F-nameのブログ

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明日openの(勤務してない)shopping mall。

明日11月20日は、ming改めEMIRUが阪急高槻市駅下にopenするのは書いたことがある。それにしても某百貨店で働いているなら、その宣伝でも書けば良いのでは、という声は聞こえないことにする。

改装した大半の部分の店舗配置図を見ることができる。

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各店のブランドロゴ。

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夜になるとこんな雰囲気に。

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朝にパン屋さんを通りがかると、プレオープンと銘打って販売が既に始まっている。

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中を除くとこんな感じ。

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今日の夕方に入れるかどうかは分からないが、勤務帰りに様子見を。

精神分析とユング心理学:フロイトとユング(精神分析とユング心理学第1回)

自分の奥を覗き込む行為は、他の人の相談にのるときには必要ではないかと感じる。

 

大場登。森さち子。フロイトとユング。精神分析とユング心理学。
印刷教材。意見交換。精神分析とユング心理学。大場登のユングについての記述。臨床心理に関心を持ったのは河合隼雄のユングの記述。精神分析を専門とするが最初に出会ったのはユング心理学。学部時代に出会う。図書館にいってユングの本を読んだり。河合隼雄の記述には入っていけたが、ユングの記述は難しかった。後に様々なことが分かったけれど。ユングの世界は非常に深い無意識の世界が語られる。20前後の人間には大変な世界だなと。学部で心理学の勉強を始めた頃に精神分析という科目が。小此木先生。お互いに逆。
フロイト。簡潔にフロイトの生涯を精神分析の発祥と絡めて。生涯全体を展望。ある一箇所に焦点を。ユングが1912年13年にフロイトと別れてから不安定だった。とても深いところに。その時の体験がユング心理学の根幹に。一部であったとしても無意識の圧倒性が。ユングの無意識の世界に最初に出会ったときは?河合隼雄を通してユング心理学に。わかりやすく書かれる。ユングは自分の体験を生々しく描く。ユングは順番に書かないで、1のある箇所に膨大な引用や注釈が入るのでついていくのが大変。自分自身が分析を受けて個人的なものを越えた世界に入ってはじめて研究することが出来る。その前には理解するのが難しかった。20歳前後に入り口に立ったところで難しくて引いた。フロイトの精神分析にも戸惑いを。あまりピンとこなかった。人生が関わっているフロイトとユングの世界。自分の心の状態を経験してどういう状態なのかと結びつく。自分自身の人生と精神分析、ユング心理学。研修として河合隼雄に出会い。日本ではそれなりに研修も。最初はドイツ、チューリヒのユング研究所で。フロイトについて書かれたように共通だが、自分自身の心と取り組むのが、それぞれの心理学に大きな要素に。教育分析を自分自身が受ける。夢と徹底的に向き合う。結構長く居た。3年半研修を。日本に戻ってきてそれから2年チューリヒに。分析を受け続ける。37歳の時に資格をチューリヒでいただく。それなりの自分を見つめることを済ませた。ユングが強調しているが、自分の中の意識と無意識のぶつかり合い、個性化。そのプロセスは生涯続く。分析家の資格を受けたからといっても終わらない。機会があっては迫ってくる。自分の人生と。Europaの研修から時間が経過して60歳になった頃、随分体調を崩したことがあった。圧倒的に自分の中の夢が活性化。何年か取り組む。夢との取組は分析家の前のときとはレベルが違う。とても大変だがとても深い経験。生涯を通して向き合い続けなければならない。一般的なイメージというか分け方、図式的に言うと、精神分析は大人になる辺りまでにスポットが。人生の午後の方にスポットが当てられるのはユング心理学。しかしそうでもない。自己分析。自分を知ることが終わることはない。フロイトの生涯の中で最晩年。闘病、癌と向き合いながら人生を送る。今日的テーマ。20世紀の初めに向き合う。フロイトは確かに科学的という言葉を意識的に強調していた。文学や考古学などに幅広い興味を持つ。恐らくユングとも共通。時代の状況という前提があって。科学というのを強調。分析家による匿名性。どんな治療者であろうと出来るのが科学性。最晩年にはやり取りで気がつくことがあると公に言える。逆転移の分析。確立の段階では科学性を強調し、確立すると自由に。小此木啓吾。精神分析的な治療態度、治療構造論。決まった時間に集中して会う。西洋の精神分析をもたらす。ある意味で厳しく精神分析の形を強調する。実際は臨機応変で情緒もあったけれど。精神分析が確立したら治療態度において自由に。ユング派心理療法が器は緩やかであると言われている。そういうところもあるが、河合隼雄が京都大学に居てユング派心理療法を導入した際。時間や場所や料金の器を重視。日本的なものもあったけれど。基本的にはユング派ということになっているが、フロイトも尊敬していてとても好き。フロイトが好んで、波に漂いそれで沈まず。フロイトとユング共通。夜の海の航海という比喩。焦点は違うかもしれないが、心の海に沈んでも巻き込まれない。ユング自身がvisionや夢に見舞われたときに精神病になり不安を。そこでもユングは圧倒的な無意識を理解しようとし続けた。ユング心理学で見逃されがちだが。visionなどを理解しようと。フロイトとも共通のものが。イマジネーション。そこの理解の仕方が。クライエントによる展開。何も解明しないでそのまま見守るのが重要と思ってしまうと、クライエントはどう体験するか。精神分析学派だが言葉を多用しない。何処かで言葉で理解しようとしているが。共有できる言葉を探す。日本のユング派で危惧すること。言葉にせずに見守る。クライエントの中で暗いことが。そういう夢が。まずクライエント自身にも伺う。自分の中でも読みを幾つか。何処まで伝えるか。そのセッションでわからないことは幾らでもある。何ヶ月か経って分かることも。あるタイミングで言葉や幻想がクライエントから出た時にそれと関連させて。クライエントの中で深いところが。それが動かないわけがない。難しければ難しいほどセラピストの心も動き出す。クライエントのテーマと共通だけど自分自身の人生と関わるような。そんな夢が頻繁に出てくる。自分自身がセラピストをしているが、自分自身の夢とかなり決定的に向き合う。不思議なことにあまりクライエントに伝えないことが多い。自分が経験すること。次回までにクライエントのテーマと同じような夢に取り組む。その中でそれが出来たら次の夢の段階に行っていることが。言葉ではあまり伝えないが、両者のコンステレーション。星座。色んな意味連想テーマが意識レベルでも活性化する。浮上してくる。向き合うことが双方に要求される。それでクライエントが進んでいける。精神分析の世界に置き換えながら。あり得ることや経験したこと。自分自身のある意味心のテーマやクライエントに共通のことが。自分自身の色んな経験があってクライエントを聞くと活性化して夢に見る。逆転移から。自分の体験も個人として考えるが、常にクライエントとの交流も思いながら向かい合っている?意識の上では?意識的につなげることは?無意識的には繋がっているが。自分の中ではクライエントのテーマと。クライエントだけのことでもないが。必ずしても生育史的なポイントそのものがあって向かい合う。ユングから言うとフロイトはエディプスコンプレックスが人間の普遍性に。フロイトは人間の心の中の人類に普遍的な。エディプスコンプレックスも大事な葛藤、課題。深い考察は色んなものがある。

 

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

精神分析とユング心理学 (放送大学教材)

 

 

熱心。

日本企業は一般的に社員の教育について熱心だと言われている。特に大学卒業して(殆どは直ぐに)入社してきた社員については1社残らず熱心に教育を施す。その中には自衛隊の体験入隊をさせて集団生活の規律を身に着けようとさせる企業もある。要するに企業も経済社会の中で戦争をしているようなものだから、というのが理由に挙げられる。しかし、その体験入隊が上手くいったとして、企業の中で役に立つかどうかは別の問題である。何しろ今の経済社会は状況が目まぐるしく変わるのだから、上司の指示を墨守するだけではとても市場に対応なんて出来ない。まあ令和の前の平成の前の昭和の時代なら、それでも何とか役には立ったかもしれないけど。まあ殆どの体験入隊をした新入社員は適当に済ませているのが実情ではないかと思う。

通用口の前の人の群れ。

今日の朝に出社しようと百貨店の従業員用の通用口から入ろうとすると、前に人間が群れを為している。

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最近でも何回かこういう状態になっている。小売業に従事しているのを棚に上げて言うけど、密が酷い。マスクを着用している人が殆どだけど、それでも怖い。係員と思しき方が誓約書らしきものを書かせたりもしている。どうも旅行会社のツアーの集合場所に設定されている模様。このcovid-19の蔓延で旅行会社が窮地に立たされているのは承知している。私の友人にも雇われている人間が居る。しかし通らなければならない場所に多数の人間がウロウロしているのは避けて通りたいのが本音。まあ、そこまで言うなら店舗で働くなと反論が来るだろうけど。なお感染対策は、入居している百貨店でもテナントの弊店でも実施している。お客様に感染させる訳にもいかないから。しかし第3波が来ているので、春のように営業停止になるのが恐怖である。

社会的協力とはどのような活動だろうか(社会的協力論第1回)

高槻のJAZZSTREETより横浜の方が盛り上がっているのだろうか。比較が必要かも。

 

坂井素思。社会的協力とはどのような行動か。協力とは?お互いにラジオを聞こうという意思がなければ成立しないし、喋ろうと思わなければ伝わらない。ラジオを媒介して、2つの力が存在していて合わさった時にそれ以上の力があるのが協力ということ。グリム童話集。ブレーメンの音楽隊。ロバが犬猫雄鶏を誘ってブレーメンに。音楽隊に参加して強盗の家までもせしめる。4者の協力でハッピイに。4つの特徴。ロバと犬と猫と雄鶏という奇妙な組み合わせ。犬と猫は犬猿の仲。猫と雄鶏も食う食われるの関係。それぞれの役割を。協力関係の中で多様な様相を見せる。多様性が存在することが協力ということの1つの条件に。多数性や多様性、複数性。それぞれ別々の立場であることが協力の前提。4つの役割を持った者が何故参加するか。強盗からごちそうをせしめる。食べていくことが出来て住むところが。自分の利益になるから参加。表面上の理由に。しかし1つの大きな目的が。最後に音楽隊を目指すという共通の利益が。ロバが楽器を演奏する。声を出す。音楽隊という狙いがある。音楽を目指すという目的と食べていくという自己利益がある。協力をしあった後。何か動物たちに連帯感が生まれる。皆で力を合わせないといけないことから。ロバの上に犬が猫が雄鶏が乗る。ヒエラルキー、階層性。通常は動物の上に動物が乗るのを嫌うが。強盗を脅かすことが可能に。協力以上の何かが生まれる。network性や集団の潜在性。ロバにしても犬猫雄鶏にしても、人間の家に飼育されていた。歳を取るなどして人間から追い出される。雄鶏も食べられてしまうという。1つの協力体制がくずれて非協力になった者が協力を求める。多様な人々。参加する。
横浜市内にはあちこちにジャズクラブが増えてきた。横浜はジャズの街に。イベントが。13年を基準に。ジャムプロムナード。色々な人々が協力し合う典型例。イベントでどういう協力活動が?主催者側の方でどういうように協力体制が。観客や来るお客様の間で協力関係やサービス。主催者の方。かなり沢山の方々が。どんな人々が?実行委員会形式。団体が幾つか。横浜ジャズ教会などが集まって1つの実行委員会を。横浜には他にイベントが。その実行委員会の人も。複数性。複数の者が走っていて運営形態が違う。営利団体や公的団体。違う人々が何故一緒にできるか。JAZZと横浜の街はフィットしている。開港以来JAZZが。Smoothにフィットしやすかった。思いが1つになって行政や個人や民間団体が。結束。JAZZという大きな基盤が。営利や行政やボランティアの別々の目的がまとまる。観客やお客さんとしての参加の場合も。JAZZを楽しむなら横浜。街の辻辻でコンサートを。10万人を超える参加者。色々な方が居る。プロのMusicianとアマのMusician。どういう違いがありどういう形で一緒に。ホール会場。有料のチケットを。20以上のジャズクラブ。ジャムプロムナード特別ステージ。街角ライブ。野外での。プロはホール会場とジャズクラブ。街ではアマのMusician。会場から会場までの間で楽しむ。外国から来たMusicianが終わって街角ライブを。横浜の街を楽しむ。プロとアマが交錯する場面が随分ある。演奏者同士の交わりは少ないけれど。400人以上のボランティアが参加。セッティングなど。楽屋裏で情報交換を。ジャンルが色々。ロックぽいものやクラシックぽいものも。選んでいる方々は主催者でどういうマネジメントを。横浜JAZZ協会。評論家などが呼びたいという形でブッキング。Musicianの方から参加を申し出てくれる人も。音源などのアピールを聞いて組んだりもする。多種多様なMusicianが。毎年出る方々も。外国から来られる方々も。普段と違うJAZZを。外国のMusicianを選ぶ場合には?参加性ということを重要視。海外から来られた方々も招聘するのではなく先方からアプローチや問い合わせがある。国内にappealをしてもらってこちらから声をかける。参加について目論見が上手く出来ている。広がりや参加にJAZZということで共通点が。深く結びついたものがPromenadeだけでなく他に広がる人のつながりが?横浜JAZZクルー。ボランティアとして参加してくれる方。2日間の運営を。出会ったことにより別のJAZZのイベントにボランティアに。人生というものがあり色んなものに参加し自分の役割を。色々なものに参加しつつ自分の人生を創る。典型例は?参加ということ。その人の人生の中での位置。毎年信念の手帳を購入。JAZZプロムナードの予定を最初に書く。イベントを起点として色んなスケジュールを。色んな人と。イベント自体が様々な人間が。企業や提供者が参加ということで1つに結束。その意思が強い。演奏することが得意だったり。イベントを魅せるのに長けたり。会場としても参加。ボランティアの人は無償で労働を。企業が出来る限りの協賛金を。それぞれの得意分野を持ち寄って。横浜という共通点、地域性が溢れている。横浜市から援助が。内側から皆で作っていくという意思。具体的には?Promenade、回廊。イベント自体がフリーパス。缶バッチをつけてもらえれば何処でも見て回れる。横浜の街を楽しみつつ。横浜は重要なkeywordに。日本のお祭りのように閉鎖的ではなく、開放された人が動いたり色んなことを。開港して150年あまり、外に対して開いている。行政の援助。全体の中でいうと行政の援助は7分の1くらい。無いと厳しいが全体に対する割合が低い。チケット収入と企業協賛金。街角のMusicianから参加料を。参加者も構成員として。協力の中で夏にワンデイイベントで旭区のJAZZ。本牧のJAZZ祭。JAZZプロムナードのは秋。実行委員会にも参加を。他のイベントのボランティアがJAZZプロムナードにも。ボランティア団体とも結束して。
JAZZプロムナードのInterview。沢山の方々が参加。複数性。参加する時に表面上だけでなく深いところの理由。参加性。結果として人々が結びつく。協力という活動には特色として。理論を紹介しながら深く。ヒトと人とが結びつく。アリストテレスはポリス的動物。社会があって対立するヒトと調和しながら人間関係を創る。人間は社会的動物。アダム・スミスの交換により互いに自己利益が。交換モデル。ウェーバー。上下関係を。支配モデル。互酬モデル。レヴィ・ストロース。人間が協力し合うpattern。共通性が。多くの人が集まる。初対面の時に如何に調和をもたらせるかを考えないといけない。他者との関係で自分がどういう行動を取るかが多様な価値観の。多様性が前提に。それぞれMusicianは。ボランティアは助け合いの精神で。それぞれ自分の利害関心に合わせて。皆JAZZが好きであるという共通性を。自己利益だけよりも結束性が良い。関係し合う場合に表面上の利害関心だけでなく奥に共通の利益があると協力しやすい。一般利益。コミュニティ。ゲマインシャフト。それに対して自己目的だけの参加も。アソシエーション。ゲゼルシャフト。参加をする場合のコミュニティ的にJAZZが好きだという一致。皆が好きだという深いところの共通の利害関心まで降りていく方が良い。協力は最終の目的として、皆がnetworkとして結びつく。網の目のような活動から結果が出る。協力という問題は、排除された方が協力を求めていて内側に誘うのかが重要。

 

社会的協力論―協力はいかに生成され、どこに限界があるか (放送大学大学院教材)

社会的協力論―協力はいかに生成され、どこに限界があるか (放送大学大学院教材)

 

 

暴力。

日本の刑事法の中には、「暴力行為等処罰に関する法律」というものがある。多数による暴行行為などを特に重く処罰するための法律であり、現在では主に暴力団に向けて適用されている。しかし法律要件の上では暴力団と限定されていないので、学生運動や労働運動などに適用される可能性が皆無ではない。日本の法律上の暴力は、直接的に一定の主体が現実に暴力行為をする場合に限られる。しかしながら、「構造的暴力」という概念も国際政治学上では有力に主張されている。一定の暴力の主体を持たないもので、貧困や差別や愚民政策などが挙げられる。単に直接的な暴力を絶無にしただけでは社会問題は解決しないので、「構造的暴力」という概念も有用性を持つと言える。

昼下がりのロクでも無い電話セールス。

自宅で過ごしていると、随分と久しぶりに固定電話の呼び出し音が鳴る。今日はたまたま眠っていなかった。どうも悪い予感がする。10年ほど前から、私に連絡する時にはmailかiPhoneにしか着信しなくなっている。うるさいなぁと思い受話器を取る。電話口には聞いたことのない業者名。古着などの不要品を明日から買い取りに参ります旨の話が。当方の名前を呼んでいないので、電話番号だけを頼りに電話してきた模様。ベルが鳴っているので、誰かの電話であることは相手方に知られてしまっている。想いあぐねていると、レコードなど具体的な物を指して不要品がないか聞かれる。生憎だが無い。そもそも不要品があったとしても、訳の分からない業者とは取引はしない。何個か聞かれた挙句、突然に電話が切れる。まあ電話マナーも出来ていない業者が上手くいくとは思わないが、この手のbusinessは絶えない。事前には首尾よく出来ると思ってしまうのだろう。ううみゅ。