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思春期の友人関係とSNSの変化📱 生徒指導と教育相談第3回(その3) #放送大学講義録

友人グループに属していたことは中学生ではなかった気がする。

 

-----講義録始め-----

 

思春期における友人関係について考察します。この時期には、友人の意見が親のそれよりも重視されることが多く、社会規範に反する行動でも仲間内でのルールによって正当化されることも特徴的です。精神医学の視点から、対人関係の重要性を強調する研究者もいる。彼らは、思春期の子供たちにとって、友人との関係が非常に重要で、その関係での問題は深刻に捉えられることを指摘しています。

しかし、そのような問題の原因となるトラブルも、他の友人やクラスメートとの新しい関係を通じて解決されることも多いです。実際、友人間のトラブルをきっかけに不登校や健康問題を抱える子供たちも少なくありませんが、その一方で、友人との関係が癒しとなって問題を乗り越えるケースも多いです。

近年では、通信技術の進化が人間関係の複雑化を招いているという指摘もあります。かつては手紙のやり取りに時間がかかることが気持ちを落ち着ける助けとなっていたが、現代ではSNSの普及により即時の返信が求められることが多く、その結果、子供たちの間でのコミュニケーションにも変化が見られます。

また、友人関係の変化として指摘されているのが、様々なグループの存在です。例として、ある研究によれば、ギャンググループ、チャムグループ、ピアグループの3つのグループが存在するとされています。これらはそれぞれ異なる特徴と役割を持ち、思春期の子供たちの間での関係性を形成しています。しかし、近年ではこれらのグループの特徴や機能にも変化が見られるとされています。

特に、子供たちが抱える人間関係の悩みは深刻で、その悩みを誰かに話すことができれば良いのですが、実際にはそうした悩みを口にするのは難しいことが多いです。その理由としては、大人に対する反抗感情や、過去の経験からの不信感などが挙げられます。これらの背景には、様々な心の葛藤や不安が存在しています。


親子の絆💬 思春期反抗期の真実🌱  生徒指導と教育相談第3回(その2) 思春期の親子関係 #放送大学講義録

反抗期とされる時期でも親に反抗した記憶はない。学校でのいじめでそれどころではなかった記憶がある。

 

-----書き起こし始め-----

 

思春期には、反抗期というものが存在します。実は、幼少期にも第1反抗期があり、思春期には第2反抗期として現れるのです。これらの反抗期は、子供の自我の目覚めや芽生えの証とされ、子供が自分の意志や主体性を持ち始めたことを示すものです。

子供が幼い間、親と子の関係は、親が体力的、経済的、そして社会的に上位に位置しており、子供を守り育てるというものです。しかし、思春期に入ると、子供の体格は大きくなり、身長も親とほぼ並ぶようになります。子供にとって、物理的にも自立した気持ちになり、親からの指示や制約を受けるのが苦痛と感じることが増えます。しかし、経済的や社会的な力ではまだ親に及ばず、その中で子供がとる行動や態度が反抗として現れることが多いです。

この反抗の形は、親や教師、社会の権威に対する攻撃や批判として出てきます。子供が親や教師に口答えをする、態度が大胆になる、あるいは無視をするなどの行動が目立つようになります。親子の間では、子供から親への批判や攻撃が特に手厳しくなることも少なくありません。

親から見ると、子供の反抗による攻撃や批判は、大人の世界の欠点や問題点を鋭く指摘するものとなることが多く、それによって親は深く傷つくことがあります。しかし、子供の目線からすると、この反抗期は親に対して自分の立場を確立しようとする重要な時期です。

親と子の関係は、当初縦の関係から、徐々に横並びの関係へと変わっていくものです。この変化を遂げるためには、強固に結ばれていた縦の絆を一度断ち切り、再び横の関係として再構築する必要があります。この過程は、親も子も簡単には進められるものではありません。親としては、子供の反抗的な行動や態度を受け入れながら、その中で子供の成長を支える役割を果たさなければなりません。

近年では、友達のような親子関係を目指す声が多くなってきました。しかし、そういった関係が理想的であるかどうかは一概には言えません。親が子供のレベルに降りてしまうと、双方が成長する機会を失ってしまうことが考えられます。

結論として、反抗期は親と子の関係を再定義するための重要な時期であり、その過程を理解し、双方が成長するための機会として捉えることが必要です。

 

思春期と青年期の特徴と人間関係 - 生徒指導と教育相談第3回(その1) 思春期 #放送大学講義録

自分の思春期はどうだったのだろう。身体的な変化に驚いたことはあったけれど。

 

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「生徒指導と教育相談]第3回では、思春期の人間関係についてお話しします。まず初めに、思春期の位置づけについて取り上げます。思春期の最も大きな特徴は、子供と大人の境界線上にある過渡期と言えます。似た概念に青年期という用語もあります。思春期と青年期は時期的には重なっていますが、微妙に使い分けられます。

まず、思春期は体の変化や生物学的な変化に注目した区切り方です。第2次成長の訪れなど、子供の体から大人の体への変化を指し、年齢的には小学校高学年から中学、高校生くらいまでを含みます。

一方、青年期は心理的、社会的な変化に焦点を当てた区切り方です。体だけでなく心理的にも変化が起こり、最終的には大人として成長していく過程を指します。青年期は中学生くらいから始まり、30歳くらいまでを含みます。思春期と青年期は重なり合いながら、子供から大人への移行の時期と言えます。

この思春期の特徴について見ていきましょう。まず、体の変化に注目します。思春期の始まりは第2次成長とされ、思春期と体の関係は密接です。第2次成長の受け取り方は子供によって異なり、個人差が大きいとされています。大人になることを当然と受け止める子供もいますが、一方で以前馴染んでいた子供の体から未知の大人の世界に足を踏み入れる不安を感じる子供もいます。これらの身体的変化はほとんどの子供たちが経験しますが、一部の子供たちは変化に違和感や困惑を感じることがあります。これにはいくつかの理由が挙げられます。まず、変化が突然訪れることがあり、また大人への変化が自分の意思や力でコントロールできないこともあります。

さらに、体の変化による周りの子供たちとの差も悩みの要因となります。例えば、自分だけが大人になってしまった、あるいは自分だけがまだ子供のままであるといった状況に対する個人差に悩む子供たちも多いです。また、生理痛がひどい女子や声変わりが恥ずかしい男子など、変化そのものから生じる悩みも存在します。思春期の子供たちにとって、体の変化は大きな不安や悩みの要因となり得るものです。

 

もう1つの思春期の特徴は意識面の変化です。思春期や青年期は自己意識の目覚めや第2の自己の誕生とも言われます。この時期になると、自分に対する意識が高まり、客観的に自分を見つめたり、自分を振り返ったりする能力が向上します。同時に、「自分は一体何者なのか」といった実存的な問いに向き合うことも始まります。思春期では自己意識とともに他者への意識も高まります。親や先生、友達などが自分をどう見ているか、周囲の評価や感情を推測する力が増します。この結果、自己評価に影響を及ぼすようになり、他人の目を気にすることが増えます。他人と比較する中で、自己評価が下がり自己嫌悪に陥る子供たちも現れます。また、他人の目は実際のものとは異なることもあります。自己評価が低い時には他人の目が厳しく感じられることもあります。

以上から、思春期は体内外の変化による悩みが存在し、心身が揺れ動く時期と言えるでしょう。

 

「感情ヒューリスティックとリスク認知の影響」感情とリスク評価の関係について解説 生活リスクマネジメント第4回(その5) #放送大学講義録

リスクの評価をするのはかなり難しいことであると知る。

 

-----講義録始め-----

 

感情ヒューリスティックについて説明します。感情がリスク認知に与える影響だけでなく、感情が意思決定においても重要です。具体的には、好き嫌いや快適さ、不快さといった感情が対象を評価する際に使われます。これらは感情ヒューリスティックの一例です。

また、感情とリスク認知の関係だけでなく、リスク評価における認知バイアスの要因も説明されています。自発性や制御可能性、公平性といった要素が、リスク事象の特性に基づく認知バイアスを引き起こすことが述べられています。これによって、リスクの評価が客観的な指標だけでなく、自身の感情や特性にも影響されることが示唆されています。

最後に、私たち一般の人々が感情や特性に基づく認知バイアスを持つ傾向が強調されています。感情や特性によるバイアスは、誰にでも存在し、リスク評価の客観的な理解が難しいことが示されています。これにより、リスクの評価が様々な要因によって影響を受けることが明らかにされています。

生活リスクマネジメント第4回(その4) #放送大学講義録

いきなりアルゴリズムが出てきて驚いた。

 

-----講義録始め-----

 

これまでに認知バイアスの具体例を紹介してきましたが、では、これらのバイアスが生じる理由は何でしょうか。それは、一般の人々の情報処理の方法に依拠しているからです。

日常生活で問題解決を行う際、私たちはしばしばヒューリスティクと呼ばれる方法を使用しています。このヒューリスティクの使用によって、認識上の偏りが生じ、それが認知バイアスとなります。特に、リスク認知に影響を与えるヒューリスティクに焦点を当てて、その特性や種類について見ていきましょう。

まず、「ヒューリスティク」とはどのようなものなのか、その意味について説明します。ヒューリスティクは、不確かな状況下で判断や決定を行う際に用いる、簡便で直感的な方法を指します。この「ヒューリスティク」は、「方略」の「方」に「策略」の略を加えた言葉です。再度繰り返しますと、ヒューリスティクとは、不確かな状況下で判断や決定を行う際に用いる、簡便で直感的な方法です。

ここで、リスクに関する判断や決定における状況の特性について考えてみましょう。リスクに関する判断や決定とは、不確かな状況下で行うものを指します。不確かな状況では、さまざまな結果が考えられ、状況の多様性が大きいと言えます。すべての可能性について情報を集め、分析、検討することは非常に難しいことですし、認知的なコストがかかります。

そこで、人々はどうするかというと、ヒューリスティクを使い、直感的に、迅速に、おおざっぱに判断します。ヒューリスティクはプロセスを簡略化し、短時間で近似的な結論を導く手続きです。これに対して、論理的なプロセスを経て問題解決に至る手続き全体をアルゴリズムと言います。アルゴリズムでは、どのような状況で何を行うべきかが具体的かつ明確に示されています。したがって、アルゴリズムを使って得られた結論は、一定の客観性を持つことになります。

一般的に、人々は認知的なコストを削減しようとします。すべての情報を考慮して判断するのではなく、簡便な方法で直感的に判断します。市民はヒューリスティクを使ってリスクの生起確率や結果の大きさを判断しますが、専門家は統計データや専門的な知識をもとにアルゴリズムを使って分析します。

このように、ヒューリスティクは効率的でありながら認知バイアスを生じ、結果的に判断を誤ることがあることを説明しました。

 

生活リスクマネジメント第4回(その3) #放送大学講義録

認知にバイアスがかかっていることは意識するべきだろう。

 

-----講義録始め-----

 

ヒューリスティックについては後ほど詳しく説明しますが、次に認知バイアスについて見ていきます。認知バイアスとは、特定の状況や情報を評価する際に生じる、認知のゆがみや偏見のことを指します。正常性バイアス、楽観主義バイアス、ベテランバイアス、バージンバイアス、そして同調性バイアスがその代表的な例です。

まず、正常性バイアスについてです。このバイアスは、異常な事態やリスクを過小評価してしまう傾向を指します。つまり、異常な出来事や緊急事態を正常な範囲内に収めようとする心理的なプロセスです。このバイアスが働く場面として、自然災害の生起確率を過小評価し、警報を無視したり避難を遅らせるケースが挙げられます。

楽観主義バイアスは、異常事態でも楽観的で明るい側面を見ようとする傾向を指します。これは自分の都合に合った形で情報を歪めて認知する心理的プロセスであり、リスクを過小評価する原因となります。例えば、喫煙者が1本だけ吸うことは大丈夫だろうと考え、毎日の喫煙を続ける行動がこれに当てはまります。

ベテランバイアスは、経験から学んだことによりリスクを弱めて見てしまう傾向を指します。過去の経験が判断に影響を与え、新たなリスク事象についての判断を誤らせる可能性があります。

バージンバイアスは、未経験のリスク事象に対してリスクを緩めて見る傾向を指します。未知の情報に対する判断の手がかりがないため、過大評価や過小評価が生じる可能性があります。

同調性バイアスは、周囲の人々に同調してリスクを認知する傾向を指します。周囲の人々がリスクを強く認知していると、自分も同様に認知する傾向があります。逆に、周囲がリスクを軽視している場合には、自分も同じようにリスクを認知しなくなる可能性があります。

これらの認知バイアスは、我々の判断や意思決定に影響を与える要因となります。しかし、これらのバイアス自体は必ずしも悪いわけではありません。正常性バイアスは心理的な安定を保つための自己防衛機制として役立つ一方、楽観主義バイアスはストレス軽減に寄与する場合もあります。ただし、過度なバイアスが誤った判断を引き起こす可能性もあるため、注意が必要です。

 
 

生活リスクマネジメント第4回(その2) #放送大学講義録

主観的リスクが客観的リスクより大きいのは航空事故もそうである。まあ東京に行くのなら新幹線が便利だけど。

 

-----講義録始め-----

 

物理的なリスクそのものと心理的に認知されたリスクが存在します。一般的に、前者を客観リスク、後者を主観リスクとして表現します。客観リスクは、望ましくない結果をもたらす事象の生起確率やその影響の大きさを、関連する科学的データから評価します。確かに、データの変動やミスの可能性は否定できませんが、科学的根拠に基づき、妥当な数値や近似的な数値が選ばれます。これが客観リスクです。

主観リスクは、必ずしも科学的根拠に基づくものではなく、人々の感じる恐怖や危険感によるもので、個人の属性や状況によって多様です。客観リスクと主観リスクの間には、ギャップが生じることが多く、これを「パーセプションギャップ」と呼びます。リスク心理学の分野では、このギャップについての研究が行われています。

研究方法として、リスク事象に関する一般の人々のアンケート調査を行い、死亡率の心理尺度を調べ、同時に統計データによる死亡率を比較するやり方があります。パーセプションギャップが大きいリスクとして、遺伝子組み替え食品、抗生物質の服用、原子力などの主観リスクが顕著に大きい場合や、飲酒、自動車の運転、喫煙などの客観リスクが顕著に大きい場合があります。

主観リスクと客観リスクの間のギャップの原因は、リスクの不確実性にあります。リスクは不確実性を含む確率的な概念で、人々にとって認識や判断が難しい。人間の認知能力の限界や不確実な情報処理時のヒューリスティックな方法により、リスク認知のバイアスが生じることがあります。バイアスは歪みや偏見、先入観を意味し、リスクに関する判断時に歪みが生じ、結果として客観リスクとは異なる判断をすることがあります。