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教育行財政における国と自治体の関係(教育行政と学校経営第3回)

複雑な制度設計になっていると思えるが歴史的経緯を踏まえて論じないといけないと思う。

 

村上佑介。教育行財政における国と自治体との関係。教育行財政における役割分担は複雑で重層的。円滑な実施に重要な要素。関係が具体的にどうなっているか。関係ではどのような特徴や課題があるか。
第二次大戦後の日本では自治体だが戦前は国が。ただ知事と言っても現在のように選挙ではなく多くは内務省の官僚で国の任命、官僚的な教育からの反省から地方分権が。自治体のしごとに。しかし自治体だけで完結はしない。教育の機会均等の観点から同じ教育が。国の関わりも必要。現在の市町村、都道府県、国の基本的な役割。市町村は小中学校の設置や教員。社会教育も。公立の小中学校は市町村に設置義務が。設置管理や施設整備は市町村。都道府県は重要な権限。権利負担教職員制度。広域的な仕事も。高等学校や特別支援学校の管理。特別支援学校については都道府県に設置義務が。公立の高等学校は多くが都道府県立。教職員の給与負担は都道府県が。合わせて小規模自治体への支援も。国は直接管理する学校は少ないが、自治体管理の学校につき一定の質の教育を保証するために基準などが。学習指導要領や学校設置基準。学校の運営に必要な費用の負担や補助。国立大学の運営費の負担。役割分担については実際には複雑に。高等学校の設置。それぞれ行っている。カリキュラム、教育課程は各学校が編成。学習指導要領が最低基準として。自治体は各学校に指導助言。それぞれ関連する権限を。
教育行政における国と自治体の関係の特徴。教育行政に限らず行政学や地方自治論で関係についての議論。中央集権的なものか自治体が一定の自律性を持っているか。行政学では補助金などで垂直的行政統制モデル。地方の政治家の影響を。水平的整備競争モデル。自律性を重視する立場は国と自治体は相互依存の関係と。教育行政では文部科学省の影響を重視することが多い。縦割り的な上意下達の教育行政のイメージが。90年代後半頃から自治体の自律性を重視する見解も。論争的である。行政学や地方自治論では融合と分離の軸も。融合分離とは行政史の研究で。分離とは区域内のことであっても中央政府が独自で分担。国が自ら出先機関を設けて。税務署や社会保険事務所。融合。地方団体が固有の行政機能と合わせて分担。旅券の交付。日本国民の証明だが外務省が出先機関を設けるのは非効率。都道府県が法定受託事務として担当。教育行政では国の出先機関は無いので融合。他の行政に比べて特殊?日本行政は出先機関での処理もあるが多くは都道府県や市町村が国の事務を一定程度処理。英米では国と地方自治体を分ける分離型が主流。融合型は自治体の役割が明確でなく、責任の所在が不明確になる。一方で新しい行政サービスを自治体がいち早く取り入れやすい。分離型では自治体が先取りできないが。融合型は住民のニーズの政策化が可能。70年代に各種の福祉政策を。国が後追い。融合型は重複が起こることがある、一方で重複は災害時のバックアップに。分離融合という用語については区域内の事務で出先機関か自治体か。重複していなければ分離などと捉えることも。融合的。踏まえた上で国と自治体の関係の特徴。国都道府県市町村の関係が重層的。地域に根ざした教育や教育の機会均等。負担金などの財源の保障や基準の設定。国全体としてのナショナルスタンダードを。自律的な裁量を。矛盾した要請を同時に満たすように。ナショナルスタンダードと自治体の裁量。ローカルオプティマム。教育や福祉の分野は対人サービスが主。現場を多く抱えるので近い市町村が決めるのが望ましい。しかし財源の確保は難しい。国や都道府県の負担や補助が必要なのも1つの要因。教育行政は国が自治体に、都道府県が市町村に指導助言。国が自治体に技術的な助言や勧告が。一般ルール。教育行政では地方教育行政法。個別法で指導や助言が出来るという特例的な規定が。是正要求や是正指示ではない非権力的な。指導行政、指導助言行政が特徴であるとも。指導行政は国による関与が実質的に強くなり指示待ちに。教育行政は文部科学省や教育委員会などの縦割りで上意下達。07年度からの全国学力テストで国の影響力が強まっている。縦割り集権的な、首長から一定程度独立した教育委員会制度で民主的統制が弱くなり縦割りの要素が。指導助言規定のような特例的な規定で縦割り集権的な実態を生み出す。他の分野に比較して実態として強いという証拠はない。融合の場合は自治体の仕事に国が関与するので集権的とも。画一的な実態が。横並び。集権的であることの証明?実際には相互参照していて国が押し付けたわけではない?縦割り集権性があるかどうかは実証研究が必要。教育委員会と学校。幅広い権限。服務や財産の管理など。校長にも一定の権限が。卒業認定などは校長が決定。各教育委員会では組織編成や教育課程など教育機関の基本的事項について学校管理規則を。
国都道府県市町村の教育委員会の独自の制度。県費負担教職員制度。市町村立の小中学校の給与の負担。大半は市町村立。市町村の職員。原則からは市町村が負担。一般の行政職公務員と異なり都道府県が負担。その3分の1については国庫負担金として。実質的には都道府県が3分の2。市町村は負担していない。地方公務員の4分の1以上の約70万人の給与は負担が大きい。教職員の確保や教育の維持向上を図るために。広域人事の必要性。市町村を越えて人事交流を図る。島しょ部や僻地を抱える都道府県ではある程度の教育の質を保つことが必要。近年は平成の市町村合併で市町村内の異動がやりやすくなる。つまり同一市町村内の異動は市町村の教育委員会の意向が反映されやすい。政令指定都市は政令市が。16年まで人事権は政令市にあったが給与負担が都道府県。16年からは政令市が負担。将来的には都道府県や政令市に差が生じないかの問題。研修については中核市が。しかし人事異動で他の市町村に異動する可能性がある。特殊な仕組みだが公立小中学校において給与の安定的確保や広域的人事で質をある程度一定にする役割を。是非について議論があるのも事実。市町村は設置者にも関わらず人事権がないので特色ある学校づくりの障害にも。人事権の移譲を。町村などの小規模自治体では確保が難しくなる。教育水準の維持の問題。県費負担教職員制度は56年に導入された。賛否両論ありつつも根本的仕組みとして。米国では富裕学区と貧困学区の差が大きい。日本は集権的であるが故に格差が小さく。
90年代までは日本では中央省庁の中央集権的との批判が。地方分権の機運が。99年には地方分権一括法。第1次地方分権改革。以前は機関委任事務が教育以外も合わせて500以上。制度改革。教育行政では学級編制、廃止後は少人数学級が。むしろ教育分野では特例的規定の多くが国から自治体の関与のあり方を見直す中で廃止に。教育長の人事。戦後直後の48年に教育委員会。当初は免許制度。56年に都道府県教育は文部省の承認が事前に必要と。教育長承認制。集権的と批判。99年に廃止。前は国が自治体に指導助言を。指導などが義務に。改正後は行うことが出来ると。地方分権推進委員会。指導助言規定の廃止を求めたが当時の文部省は非権力的な指導助言は必要であると。教育分野では第1次地方分権改革で特例的な制度が見直される。根幹的仕組みは存続。00年代前半の三位一体の改革。国庫負担金制度の存廃が問題に。財政的自律性を。教育関係者は反対。国の負担を2分の1から。07年に文部科学大臣が。14年には恐れがある場合にも教育委員会に是正の指示を。中央集権への逆行?教育行政への影響は当初は小さいと考えられていたが実際には変化が。地方自治体の独自の教育政策が増えた。少人数学級が。国の標準を下回る。第1次地方分権改革の頃から知事市町村長の影響力が強まり教育改革が。少人数学級編成など予算が必要な政策についてはリーダーシップが。00年代以降は地方分権が一定程度進んだと言う見解が多い。中央集権的実態は大きく変わらない、学力テストで国の影響が強まったと。一方でデメリットも。分権は必然的に自治体の差が生じることが。自治体間の格差が強まることは避けられない。就学援助は自治体の一般財源で。格差の拡大。都道府県ごとに学級規模が異なったり教育課程の差が。違いをどこまで許容できるか。教育政策や教育行政の長や議会の影響力が。特定的規定から一般的ルールに。二元代表制だが。自治体の政治の影響が。政治的中立性をもたらさない?政治的中立性や安定性継続性をどのように確保?自治体同士の関係。都道府県と市町村の関係。県費負担教職員制度のあり方については議論がある。小規模自治体への支援。地方では人口減少が進み過疎化が。都道府県と市町村の役割分担や連携が。

 

 

教育行政と学校経営〔新訂〕 (放送大学大学院教材)

教育行政と学校経営〔新訂〕 (放送大学大学院教材)

 

 

 

 

 

教育行政と学校経営 (放送大学大学院教材)

教育行政と学校経営 (放送大学大学院教材)

 

 

親切。

私の知人には妙に女性にモテる人間も居る(まあ大抵の人間はモテないのが私の知人たる所以であるが)。それで外国の人間とも何人か恋人になっているそうであるが、何処の国の人間かによってもデート(死語)の周囲からの待遇が違うそうである。アジア人同士での場合より、俗に言う白人とつきあっている方が明らかに周囲から親切にしてもらえるとのことである。幾ら人種差別は止めようと言われていても無意識的に扱いを違えるのは経験則から言えるとの話を彼はしている。まあ彼一人の話を一般化するのも極めて危険ではあるが、そう考える人間も居ることは考慮に入れた方が良いのかもしれない。

JR島本駅西の再開発。

過日の午前にJRの島本駅を利用する。駅の西側で再開発が進み地盤工事が終わった模様。

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今後は建物を多く建てるのであろう。永らく農地であり、12年前にJR島本駅が出来てからもそのままであったが、話がまとまり(無理やりまとめたのかもしれないが)大々的に再開発が進行することに。島本町としても人口が増えるので願っても無い話である。税収の増加も見込めることであるし(もちろん行政費用も嵩むのではあるが)。10年後には風景がガラリと変わる。田園的な風景が懐かしくもあるのだけど。

発達研究の方法(発達心理学概論第3回)

具体的にどのような研究方法がなされているのかは結果を吟味するのに重要。

 

上原泉。発達研究の方法。発達や変化の過程を見る方法。乳幼児ならではの非言語的な。他の手法や分析。
縦断的研究。同じ個人や集団を対象に年齢などを変えた調査を長期間行い変化の過程を調べる。成長や年令による変化、時間変化。学習法などの効果。追求したい内容により規模や実施方法が変わる。心理社会的要因。大規模な集団を対象にするのが望ましい。複数の実施者で手分けして。実施者間で差が無いように。大規模な縦断的研究は日本では少ない。妊娠初期から出産後11年後まで1年毎に問題行動や器質的特徴や夫婦関係、養育態度などの回答票の記入を求めて、子ども自身の行動的特徴などの要因が関連していることが示される。中規模な縦断的研究。初期の語彙習得過程の研究。数十人。約1年にわたり母親にWEB上での記録を。インタビューして語彙習得過程を。言葉を話し始める初期に言葉を発しない時期が。プラトー。頻度や語彙数の増え方に個人差があるが、1歳半までにはプラトーが無くなり語彙爆発につながる可能性が。規模が小さくなると多くの人に共通する過程につき明らかにしづらい。しかし調査の回数や時間が増えて語彙の中身など個人内での変化が詳しく把握できる。
横断的研究でも平均的傾向が。ある1時点で複数の異なる条件の人々に同じ調査や研究課題を。グループの差を。練習効果が縦断的研究には生じやすい。これらの問題は横断的研究では生じづらい。異なるグループ間で個人差を考える必要がある。比較したい部分以外の影響が及ぼさないようにする必要。協力者を多めにすると。個人内の発達の過程などは推測しづらい。3歳児4歳児5歳児。ひとりひとりの子供では成長の過程で必ずしも直線につないだ形で変化しない。個人内の発達の道筋は無理。条件で操作を行う実権をしない限り。
世代特有の効果が否か。単一の年齢集団の追及だけでは明らかにならない。出生コーホート。継続的にデータを収集することで加齢効果などを分析するのがコーホート分析。仮説データを例に。20歳30歳40歳50歳60歳の集団を対象に10年ごとにある態度。挨拶の重視度。0から100点で得点化して年齢軍における50年60年70年80年における平均得点を示していることに。本物のデータではないが。調査時点に関わらず60歳代が一番多く20歳代が一番小さい。加齢効果のみ。年齢が上がると高くなる。いつの時点でも年令による得点差はない。60年70年80年とあとになるほど平均得点が下がる。時代効果のみが。挨拶は重視されない傾向に。同一コーホート内では調査時点に関係なく、20歳だった群は60年に30歳になっても平均得点は変わらない。コーホート効果。世代効果と呼ぶ。
発達研究。子供を対象とする点に特徴が。どのような課題を実施するかその方法。主要な研究手法。実験と調査。要因の検討のため異なった2つの条件を設定してそれ以外は差が無いように統制して条件間で効果を比較する。実験には原因を探るべく意図的に操作する部分、条件設定が。因果的関係についても言及できる。独立変数や従属変数、結果に相当。研究者が特に操作を加えること無く自然に。アンケート調査など。1回限りの調査では因果関係までは言えず相関的関係しか言えない。縦断的調査、パネル調査を行うと因果的関係性の推測が可能。たまたま測っていない他の要因が原因であることはある。これらの方法をどのように子供に実施するか。調査。アンケートの形で。乳幼児には無理。乳幼児の発達の度合いなどを調べるのに保護者や保育者への調査を。本人に実施する場合は観察調査や検査を。言葉をある程度理解できるようになっている幼児については簡単な言語教授をして指差しを。用紙の上半分に描かれている図形を下半分の図形から選択させる。4才が有意に高く。簡単な質問をして指差しで答えてもらう課題なら3歳児でも充分に可能。子供を対象にした実験。言語能力に合わせ非言語的行動を。暴力行動の研究。幼児を対象としたアメリカでの実験。幼児たちを大人の暴力行動を見る条件。暴力行動を見ない。そもそも大人の行動を見ない。統制群。暴力性や年齢に差がないように分けて後20分の遊び行動を。暴力行動を見たグループが暴力的行動を最も多く。直接見る実験。映像を通してみた場合も同様の結果が。子供本人に対して実施する有効な手法として行動観察法が。事態。偶然的観察。形態の視点。協力者への関わりの度合い。参加観察法。協力者に対して存在を感じさせないようにする。非参加観察法。観察手法。時間見本法。任意の時間観察に区切り様子を記録。2人の幼児が一緒にゲームをしているとき。目を合わせる言葉をかわす行動。30秒ごとに目を合わせたか、言葉をかわしたかを。イチゼロサンプリング法。ポイントサンプリング法。具体的に。むしろ予備観察として。自由観察法。30秒を設けて観察された行為を記述。場面見本法。みたい行動が頻繁に起こる場面で生じるものを観察。遊んでいる時のやり取りを。公園での遊び行動を年齢間などで比較。事象見本法。始まりから終わりまでの過程を記録。子供同士の喧嘩。どのように始まるどのように終わるか。日誌法。育児日誌や保育日誌。動物行動学や文化人類学などのエスノグラフィーでも。組み合わせて行われることも珍しくない。観察手法での行動の記録の仕方。自由に記録する。行動描写法。こうしたデータについては記述分析が。行動目録法。予め行動があったか否か。イチゼロサンプリング法やポイントサンプリング法で。評定尺度法。起こっている度合いを評定するなど。観察を行う上では客観的に観察し記録する。寛大効果や光背効果など観察者バイアスがないように。観察者の意図が観察される者に感じられ結果が変わることも。協力者、観察される者のプライバシーも。
標準化されたテストで。検査法。知能検査や発達検査。発達心理学ならではの発達検査。知的側面の知能検査と比較して、社会性など幅広い内容から。子どもの全般的発達の度合いを。発達遅れの可能性を検出する。発達指数を求めることが出来る。発達年齢はどれくらいの発達年齢に相当するか換算表で。養育者など周囲の大人に質問に答えてもらう。子供本人に課題や検査を実施。スモリ式。0から1歳用など。5つの領域から。領域ごとに養育者に聞く。デンバー式。日本版。微細運動などの領域から。0から6歳の子供に。おおよその生活年齢帯が。項目ごとに達しているか否かが。全領域発達年齢のみだけでなく領域ごとに。幼児期において重視されているのが言語発達検査。PVTR。マッカーサー。絵画語彙発達。マッカーサー乳児用。国際的に汎用性の高い。
他の手法や分析法。面接。言葉を理解できるようになる幼児期以降なら可能。臨床的面接。調査的面接。面接の行い方。事前に質問項目を全て質問する構造化面接。その場の流れなどで。半構造化面接。面接時の流れに応じて。非構造化面接。幼児の場合は会話がスムーズに行かない場合が多いので構造化面接は難しい。自由回答に答えるのも難しい。誘導にならないよう慎重に。対面して補佐して1ステップずつ。協力者とラポールを形成することが。研究者と協力者の信頼できる関係性。実施日より前に会い遊んだりして参加しやすく。心理学では同意書の署名を求めることが多い。協力者本人から同意を得られづらい場合は保護者などから。協力者が嫌がっていないか疲れていないかなど。
量的分析と質的分析。量的分析。5歳児7歳児100人に調査を。質問項目に5段階で。数値されたデータを分析。通常は統計分析を。変化の本質が捉えられない場合も。質的分析を含めて。発話や行動が意味するところなど。分析単位となる高度化やカテゴリー化を。カテゴリーごとの発生率を年齢間で比較するなど。カテゴリー案を事前に作成して。基準が誰が分類しても同じになるように。主たる研究者と別の研究者が独立に行い高い一致の度合いを。コーエンのカッパ係数。一致の度合いが高ければ残りについても。カテゴリーの発生率を。関連性や階層性を見出し理論を。グラウンデッド・セオリー法。
実験調査観察検査面接などの手法が。組み合わせて行うことで発達について色々なことが解明される。

 

発達心理学概論 (放送大学教材)

発達心理学概論 (放送大学教材)

 

 

 

 

 

想像―心と身体の接点

想像―心と身体の接点

 

 

猥褻。

平成時代の初期の1990年代初頭に、私は或る公立中学校の用務員室に出入りしていたことがある。用務員は数人の男性職員で構成されていたが、机の上には女性のヌード写真が飾られていた。女性や女子生徒も出入りするはずなので不味いのではないかと感じたけれど、容認する雰囲気があったのも一面の事実である。令和時代では考えられないことだろうけど。ただ写真が無くなっても卑猥なことを女性にあびせる男性の話は時折聞く。女性が喜ぶと勘違いしている人種なのだろうけど、お近づきにはなりたくないのが私の本音である。

「無宗教」と「無神論」の違いの認識。

今日の昼のentryは日本人の死生観についての放送大学の講義の書き殴りであった。海外で自身の宗教について日本人が聞かれると、「無宗教です」と答え周囲が驚愕するのが定型だと聞き及んだことがある(今もそうなのだろうか)。もちろん外国語でどう訳すのかにも因るのだろうけど、特定の宗派に属さないのと、いわゆる「無神論」とは違う概念である。しかしながら特定の宗派に深くコミットメントcommitmentしている人間にとっては、違うとは思えないのではないだろうか。なので日本人の側が地雷を踏まないよう説明を重ねる必要がある。まあ中華人民共和国では本当に無宗教というか無神論の人間が多数派であるようなので、日本人だけの問題ではないのが救いではあるのだが。

日本人の死生観(死生学のフィールド第3回)

私の子どもの時代は死について語られることは殆どなかったのは奇妙なことだったのだと改めて感じた。

 

石丸昌彦。日本人の死生観。人の生死を、特に死について何時頃から意識するか。意外に早い時期から。死は子供には難しいわけではない。小学校2年生で父方の祖父を亡くす。死後の世界はあるのかなどと。母方の叔父が昭和19年にサイパン島に23歳で戦死。そのことを聞かされて、死ぬとはどういうことかを考える。23になった時には叔父はこんな若さで死んだのかと暗澹と。友人がサイパン島に。どうして楽しい旅行に行けるのか。死生観の問題には個人的なものが。集団や社会との関係も。家族の共通体験や戦争などの民族共通の。極めて個人的なものとともに社会的歴史的広がりを。死生観は宗教の影響を様々に。日本人は無宗教ではない。死生観の特徴や歴史的流れを。
日本人の死生観を。自然条件。宗教的背景。武士道や文学的伝統など。自然条件。国土はモンスーン地帯。自然は太陽の光と降水量で豊かな実りがある一方で大きな自然災害が。世界中にあるが、突然巨大な災害に。地震や台風。人間は天災に対し基本的に無力。気まぐれで強大な自然災害に絶えず晒されることが。受け身の忍耐や水に流す諦めの良さ。一夜明ければ再び前向きに、楽天的勤勉さが鍛えられる。お雇い外国人のベルツ。医学教育の設立に。明治9年に来日の直後の東京での大きな火災の後。仲谷かおり。驚嘆すべき国民。現場では火災直後に1000戸以降の家屋が。三々五々座り喋っている。顔には悲しみの跡形もない。まるで何事もなかったかのように。切り替えの良さ。楽天的な勤勉。災害や死は避けがたいものとして甘んじて受け。くよくよせず復興に精を出す。阪神淡路大震災や東日本大震災。宗教。死生観の形成に仏教の役割。大悪を鎮め国家の宗教。徐々に精神生活に根を下ろす。藤原道長。摂関政治の最高権力者。晩年には死後についての不安に囚われる。阿弥陀様の手と自分の手をを結んで臨終に。死後の安寧を。平清盛の一族の、平家物語。諸行無常。全てのものは流転する。現世での幸不幸は前世の行いで。因果応報説。これも仏教に由来。平家物語の全体を貫く。歴史的現象を理解。不条理の克服。仏教の教えが次第に日本人の拠り所に。宗教観を考える上での神仏習合、神仏混交。仏が仮の姿として日本の神々に。本地垂迹説。生活実感の中で経験。家庭で神棚と仏壇が共にある。神社とお寺がセットに。神前結婚式と仏式葬式。かつてはよく見られた。キリスト教も習合の中に?祖先のお祭り。武士道。武士という存在。日本の歴史を特徴づける。人気と関心は根強い。武士という存在は鎌倉時代から幕末まで800年以上。かなりの変遷を。江戸時代の厳しい主従関係で練り上げられる。バックボーンは中国からの儒教。死を恐れない勇敢さ。その勇気のどのように用いるかの指針を。世界への紹介者としての新渡戸稲造。孔子と孟子の言葉。儒教が永遠のすみかを。名誉や忠義のために自己犠牲を厭わない。そんな死生観を。元々は身分道徳だったが日本人一般に影響を。百姓たちは武蔵坊弁慶などの話を飽きること無く繰り返す。都会では番頭や丁稚が仕事を終えて一部屋に集まり夜が更けるまで信長や秀吉の話を。美しい理想となる。花は桜木人は武士。日本の道徳は武士道の所産。ドラマや小説やゲームで武士道を学び続ける。文学。記紀万葉から始まる日本文学の豊かな伝統。死生観に関するデータバンク。平家物語。多くの人々が世を捨てて生き延び、ある者は生を捨てる。抽象的観念に収まらない。個別的な豊かさ。文学は死生観の形成に常に参与。漫画などのサブカルチャーなども大きな役割を。死生観を支える裾野の広さが。
近代以降について。近代化は日本人の精神生活に大きな変化を。解放された門戸から欧米の様々な思想が。死生観の影響。異なる世界観を持つキリスト教や自然科学などの近代合理主義。戦国末期から一度接触が。カトリックはほぼ根絶されたが、明治維新以降はプロテスタントの諸教派が活発に伝道を。目覚ましいものが。神の前に1人の人間として立つ。いかにも新鮮。一方では近代科学と共に合理的ものの見方が。人権思想や無神論的なものまで。従来の考え方を根本から。伝統的な思想の再評価も。文化が大きく変わる過渡期。アイデンティティに対する問いが。死生観の問題は核心をなすものとして。「日本人の死生観」。過渡期としての近現代を6人を取り上げて。77年に上梓。しかし古びていない。死生観という言葉が使われるようになったのは日露戦争前夜。武士道に共鳴。来世をあてにする死生観ではなく泰然自若として死に向かうのが。言わば打算的ではなく宇宙的な実在とともに。死を恐れないのが。武士道の影響。20世紀初頭に死生観が何故盛んに?対外戦争の恒常化。兵士や家族。新しい国民道徳を作り出す修養主義。固有の宗教や道徳が欠けているという危機感。武士道的道徳。多くの者の死生観の確立へ。じっくりと育てる時間を持てなかった。昭和になり暗雲に。経済が苦しくなる。全体主義と戦争体制。治安維持法の適用範囲の拡大。内心の自由の制約。国家のために一身を捧げるべきと。宇宙的な実在と一体化して死に向かう。個人の自由意志ではなく兵士などを激励する文脈で。国策遂行が大義。内心の自由の弾圧。死生観も外部から押し付けられる。学徒出陣式。聞けわだつみのこえ。昭和20年で終わりに。国土の荒廃や大きな傷。死生観にも影響を。GHQの戦後改革で軍国主義につながるものは排除。死生観で優勢になったのは死について考えること自体を回避する傾向。戦艦大和の生還者としての吉田満。占領軍の検閲に触れてしまい。自分を密かな反戦歌にしたてて。戦争の一切を否定する心の動きが。戦争中は死ぬことばかり考えた。戦後は生きることに。死を考えない珍しい時代に。河合隼雄。人間として自然ではないが、長期間にわたり続く。いわゆる高度経済成長時代になると否認の傾向は一層強くなる。ひたすら経済的成長を。死とは無であり生の充実を図るのが全て。死生観はタブーに近い。躁的防衛。強い喪失体験に続いて逆に高揚し過剰に活動的に。心の代償作用。現実の認識を誤らせ破綻に。集団レベルの躁的防衛。個人のレベルでは改めて地に足をつけた死生観が。しかし広く語られるには半世紀近くが必要に。日本人全体の傷は深かった。
「千の風になって」。アメリカで元々は作られた。06年から大変にヒットする。人は死んだ後もこの世界に生き続ける。スピリチュアルな。高度経済成長には考えられない。00年代からの変化。死を持って生の終わりとするのではなく、大きな展望の中で生を捉える。背景には様々。癌告知やホスピスケア。職場環境の変化。バブルの崩壊。打ち続く災害。日本人の精神性が本来の形に戻る。死生観の構築が残される。
ある人の手記を。親しい友人の父親。今から20年ほど前に死生観について。大正11年の産まれ。投資関係を。職業に対する文章をまとめていて死生観についての素朴な感情を表明したいと。2万字の文章に。宗教との関わりや主に仏教の疑問点。死に対する構えを。自身の日常生活での宗教との関わり。朝晩就寝時にお線香などを備えて。日曜には米などを備えて。

 

死生学のフィールド (放送大学教材)

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精神医学特論 (放送大学大学院教材)

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精神障害とキリスト者: そこに働く神の愛

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  • 発売日: 2020/01/31
  • メディア: 単行本
 
死生学入門 (放送大学教材)

死生学入門 (放送大学教材)

  • 作者:石丸 昌彦
  • 発売日: 2014/03/01
  • メディア: 単行本
 
精神疾患とその治療 (放送大学教材)

精神疾患とその治療 (放送大学教材)

  • 作者:石丸 昌彦
  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)