボエなど。カンビンスキー。色のイメージが浮かばない。温かみを。人により随分と印象が違う。音楽家ではコルサコフなど。ラは緑など。音は色や情景などを。ハ長調は白。同じ共感覚者でも違う。特殊神経エネルギー説。共感覚者の話を聞いていると、感覚器官で感じる感覚だけではない。耳に感じる音とは別に。音を聞いて感じた気分やimageが色を見た時に感じるimageと似ていると、印象を通じて結びつく。結びついて考えてしまう。3人でさえ印象が違うので、固定的に考えるのはどうだろうか?音色や調性。imageや気分と結びつく。音楽となるともっと情動との結び付きが強い。悲しい出来事や嬉しい気分。自分なりの音楽が鳴り響く。しかし皆そう感じているかは調べてみないと分からない。実は心理学者も沢山調査している。アンケート調査のようなもの。音楽で情動が表現できると思いますか?ほぼ全員が表現できると。そのうちの76%は、音楽は常に情動を表現していると。多くの人達が音楽と感情の結びつきを。音楽家。イギリスイタリアスウェーデン。音楽家たちが感情の伝達を重視しているか?感情の伝達を重要視。83%はいつもそうしている。かなり普遍的。別の演奏家を対象とした調査。自分が行った演奏の中で一番良かった。自分の感情を相手に伝えられたものが。音楽と感情は密接だと信じている。自分の感情のメッセージは聞き手に伝わっていると信じている。聞く側としては自信がないけれど。音楽は特定の情動を表現できているか?心理学では実験をする。作曲者たちや演奏者達が伝える事ができているか。一緒に聞いた人が同じ感情を?バラバラなら伝わっていないが、多くが同じ感情なら結構伝わっていると判断して良い。作曲家の人がこういう表現で音楽を作った。それと同じ感情を聞き取ったか、一致を調べる。実に100以上の論文が。概していうと音楽の衝動表現は比較的良く受け取られている。音楽により感情が表現できるが、基本的な感情とより繊細な感情に分けて、基本的感情はかなりの精度で。悲しみや喜びや恐れなど8種類。もう少しニュアンスを込めてだとどうも怪しい。音楽の伝達は基本的なものに限定されている。音楽に熟達した、自分で演奏ができるなどの人が感情を聞き取りやすいかと言えばそんなことはなく、経験があまりなくても聞き取れる。年齢も関係ない。性別も。音楽が伝える基本的情動については聞き取る能力が。衝動の知覚については人類平等に。感じることが出来るから音楽は国境を超えると言える。音楽が感情を伝えられる程度。顔の表情は万国共通。声のトーンで伝えることも出来る。それと同程度に音楽は表現できる。根本的な感情なら伝達出来る。西洋のクラシックは東洋でも受け入れられる。逆はあまり無いのかもしれないけれど。別の原理が働いている?曲を聞いてどんな感情が?音楽を聞いて。非常に辛さや切なさを。悩んでいるというか暗い感じ。チャイコフスキー交響曲。悲壮。この曲は一番最後の交響曲。初演して9日後に亡くなっている。コレラで。エピソーとがくっついていて悩みなどがハッキリと伝わってくる。音楽表現として、遅かったり短調だったり低音だったり下降線を辿ったり、幾つかの要素で。緊迫して迫ってくる。大変だ。元気がいい感じから、単純にではなく否定的な元気の良さ。前向きではない嫌な。交響曲8番の第1楽章の。第一次世界大戦のレニングラードの独ソ戦で100万人の死者が。人間の愚かさに対する怒り。短調。不協和音。音が大きい。リズムが突然変化。スタッカートが。怒りそのものというかnegativeな。調が無いのがnegativeに。不安定な。平和に。和み系。ベートーベンの田園交響曲。田舎に着いた時の愉快な気分。ウキウキした喜びの気分が表現。曲全体が長調。協和音が沢山使われている。音の高さがそんなに大きくなく、中程度。上昇音階が。段々上に。軽いスタッカートが。音色自体が明るい。音楽は人の情動に敏感に働きかける表現を。感情の中の世界で共有できるものは正確に受け止められる。デリケートな感情までは表現できないけれど。PositiveやNegativeな部分までは同意出来るが、理由までは一致できないかも。音楽に国境は無い?世界中どこでもだけど、本当に国境はないのかというとそうでもない。長調と短調。長調は明るくてPositive。短調なNegativeと。しかしそう割り切れるのか?物悲しさを感じたり。音楽の中で情動を表現する場合、1つの要素だけでなく幾つもの要素を集めて感情の表現を。長調や短調という要素だけで決まるのではない。教えられてそう思っているだけかも。民謡は結構な数が短調で出来ている。サクラサクラを長調と短調で。ファゴット。木管楽器で一番低い音が。茶色の。感じが凄く違う。別の曲。調子っ外れに。悲しいから短調なのでなく。曲の中にウエットな情緒が。日本人が共通して。自然環境が共通している一種の情緒。スキーマ。法事に行った。間違っても楽しかった?などと表現はしない。背景を持った知識があるからこそ、一言だけで通じる。しかし外国の人の前で。まずは法事の説明をしなければならない。1つ1つ説明を。共通のスキーマが無いから。ある特定の集団だけが持つ。音楽の世界にもスキーマがある。日本古来の音楽には精通していないが、聞き慣れた日本の音楽。短調でありながらウエット。長調にすると間が抜けているようになる。民謡の中には短調でありながら嬉しい表現や明るい表現を。マイムマイム。短調だけど喜びを。ユダヤの民がシオニズム運動で戻ってきて。井戸から水が出て喜ばしい。けれど短調。嬉しいと思っていても短調。西洋音楽の教育では明確な区別を知っていてそういうものだと思っているが、地域性があるともう少し集団の持つウェットな感情の表現がある。それも教わるもの。サクラサクラなど。教わったものがスキーマとして共有。音楽と感情。

 

音を追究する (放送大学教材)

音を追究する (放送大学教材)

 

 

後悔。

アランは書く。「後悔そのもののなかには、過去を伴った悲しみがあるだけで、責任者の観念がそこに入り込むことはない。」例えば自分が自閉症だった(今はかなりマシになっていると、大学からの友人に言われるけど)ことだろうか。自閉症の研究が進み、要因としては生来のものが大きい(つまり育て方などの環境面の要因ではないということ)が、遺伝ではないことが分かってきている。なので自閉症になったことを後悔はするが、それだけで良いとも言える。しかし、これからも単なる後悔だけで済ませられるかどうかは分からない。