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31年前の平成初の成人の日。

今日は成人の日。私が20歳で成人の日を迎えた1989年に於いては、成人の日は1月15日で固定されていた(1月の第2月曜と記憶している若者は多いだろうけど)。冷静に考えれば、1989年(昭和64年)に昭和天皇が崩御されたのが1月7日なので、その8日後に式典が華々しく執り行われたことになる。崩御で世間のムードはどんよりとなっていたのを記憶している。そんな様相なら式典は自粛すべきだという意見があっておかしくはないが、89年にも式典は行なわれ私も列席している。当時はスマホなど携帯電話もほぼ皆無だったので、同級生と約束なんてしてないけど、高校の頃の人間とは何人か顔を合わせて喫茶店で話したのを思い出す。

今年の成人はcovid-19の蔓延でエライ目にあっている。集まるな等と周囲の方々から思われているだろうから。朝の高槻市中央部では振袖姿を何人か見かけたので、式典は挙行されたのだろうけど。

環境問題と経済学(環境と社会第4回)

経済学で制約条件の議論は後回しにされがちだけど、今後は真っ先に考える必要があるのかも。

 

植田和弘。環境問題と経済学。現代の環境破壊の具体的形態。環境汚染、アメニティ破壊、自然破壊。環境の基本的諸機能。生命サポートシステムなど。互いに影響しあい補完し合う。これらの機能を活用して産業活動や生活を。環境により支えられ、利用する要素の究極的源泉。諸機能の破壊や劣化。環境の機能が破壊されることが環境破壊などに。資源ストック。全ての機能を。あらゆる環境破壊を。環境経済学は人間の経済の。経済学の立場からみた環境の性格。環境は公共財。共同消費の性格、非排除性。同一空間にいる人は空気を協同して利用。排除性もない。環境は土地固着性を持つ。歴史的に形成されたストック。代替出来ない地域固有の。京都の環境は悪化したからといって別の環境を買うことは出来ない。京都の環境は人々との関わりで。地域固有財。一旦破壊されると復元されるのは難しい。不可逆的。環境の経済的性格は詳細に検討すべきだが。一部分が経済財として利用されているが、通常の経済財としては困難。利用可能にする公平公正な社会システムが。現代の経済学はどこまで有効な分析と政策を?従来は主要な研究対象としなかった。環境破壊それ自体が問題として認識されなかったが。経済学的処方箋。主要な研究課題。貧困、不平等、不況。貧困であるが故に充分な生活が出来ない。経済成長の重視へ。経済発展は全ての人が生活をよく出来なかった。格差の拡大が。多くの経済学者は格差や不平等を問題に。生存権を保障する福祉国家の成立。デフレ状況からの脱却が問題だが。かつては大恐慌が起こり失業者が。恐慌を引き起こす問題。景気循環をコントロール出来ないか?財政政策や金融政策を。マクロ的財政金融政策を。3つの問題に対して枠組みを作り出し経済はコントロールできると。しかしグローバル化で事態は悪化しており解決は容易ではない。依然として立ち向かうべきテーマ。地球環境問題は困難な3つの課題への処方箋を。認識を踏まえての経済学的分析が。閉鎖系として成り立ち得ない。内部の経済現象も環境との相互作用が。生態系に絶対的限界があれば。生物学的ポテンシャルの40%を使用。30年には80%に。生態系を使用し尽くす方向に。発展史の中で資源や環境の制約条件を重視する考え。マルサス。スミスが自由放任主義と分業や技術の進歩があればと楽観的だったのに対し、人間の力では制御することの出来ないものが。食料の生産については追加的投資でも、収穫逓減の法則。労働を追加的に1単位投入したとして、同じ土地から1単位得られるとは限らない。土地という制約の重視を。マルサスは「人口論」で人口は等比級数的に。食糧は等差級数的に。均衡への自然への。大きな困難。経済に対する資源環境制約。類似の考えが繰り返し現れる。72年のローマクラブ「成長の限界」。出版時にネオマルサス的とされる。資源環境制約の現在版。自然環境問題。環境経済学の源流。エントロピー経済学。「石炭問題」。石炭政策の擬似的循環。石炭が消費の幾何級数的増加により枯渇する。資源制約論。資源環境制約論に対し、産業革命期以降の社会的限界。マルクス主義経済学。資本主義という政治経済システムの問題として。マルクスやエンゲルス。物質代謝の過程。独自の生産システムで。自然破壊と人間破壊が。資本主義的生産システムの変革がなければ自然からの制約を。制御できる社会経済システムを。現代流には人間と自然が共生出来る経済社会。労働時間と生活時間の区別を。ミル。「経済学原理」でリカードの議論を受けて経済成長Processは停止状態に至ると。停止状態とは定常状態とも。経済的には人的資源と物的資源が一定。そうした定常状態にある社会を積極的に評価。もし富と人口の無制限の増加のために大部分を失うならば、より多くの人口を養うだけならば。定常状態では経済的産業的進歩がなくなるかもしれないが。資本主義が順調だったにも関わらず、人間的進歩という観点から批判的な。生活の質や幸福度につながる。今日の主流派経済学の環境へのアプローチ。ピグーが厚生経済学の外部不経済論で。厚生経済学は福祉水準の一番高い経済社会を如何に作るかの体系。外部性。マーシャルに始まる。外部性を論じたのは各企業に起こる生産の低下で。大規模生産での費用低減、企業の内部経済と外部経済に分けられる。内部的要因と外部的要因。economy。第一義的には節約という意味。生産費が内部的要因で節約されるか外部的か。両方の場合がある。内部要因と外部要因を区別するところにマーシャルの貢献が。外部不経済という概念をピグーが。具体的に環境問題が起こっていた。鉄道機関車が火の粉を飛ばして結果として沿線の森林が焼失した例。外部不経済の重要性。事例に即して言うと鉄道事業者自体のコストとして認識されていない。鉄道運賃は低く。消費者は焼失したコストが含まれていない。低い費用をシグナルとして過大に消費。森林は過剰に焼失。固有の欠陥。明らかに社会にとりコストだが、明示的に扱われず取引の対象にもならない。市場の失敗。ピグーは活動がもたらす社会的費用と私的費用の乖離を埋める、環境税などの税金で。仮定する。社会立法などの規制も。ある企業が活動することに伴い社会全体にかかる費用と企業の負担が乖離しているのが自然破壊の原因。外部不経済の内部化。市場経済制度における固有の欠陥を認識。市場に対する公的介入を正当化。環境制限の理論の出発点。経済学の発展史において着想が与えられている。その後の経済学が市場現象に集中。経済分析には馴染まないとされてきた。そのため環境経済学という理論的体系に発展させるには戦後の経済成長とその対価の環境破壊の深刻さが。環境問題を外部不経済の内部化として考えるのは処方箋として有用。87年に持続可能な社会。経済発展と統合的に考える。持続可能な発展。世界委員会。日本の提唱での賢人会議。87年4月の報告書。持続可能な発展というターミノロジーが。理念としても妥協的?曖昧さを残していると批判されることがあるが、経済発展からの深い反省から。地球的規模で考える時に立ち返る概念。80年代は石油危機後で先進国は低成長だが、世界的には成長。しかし自然の持続可能性を低下。社会の持続可能性も。10億人近くが絶対的貧困に。人間としての条件に関し。世界人口の5人に1人近くが。社会経済システムの欠陥。80年代。発展途上国は先進国より高いが地域間の格差が。東アジアは非常に高い。アフリカや東欧南中米では低成長。世界経済のGNPは史上最大だが、貧者はますます貧しくなる。格差の拡大は安定している世界と言えない。持続可能性を低下。自然と社会の持続可能性の低下。新たな持続可能性の発展。80年に地球保全計画。より明確な理念を。持続可能な発展は考え方を根本的に変えることで経済発展と環境保全を。持続可能な発展とは今日の世代のニーズを。幾つかの限界が内包されている。生物圏が人間活動の影響を吸収。新たな時代を開くために改良することが可能。具体的内容は明確ではない。地球サミットのように新しい方向性を模索し具体化の方法を巡って議論を。システム全体を救うのが。貧困の排除。資源の再生。社会発展へ。経済と環境の統合。持続可能な発展は単なる両立ではなく経済発展の尺度を変えること。一般に経済成長とは経済の量的拡大を。GNPの増加。経済発展とは経済の質的変化を含む。指標としてのGNPは福祉を示すのに不適格。健康や栄養状態、教育、基本的自由などを尺度として同等に重視する必要がある。経済成長から社会発展へ。社会的公平の問題。国内次元はもちろん、主として国際間、南北格差を。何らかの国際的再配分システムが必要。現行のODAの評価問題。国民国家を基本単位とする枠組みだけでなく、先住民の権利の保護も。伝統文化や地域資源を利用した開発のあり方を。環境や自然への配慮。経済的要素と統合。一般的に環境や自然への配慮だけでは不充分。個々の経済主体の意思決定で。社会的効率。近視眼的な効率の追及だけでは持続可能性の低下に。将来世代を含めた社会的効率が具体化される必要が。outputはその評価についても生活の質などの観点を。大量生産大量消費大量廃棄は経済的にも効率的とは言えなくなる。3つの要請に答えうる持続的発展の経済システムとは。地球的環境問題においても。国際社会での合理形成が必要。社会的公平の理念の具体化は容易ではない。社会的意識や実行可能性も差異が大きい。持続可能な発展論が20世紀工業文明を問題視。人類的課題。

 

環境と社会 (放送大学教材)

環境と社会 (放送大学教材)

 

 

 

環境経済学 (現代経済学入門)

環境経済学 (現代経済学入門)

 

 

勇敢。

アメリカでトランプ大統領が就任してから特に顕著だと思うが、中華人民共和国に対する包囲網が西側の民主主義国家(但し民主主義と言っても様々な形態があるが)の間で勇敢にも敷かれている。「勇敢」と書いたのは、対中貿易が制限されるリスクを敢えて犯すからである。中国が90年代にグローバルな貿易網に本格的に参入してから、各国の中国への依存度は増す一方である。もちろん中国も貿易面で各国に依存している。相互依存の関係がある中で、中国での人権侵害に対する批判が西側には根強い。舵取りはかなり難しいが、COVID-19の問題が更に積み重なり益々ややこしくなっている。

しばれる今冬。

今年の冬は凍れる(「しばれる」とiPhoneて書いたら漢字に変換した)。私の住む高槻市は京都市に近いので、子供だった昭和後期には氷点下になったのはよくあったが、ここ数年はそれほど冷えることは無かった。今冬は寒気団が南下するのが頻繁になり、今朝も氷点下までになっている。covid-19の蔓延でマスクを着用しているから顔面は冷えないが、自転車に乗ると耳元は冷たい。雪国では自動車が立ち往生になっているとNHKのNEWSは報じている。対策は各々でしている筈だから、よほど寒気が強いのだろう。とにかく春の訪れが待ち遠しい。

昼になっても寒いし風も強いので、身体を温めようと思い、リンガーハットで野菜たっぷりちゃんぽんを食べる。

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コーパスに基づく自然言語処理(自然言語処理第4回)

日常的に自然言語処理はバックグラウンドで使われているはず。その原理を学ぶのは必須なのかもしれない。

 

黒橋禎夫。コーパスに基づく自然言語処理。文を単語に分解する形態素解析。単語辞書に登録されていない二次語をどう扱うか。系列の処理。前提となる重要な話を。自分の言語直感によってが昔。限界があった。90年以降はコーパスを作り意味を与えるという方法論が。自然言語処理の大きな進展が。
コーパスとはある作者の文章を集めたもの。シェイクスピアの作品のコーパス。現在ではデータを集め情報を付与したものを。注釈付与コーパス。まずは単に文書を集めたコーパスから。生コーパス、ローコーパスとも。60年代のブラウンコーパス。新聞書籍雑誌などからバランス良く収集。80年代から。言葉を分析して数億語規模のコーパスが。ブリティッシュナショナルコーパスなど。今ではWeb上の多様性の観点からも有用な。Web文書コーパスは数兆語にも。コンピュータが自動抽出が出来る。フェアユース。公正な利用なら著作権の侵害にあたらない。カーネギーメロン大学のコーパス。日本では以前は法律が整っておらず収集することも違法だった。10年施行の著作権法改正によってWeb文書収集が合法化。それを配布して共通利用することが出来ない。日本語話し言葉コーパスなど。言語の注釈も付与されているが。生コーパスの中で対訳コーパス、パラレルコーパスが。自動翻訳の精度の向上。パラレルコーパスの利用を。
単に文書を収集しただけに対して、注釈付与コーパス。人手で付与する、タグ。与える注釈としては固有名詞、語の意味など様々。最も有名なのはペンツリーバンク。500万語に情報を。約300万語に構文情報が。注釈の見直しなどが。品詞と文の構造。入れ子構造。文全体を。名詞句の部分と動詞句の部分に。構文の解析。指揮したのはマーカス教授。ペンシルバニア大学。論文を国際会議に投稿したが不採択に。非常に先駆的だったのだが世間がついていかなかった。意義は歴史が証明。機械学習などに。他の様々な言語においても形態素などの。中国語なども。日本語では京都大学テキストコーパス。毎日新聞95年の記事100万語を対象。自動解析したものを人により修正。各行が1単語の情報。係り受け関係を。注釈付与コーパスの意義は?自然言語処理の問題の明確化。どのような品詞と文の構造が適切か、1つの正解があるわけではない。ある程度の規模のテキストを観察し注釈を付与することで問題として適当な仕様を定めることが出来る。詳細な仕様書やマニュアルが。問題の明確化。注釈付与コーパスには共通のデータ評価が。独自のデータで評価がされたのでは本当の問題点は分からない。注釈を正解と考えて精度を出すことでどのような特徴があるかなどを。機械学習の表紙データとして。文脈中の手がかりを統合して曖昧さを解消する。組み合わせ方を考える。機械学習の手法を。評価型ワークショップ。注釈付与コーパスを構築してタスクを明確化する。様々な手法についての評価。情報検索のワークショップ。定期的に新たなタスクを、コネル。評価型ワークショップで構築された注釈付与コーパス。継続的に利用され新手法に。
生コーパスから抽出。言語モデル。大げさ?非常にシンプル。確からしさを。出現確率はより妥当な出力を。準備としてマルコフモデルを。天気を予測する問題。一日ごとに今日までの天気から明日の天気を。明日が晴れである、条件付き確率。今日と明日の天気の確率変数。今日の天気が曇りという条件がある時に明日の天気が晴れとなる確率。長い期間を考慮することが必要だが。N日以外は依存しないとする。マルコフモデル。転機の問題を1階マルコフモデル。過去の履歴を限定して。過去1年間の毎日の天気。最尤推定。観測されたデータのパラメーターの推定。相対頻度を求めれば良い。今日が曇りで明日が晴れになる確率。曇り晴れが20階。曇りが100階。確率0.2。マルコフモデルによる天気予測。言語の並びについても。Nグラム言語モデル。出現確率が決まる。Nの値が。直前の1単語のみを。天気の場合と同様。単語の並びの頻度を頻度で割る。単語並びのデータ、生コーパスから。1つ前の単語。具体的な単語について計算。私の次に「は」。生コーパス。日本語などでは単語分割が必要。形態素解析を行う必要がある。Nグラム言語モデル。ある表現や単語の出現確率を求めることが出来る。文の確率は文頭という条件で。「私は本を買った」。掛け算を行う。文の出現確率を計算。マルコフ過程の近似。長い履歴を見ることは大規模コーパスでも難しいので、短い履歴でも日本語の特徴を捉えている。「を」の後には自動詞より他動詞を。それなりに大きな値を。言語モデルは単独ではある単語列の出現確率を与えるだけだが、組み合わせて大きな威力を。音だけを頼りにすると、ドミソの和音と多かった。話者の発音が明確でなかったり雑音があったりすると。日本語の妥当な解釈は相対的に大きな出現確率を持つはず。正しい解釈を選択することが可能。Nをどのような値にしたら良いか。長い履歴を、より高い確率が。逆にデータスパークネスの問題が深刻に。生コーパスに関係。Googleが日本語ファイルグラムを公開して有効とされる。ニューラルネットワークを用いた計算も。大規模な生コーパスがあれば言語モデルという文の出現確率が。様々な知識を。
まず生コーパスの利用法を。注釈付与コーパスの利用に。構築され整理される。分類問題。注釈付与コーパスを表紙データとして機械学習の手法が。英語の品詞タグ付け。わかりやすい。日本語分の単語分割。区切るか区切らないか、適切な単語列に分割できる。多くの問題は分類問題として、機械学習を。分類問題の基本的考え方を具体例で。毒キノコの問題。見分ける未知の分類問題。組成。色や発見場所など4種類に。傘の形や柄の形。あくまで機械学習のための例。あるきのこが組成の束、組成ベクトルで表現できる。事例を幾つか既に知っているとする。表紙データ。各行が1つの事例に対応。赤、丸、長く、地面であるきのこ、毒キノコではない。8個の事例を知っているとする。未知のきのこを分類することを学習。分類技、ラベル。比較的素朴な方法で充分に高い精度が。ナイーブベイズ。入力の組成ベクトルとラベル。最も確率が高いラベル。最大となるYを。アーブマックス。変数。Y。変数の値に応じて様々な値を。式が最大となる。条件付き確率。表紙データでない未知の組成ベクトルの場合は?実際の問題では非常に沢山の組成が。未知の事例を如何に分類するかが機械学習のポイント。ベイズの定理。アーグマックス。関係のない項を除去。ラベルに対して各組成が独立であるという近似。毒の有りなしを。それぞれの組成の確率を考えその積で近似。ラベル有りと無し。各々の組成の確率を掛け合わせる。組成ベクトルとラベルで問題を表現。非常に多くの問題を。顔の認識。誰であるかをラベルと。病名を診断する。組成ベクトルとラベルで。機械学習は応用範囲が広く自然言語処理にも寄与。英語の品詞付与の問題に。前後にどのような単語があるかが組成になる。
コーパスに基づく自然言語処理。言語モデル。機械学習の利用の導入として。言葉は多様。コーパスを用いて評価を統一。コンピュータが機械学習するように。

 

自然言語処理〔改訂版〕 (放送大学教材)

自然言語処理〔改訂版〕 (放送大学教材)

 

 

 

自然言語処理概論 (ライブラリ情報学コア・テキスト)

自然言語処理概論 (ライブラリ情報学コア・テキスト)

 

 

滑稽さ。

明治時代とそれ以前の時代を分かつものは色々とあると思うが、新聞というメディアが誕生したのもその一つ(書いていて私は新聞部に属していたのを思い出した)。その新聞の中に、明治時代に宮武外骨が実質的な発行人になっていたのが「滑稽新聞」であり一定の成功を収めた。内容としては現在の週刊文春をイメージしてもらえると良いのではないか。宮武外骨は何度も発禁処分を受けたが(戦後にGHQから受けたこともある)、ジャーナリズム精神を死ぬまで発揮した。彼や様々な人々が日本のジャーナリズムを築いたのは記憶に留めておかなければと思う。

飲食店の営業制限とテレワークの推奨について。

首都圏で緊急事態宣言が発出されたのは誰でも知っているし私も何回か書いている(関西圏でも出される見込み)。去年の1回目と違アナは、飲食店にターゲットを絞り、企業などのテレワークを推奨するのが強調されていることである。飲食店の夜間の営業時間を短くするよう働きかけるのは効果はあるかもしれない(しかしevidenceは私にはよく分からない)が、当の飲食店にとっては、何故ウチだけが虐められるのかと感じるところが多いのでは。まあ食べたり飲んだりしているとマスクは外すし、話をしていてマスクをつけないままというのはあるだろうけど、国民の意識を高めるしか解決案は無いのではないかとも感じる。後はテレワークの導入で人の流れを減少させるのも重要だが、企業にとっては抵抗もあるだろうし、特に弊店のような小売業では難しい。そして人の行き来が減ると打撃となるのは運輸業などもある。感染拡大が収まれば良いが、仮にそうならないなら更に厳しい政策を選択するしかないであろう。