ーーーー講義録始めーーーー
1つ言えることは、今後の日本社会では、情報化、都市化、高学歴化が進展していく中で、自己決定学習ができる人が増えていくということです。これらの3つの社会的要因は、自己決定学習にとって追い風となるでしょう。しかし、その光の部分だけでなく、影の部分にも目を向ける必要があります。
学習の機会に恵まれなかった人々にとって、自己決定学習を行うことはハードルが高いものとなります。現代の知識基盤社会は、知識を中心とした社会ですから、知識を持つ人と持たない人との間で格差が拡大していく社会でもあります。
そうですね。成人になってからの学習は非常に重要ですが、その決定を個人に委ねることで、知識や技能の相対的な格差が学習を通じてさらに広がっているように感じます。学習機会にアクセスできない、いわゆる「学習弱者」に対しては、生きる力を与え、学習意欲を喚起し、情報提供や動機づけを行うなど、社会教育や生涯学習政策の延長線上に、学習支援の仕組みを整備することが今後ますます求められていると感じます。現代の「知識社会」では、知識が道具であり資本です。このような社会で生き抜くためには、学習は必須であり、それが収入に直結することもあります。そのため、学習機会から取り残された人々は、社会福祉的な支援の対象とも言えるのではないでしょうか。
もし、自己決定学習が社会が提供する学習機会を享受する前提条件であるならば、そこに至らない人々への学習支援を体系化することが、社会的に求められていると感じます。赤尾先生、いかがでしょうか。
そうですね。まさに、グローバル規模で新自由主義的な経済が進展する中で、自己責任が強調される文脈の中に、自己決定学習が絡め取られているという問題が生じています。自己決定学習ができる人とできない人との格差を考えると、今後ますます学習支援が社会的に必要とされるでしょう。
アメリカの成人教育の教科書には「学習を計画することは人生を設計することと同じである」と書かれています。1人1人が生を受け、人生をより良く全うするために、すべての人が学習機会に巡り合えるようにするためには、生涯学習の環境整備とともに、行政の働きかけが今もなお必要であると感じますが、いかがでしょうか。
私もそう思います。ただし、ここには非常に難しい問題が内在しています。それは、行政がどの程度、個人が自己決定学習者になれるよう関わるべきか、また関わって良いのかという根本的な問いに直面するからです。
つまり、行政がすべての人々に自己決定学習を強制できるのか、という問題です。
そうですね。自己決定学習が個人の判断に委ねられている以上、個人の意思に行政が介入することは適切ではないのではないかという問いが残ることでしょう。この点が、生涯学習行政が抱える根本的なジレンマと言えるかもしれません。今回は、成人学習における重要な概念の1つである自己決定学習について取り上げました。赤尾先生、ありがとうございました。