F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

心のはたらき2:行動論と認知論(臨床心理学特論第8回)

様々な療法が絡まっていることが理解できた。結果だけ取り出すことができればよいのだろうけれど。

 

小川俊樹。心のはたらき。行動論と認知論。パラダイム。無意識論との関連で。反無意識論で共通。現代の心理学はブントから。自然的心理学から経験科学としての心理学を。心理学の対象は直接経験の学。関節経験の自然科学と異なる。薔薇だ、は自然科学。赤いバラを目にしての印象。直に感じる。生の体験、直接経験を対象に。研究方法は内省。意識心理学。アンチテーゼとしてその後の心理学が発達。無意識論や行動心理学。連合構成主義に対して。心理学の歴史は意識心理学からの。無意識心理学からの発展。日本の臨床心理学はアメリカから。無意識を重視。アンチテーゼとして行動療法や認知療法が。行動療法のアイゼンク。精神分析療法と対して。精神分析に別れを。合理情動療法、論理療法のエリスにしてもベックにしてもロジャーズにしても精神分析を学んだ後で別れている。日本の臨床心理学は輸入の臨床心理学。一直線に取り込んでいる。日本独自の森田療法と精神分析の関係。森田療法は神経症の発生機序を巡り激しい論争が。土居健郎も言及。行動論と認知論について主要な理論を。
行動論。学習。経験を通しての学習を中核に。アイゼンクの著書に、学習からの。しばしば行動主義心理学と対峙している。しかし行動の重視では一致。パーソナリティ理論の系譜。フロイトは経験論者。スキナーやバンミューラも。ユングとアドラー。発達早期の母子関係を重視。学習の重視に。行動論は無意識を認めない。フロイトは素質を強調。
行動論と言っても3つの立場に。レスポンデット型学習。犬の唾液の実験。古典的条件づけ。バブロフ。ベルが鳴った時に犬が唾液を。どのように?その過程が条件付と呼ばれている学習。条件付の前には、ベルを鳴らしても唾液を出さない。ベルは食べ物ではない。ベルを鳴らした後に。食べ物を。条件付。唾液分泌が条件反応。犬に備わった反応であることが。強化。消去。バブロフ以降に多くの学者がレスポンデット型学習を。汎化や弁別など。第二の学習の型がオペラント型学習。道具的条件づけとも。スキナーによる学習の型。空腹状態の後に行動を観察。装置は鳩がくっつくと排出物から餌が。入れられた鳩があちこちを突っつく。試行錯誤。学習を。成立するには自発的に行動する、試行錯誤が必要。動かない鳩は学習しない。オペラント型学習。学習された行動はレスポンデット型学習と異なる。強化は異なる。行動に随伴するのを強化。母親から部屋を掃除しなさいと。好きなお菓子を貰えるので頻繁に。正の強化。部屋掃除をすることで母親の行動が減る。負の強化。逃避型条件付。回避条件付。前提に試行錯誤という自発的行動が。何らかの効果がないと。ソーンダイク。猫を箱に閉じ込め紐を引っ張ると脱出できるように。試行錯誤で短縮。効果の法則。日常生活でもしばしば目にする。学習する者が報酬を受ける。報酬を受けなくても成立。モデリング学習。真似することでは模倣学習でもある。他者の存在を前提。社会的学習理論。親のマネをしたりするのは日常的。バンデューラは殴ったりしている映像を。大人の行動を真似て攻撃行動を。称賛されればされるほど行動が増す。効果の法則が。直接の報酬がない場合も代理効果が。実地の臨床心理面接では技法として。系統的脱感作法。フラッディング法。トークンエコノミー法。モデリング療法。
臨床心理学における認知論。事象をどのように捉え考えるか、認知の考え方が。個人の主観を客観性に欠ける、とは異なる。意識を重視する。認知論が精神分析と袂を分かつとも言えない。親イメージが変容する、認知の変容という点も。技法は異なるが同じ観点。意識の層に。認知論にも様々。内外の事象を知る。心的機能の複合。事象をどう捉えるか判断するか。非支持的カウンセリング。カウンセリングや心理療法とは認知変容。代表的な。エリス、ベック、森田正馬。エリスの理論。先行する出来事AがCを生むという因果論に異議を。認知の仕方Bが結果を生むとする。現在の状況はAがあったに違いないと考えがち。試験が悪くで落ち込んだ、因果論。成績が芳しくなかったからといって落ち込まない人も。定期的な試験では。同じ経験をしても同じ結果ではない。情緒的な反応を起こしたとは言えない。自分が馬鹿だ、との認識。難しかったとすれば反応は異なる。出来事をどう考えるかの認知が反応をもたらす。コップ半分の水。認知の仕方をビリーフと。合理的ビリーフと非合理的ビリーフ。自分は馬鹿だ、というのは非合理的ビリーフ。柔軟性を欠く。何々するのは当然だなど。修正するために精査して不合理さを見出して論駁して。ABCDE理論。Dは論駁する。不合理さを見出す。Eは適応を促進する効果。effect。行動論は因果論に立脚する。行動論と認知論を結びつける。認知行動のベック。うつ病を防ごうとして、診療の中で患者の訴えに共通点が。自分に対して周囲の世界に対してなどを否定的認知の3条項。周囲への最悪観や絶望感など。否定的認知の3兆候。薬ではなく、自己認知を肯定的に変える。認識を変える。周囲から充分な成績を上げながら自分が所属機関の足を引っ張っている。事実認識に歪みが。うつ病に限らず7種類の認知のゆがみを。恣意的推論。独断的に推測判断。連絡がないと嫌われている。二者択一的思考。両極端を。曖昧さ耐性が低い。好きか嫌いか。洗濯的抽出。関心があることのみに推論を。嫌われそうなことだけ。過大視など。過度の一般化。一時的なことを永続的と。ちょっとしたことを一般化。人生の否定に。自己関連付け。自分と関係ないことでも。友達が第三者への嫌悪感を。情緒的理由付け。感情に左右される。自分を理解してもらい認知の歪みを治す。2つの認知過程。自動思考。成功者の話を。スキーマ。個人の経験的要素などから。深層にある。スキーマの考えは無意識論とは異なる。複雑に絡むというのは共通しているが。
森田正馬。事象をどう捉えるかが感情や行動に影響を。コップ半分のジュース。認識の違い。エリスもベックもどう認知するかをかえることで。アメリカのプラグマティックな。ポジティブ療法。講義療法などとも。認知を変える。日本生まれの森田療法は変えるというより認知の変容を強調。神経症の一例として森田神経質を。自分の心身状態の過敏さ。過剰な気付き。元には死の恐怖、生の欲望。取り越し苦労をする心情。感情的事実。換気されると心身の不調に向けられる。一過性だが除去しようと努めたり予期不安になりがち。悪循環を。精神交互作用。とらわれからの解放を。意識の焦点付と感覚の敏感化の悪循環の固定。あるがままに受け入れることが重要。体験を重視して。事実本位。自然に任せる。生の欲望は自己実現へと。精神交互作用に陥らずに健康的な生活を。判断を停止する、体験重視、事実本位の考え方を。認知論に属する。森田自身の悩みから生まれた。心理的障害、社交不安。仏教がベースに。英語やフランス語にも訳されている。
行動論と認知論。犬恐怖。犬が怖い。その人は過去に犬に噛まれたことがある?不快な経験から。行動論的。噛まれたか不快な経験によってか、モデリング学習のように他人の体験からか、過去の体験が犬恐怖を。犬に噛まれた人全てが犬恐怖になる?噛まれたことがない人は?犬恐怖に。認知論の立場。現実の犬ではなくシンボライズしているに過ぎない、心理力動論。精神分析で代表される無意識論との違いを。類似のものがある場合も。無意識論と行動論は過去の経験重視では強調。ユングとアドラーは目的論を。意識論と無意識論も精神分析の治療目標は認知の修正とも捉えられる。包括的に考えていくことが必要。

 

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)

 

 

幸福。

幸福であることが人生にとり重要なことであるのは、現在では疑いがないと思われる(そうでない時代もあったのは忘れ去られている)。「幸福経営」なんていうものも提唱されている模様。まあそれは良いとして、「幸福である」という状態をどうやって測定するのかが、心理学などの研究をする際には課題になる。研究者は様々な尺度を開発して、アンケートを実施して分析を行なっている。「私の人生は私の理想に近い」などの項目に答えてもらう訳であるが、その項目を抽出すること自体がかなり難しいのではないかと門外漢である私には思える。

医療崩壊とミスド。

昨日の夕方に首都圏で緊急事態宣言が出されたと思えば、大阪府でも宣言が発出される状況になっている。東京都で感染者が2000人を超えたのには驚いたが、大阪府も安心出来る情勢では無い。府もベッド数などを増やそうとしているが、重症者の数が超える可能性が高い。そして医療崩壊は静かにやって来る(もう来ているかもしれない)。私は日常的には高槻市の市域を出ないし、医療機関も多いのだけど、それで安心できるとも思えない。急に重篤な症状が出ないよう祈るしか無い。遠距離を通勤される方はもっと大変であろう。

今日の昼休みは久し振りにMr.donutsに行った。ドーナツが並べられた棚にガラスの引き戸がつけられていたのには驚いた。

f:id:F-name:20210108123455j:image

テーブルの間にも仕切りが設けられている。

f:id:F-name:20210108123519j:image

心のはたらき1:意識と無意識(臨床心理学特論第7回)

ユング心理学を突っ込んで学んでみるのも良いのかもしれない。今更evidenceのない学問をするのはどうか、と突っ込まれるかもしれないけれど。

 

大場登。フロイトにおける無意識の発見。ユングの無意識論。
フロイトとの共通性。エディプス・コンプレックスが普遍的にあると。両親と小さい子供。3人状況に係る。コンプレックスは心の渦のようなもの。フロイトは近親者からの性的誘惑以外に、人間の心のなかに空想があることを認識。心的現実として認識することが重要。フロイトの考え。人間の心の中に普遍的にエディプス・コンプレックスがある考えは、ユングと共通。集合的無意識。原型。エディプス原型。個人的な生活と。人類共通の無意識。集合的無意識。個人的無意識には心理的渦。これがコンプレックス。それに対しより深い無意識。人類共通の様々な渦。原型。フロイトのエディプス・コンプレックスはユングによって原型と理解。言葉は違うが共通の心理的渦を。コンプレックスは個人的外的トラウマ。対人関係の渦。それに対しモチーフが様々ある。こちらが原型。フロイトはエディプス原型を発見したが転移、幼少期のクライアントの体験が再現するということ。キーパーソンとの関係。個人生活の。ユングは原型が見られても個人的無意識が検討。エディプス・コンプレックスがぴったりするかも。
ユングの無意識。フロイトはあまりに不快なものであるがゆえに抑圧されているのが無意識。抑えなければならない衝動の世界。無意識を否定するのではなく意識するのが大事。そこから精神分析を創造。ユングは意識を修正して働きかけ続ける。創造的働きを見ている。個性化の過程のベース。コンプレックスが自律的であることを強調。無意識の中のコンプレックスは意識により対応を迫られる。無意識内コンプレックスで固定化を免れ個性化の道を。創造的な面。心理療法の実際においても。どのようにしたら良いかがわからない場面が頻繁にある。どのような道か明確にわかることは殆どない。クライアントが見つけるのを見守る。基本的な姿勢。夢がどのようなものかを聞いてみる。自我がもはや判断が出来ない状況で無意識に導かれてみる。フロイトとは随分と異なる無意識観。夢そのものが大切なメッセージ。補償という観点も。人間の意識は長い時間をかけて少しずつ築き上げられる。家族との関わりなど。それぞれの事情の中で意識が創造すること。人間にしか出来ない。旧約聖書の創世記。エデンの園を追放されて以来、築き上げる仕事は人間を人間たらしめる営みに。ところが個人的にも集合的にも意識を築き上げるが、停滞固定惰性化する危険を持っている。もともと外交的な人間だったのが、ネットワークを積極的に築き上げる男性。大変な努力を。中年のある時、夢の訪れを得る。それほど稀なことではない。夢というのは精神科病院の廊下を。階段の下を随分と降りる。廊下の奥の小さな灯りに。小人のような者が居る。かなり強烈な不安とともに目を覚ます。夢を聴いていろいろな印象を。舞台は精神科病院。夢見ては精神科病院とは遠い関わりを。接点はない。随分と深い地下の世界。灯りのあたりに座敷牢。10年20年ほど前の閉ざされた空間。足音を耳にして顔を上げ夢見てと目を合わせるところで目覚める。不安感も。かなりの数の人が初老期にこの類の夢と出会う。外交的で地位を築いた人にこのような夢が無意識が。疑問符が。立派ではあるのだが自分の中の精神科病院。薄汚い小人のようなものが。夢そのもののイメージと解釈ではなく。夢を読むことの背景には色々な観点や視点が。夢は意識のあり方に補償という働きかけをしている。対人関係などに外交的。心の中の精神科病院や座敷牢に目をかけないできた、ある意味で衝撃的。意識のあり方としては立派だが、他方では顧みないできた存在や姿勢の犠牲により成り立つ。従来どおり続けるとすれば意識の枯渇に繋がる。薄汚れた小さな存在が教えてくれる。夢見ては小さな存在と目を合わせている。新しい関わりのスタート。無意識からの補償、修正の働きかけをどのように関わるか。無意識の補償作用。あくまで無意識の声に耳を傾けること。意識の働きかけも重要。疎かにしがちだけど。このような夢を見た場合に能動的な関わりを。子供を思い浮かべてどのようなことを語っているのかに耳を傾ける。意識の中でも。ユングが方向喪失感を、創造の病。能動的想像。無意識との関わりを非常に。「赤の書」。無意識との対決が。夢を見たとしても座敷牢に無関係で有り続け見物している姿勢。メッセージが無視されて症状を送ってくるか意識が枯渇停滞する。現実に適応するたけの人生に。無意識からの働きかけに意識の要としての自我がどのように向き合うか。目が合ったのだから目を逸らすことなくどのような存在なのかをじっくりと。幼い子供がどのような存在かわからなかったけれど、関心を続けるなら男女などが少しずつ明らかに。想像的でなくても無視せず心の中で向き合うなら無意識からのメッセージを。夢の続きに違和感?しかし日常的。問題を抱えたクライアント。耳を傾ける姿勢に。様々なことを語る。セラピストは漂うような注意のあり方で耳を傾ける、クライアントに夢が訪れる。その夢について問いかけをするかもしれない。クライアントは日常の時間で夢の座敷牢に向き合う。夢の続き、続きの夢に出会うというProcessが。自我と無意識をユング派心理療法で。個性化のProcessを進展させるのが無意識。無意識に委ねる。意識の偏ったあり方を修正してより生き生きと、補償。他方無意識の働きかけがあっても意識や自我が能動的に関わるかどうかも決定的に重要。自我と無意識に関して。ユングは少し異なるニュアンスで。無意識には自我を飲み込むようなことがある。集合的無意識、原型。人間の無意識には個人的な事情の奥に人類共通の集合的無意識が。確かにエディプス・コンプレックスやカイン・コンプレックスといったものは個人的だけでなく人類共通のコンプレックス。エディプス原型など。葛藤や死の愛情。兄弟姉妹間の。普遍的集合的に。個人を超えた集合的な無意識が活性化すると、かなり心理的に深刻な。心の構造。アメリカのスタンフォード大学の実権。看守と囚人。02年にはドイツで映画化。「エス」として日本で公開。囚人と看守の役割。潜めていた権力が噴出。看守役は制服を。囚人を監督。命令力暴力を。日常を越えた。囚人は圧倒的力の前に服従。暴力行為も。心理学者自身も巻き込まれて制御できない。命令と服従暴力虐待という力関係。力の恐ろしさ。どんな人間であっても力という魔力の犠牲に。方向喪失感の13年から無意識の奔流に晒される。ユングの自伝。神経症の心理学に対し精神病の心理学と。無意識イメージの圧倒的活性化に。無事に切り抜けた、Processを通して自らの心理学を。器の効果。実に大変な意識的努力を。活性化して無意識イメージが。必ず言葉や絵で表現する努力を。イメージは圧倒的なので尋常ではない努力を必死に。書き留めた夢などを理解する意識的な努力。無意識からの要請もあった。ナイトテーブルの引き出しには銃が。極めてリアル。書き留めるだけでなく意識的に向き合い意味するところと付き合う。錬金術の研究。古今東西の膨大な資料と取り組む。集合的イメージを理解しようと努力するProcessに追いて。苦しい時期にあっても日常的な営み。職業的家族的義務を。無意識の奔流に飲み込まれないように自我が圧倒的努力を。意識的努力。無意識と意識の葛藤から心理学が。ユング自伝。若い頃の夢。霧に覆われる。小さな灯りは消えようとしていた。黒い姿が背後に。どんな危険があろうと灯りを守り続けなければ。巨大な妖怪は灯りにより出来た自分の影が浮かび上がったこと。小さな灯りは意識的な自我。唯一最大の宝物。脆くて壊れやすいけれど自分の唯一の灯り。

 

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)

臨床心理学特論 (放送大学大学院教材)

 

 

善良な。

昨日に続きblog内で検索をかけると、Twitterの書き殴りをblogに転載していた10年前のentryを発掘した。17時36分に「若者の暴徒化」とか書いている所に引っかかった。

 

私は平成の初めての成人式に参列したのを記憶しているが、そんな昔でも式典で喋りまくる人間がやたら多くて、話もロクに聞けたものではなかった。時代が下るにつれて一部の若者は成人式を機会に暴徒化して(しかし報道で取り上げられるのは本当に一部でしかない)、その他の善良な若者は色眼鏡で見られて迷惑に思う人間は多かったと思う。それでCOVID-19の蔓延が起こっている現在では、人間が群衆を作るのも少なくなり暴徒化も殆ど無くなっている。ただ若者を卒業した人間は勝手なもので、大人しくなっているのはエネルギーが少なくなっている兆候なのではと論じる。どっちやねん。

緊急事態宣言の発出。

首都圏では緊急事態宣言が夕方に出たのではないかと思う(今このentryを書いているのは昼休みだけど)。昨年の4月に宣言が出て以来、covid-19絡みで出るのは2回目。経緯を知る限りでは前回と内容を変えて、飲食店に規制のfocusを絞る模様。しかし補償は雀の涙であるのは同様である。それだけでも効果があるならまだしも、感染拡大は止められないのではと考える人は多い。他人との飲食がclusterの温床になっているのは確からしいけど、今や感染経路が不明な症例の方が多い。なので人の流れを少なくするしか、感染拡大を食い止める方策は無いと考えられる。結果論かもしれないが、国民にも責任はあるだろうけど、行政の責任もあると考えるのが妥当のように思われる。まあ各自で感染対策を取らなければならないのは変わりが無いけど。

議会・政党・選挙(日本の近現代第4回)

システムだけ導入しても思想の内実はなかなか定着しないものであるらしい。今でも無理なようかもしれない。

 

有馬学。議会政党選挙。議会や政党、選挙は今日では政治制度の根幹に。明治時代に輸入。明治23年。10年後は政友会という巨大政党が。伊藤博文が代表。藩閥の指導者が率いる。総じて言えば比較的短期間に定着。とりわけ選挙という競争システム。時間をかけた合意形成とは全く違った。地域社会の末端には?拒絶反応ではなく選挙の興奮に。定着過程について、地方的基盤において日本の政治を。政党の成立から。
明治の日本人が政党を如何に理解しようとしたか。福沢諭吉。3度の洋行。西洋を直に体験。科学技術に関わることでは驚かなかった。本を読めば分かる。福沢諭吉の理解を超えたのは、社会制度や政治制度。機械文明に驚くのではなくシステムの理解を。如何に明治の日本人の理解を超えるものであったかを。自伝で。2度目の海外渡航。選挙法が分からない。どんな法律で議院とはどんな役所か。党派には徒党のようなものが鎬を削る。政治上の喧嘩。分からない。大変だ。日本随一の西洋事情通にしてこの有様。73年の板垣退助らが愛国公党を。1910年の自由党史が主張。徒党を組む。既存の日本語でpartyに近いのが党という名辞。苦心の跡。90年末の帝国議会。多数派は立憲自由党などの政党。制限選挙ではあったが国民から選出。議会と政党との関係、選挙の実際。
議会の解説と政党選挙。帝国議会の権限などは制約されたものだが、民意を反映しなかったわけではない。大日本帝国憲法。実質的な予算の審議権を。議会が同意しなければ予算は成立しない。増税もまた議会の同意を。最初の議会で立憲自由党や立憲改進党。政府の予算案の削減をしようとした。地租の低減は利害に直接関わる。地租は最大の税収だった。定数300の衆議院において反政府等は過半数を。問題はこの場合の経費節減。政府が同意しないと出来ない。採決前に政府の同意を。事前に同意を求めても無理だから交渉を。自由党内の土佐派による。土佐派の裏切りとして語られる。初期議会。第4議会ころまで。富国強兵と民力休養。予算を巡って激突。実際に91年末からの第2議会でも政府予算案の大幅削減を。解散で応じて第2回の総選挙が。そこで使われ始めた民党と吏党。選挙の性格。何時頃から使われるようになったか。中江兆民が。幸徳秋水が書いている。中江兆民全集。立憲自由新聞で土佐派の裏切りを批判。おそらく初めての例。土佐派に憤慨してか議員を辞任したが。しかし全国に流布したわけではない。民党吏党という言葉は、地域社会の末端に浸透。きっかけとなったのは92年の第2回の総選挙を通して。死者などの流血衝突。松方内閣の選挙干渉。過程で政党制のシステムが定着するのに意味を持つ。
第2回総選挙。衝突は広く知られている。政府の指令によるものとしては意義もある。地域的党派関係から複合的に。一方の党派によるのには警察の暗黙のものも。福岡県。安場保和知事のもとで玄洋社や熊本国権党の衝突。死者も。永江淳一の手記。生々しい。福岡県第6区。党の候補者の活動を。刀で足を切られ縁先に放置される。吏党と知事の関係を物語る。党派的背景を持つ県知事のもとで警察が黙認。実力行使は一方のみでない。地域社会における党派的な対立に二項対立的な要素が。宮崎県では民党対吏党の紛争が頻発。数多くの地域紛争が。民党による支配。大字の中の1つの字が民党。村落内の軋轢により想像されるような構図とは逆。役場小遣いや学校小遣いに至るまで民党になる事例も。自党になびかない小作人から土地を取り上げようとする自由党の地主も。大字。紛争では地域住民の殆どが民党吏党に選り分けられる。大字という地域社会。大字間の対立。町村合併への不満。町村のうち4分の1を超える。それでも400近くのものが100に。地域の生活空間が再編成。住民にとり不安が。日本民俗学の柳田國男。大字は対立するものであった。隣村は肌合いが違い反発心が。なんでもなかったように落ち着くには60年ほどかかることも。合併による新しい町村はアイデンティティに不安が。数による意思決定という異質なものが、選挙制度。不安と緊張をもたらす。第1回では1%に過ぎなかった。多くの住民も熱狂的に参加。栃木県では10倍もの人間が講演会に集まる。地域感情を背景とした住民全体が対立構造に。党派的対立の中では政治理念の違いは意味がなかった。
地域感情に基づく大字の対立。政党システムの日本的定着。民党と吏党の政策面の違いは地域社会ではないに等しい。でも関わらず二項対立的な図式として定着。民や吏が含む価値意識。民は逆に地域社会でプラスの意味を。福岡県の第2回総選挙。玄洋社。反自由党。新聞では偽の民党などと。対立党派も民党というのを否定は出来ない。本当の民党ではないと。吏党派とされた人々も選挙の担い手で同じ出自。玄洋社の人々も自由民権運動の担い手。民党吏党の紛争。九州地方では地域結社のゆるやかな連合体として九州改進党が。解党後も親睦会が開催。地方の結社活動を盛んに。大同団結運動。89年に後藤が入閣して運動そのものが分裂。大同倶楽部への参加を巡って。民党吏党とっても同じ運動から派生。政策的理念に大きな違いはない。初期議会に吏党の指導者の中には自由民権運動の担い手であった者も多い。人脈が吏党という政治的人脈に。政党の地方的基盤の。末端で政治勢力の競争が。政治的に構造が。第2回総選挙が選挙干渉として。党派間の対立が定式化したということ。新たな町村が心理的に定着するのは2世代を要する。末端の地域社会では政党は地域の人間関係そのもの。選挙権がなくても参加資格を持たないことにはならない。居住する地域で何者かを語ることが出来る。町村制というものは帰属意識を破壊しようとした。村人の観念についての大字。選挙という制度の導入が大きな意味を。誰にでも結果がわかる競争システム。競争が可視化されやすい。政治に参加できる非日常的経験。上位の競争システムに連動することで中央の対立が影響する。政治的に主体化を。
西洋から輸入された政治制度は比較的短期間に定着。伝統的な村落共同体に異質なものを拒絶するのではなく自分たちの価値観に応じて取り込む。地域間の強豪にフィットした。

 

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)