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有権者名簿と選挙管理の課題(行政学講説第2回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

実際に、選挙の直接請求や市民投票を実施するためには、市民が誰であるのか、また有権者、公民権者、選挙人、被選挙人が誰であるのかを、有権者名簿として正確に把握する必要があります。特に、選挙結果や投票結果に対して為政者が恣意的に拒否することを防ぐには、選挙を厳格に執行し、疑義を挟まれないようにすることが重要です。

そのためには、有権者資格を明確にする必要がありますが、有権者名簿の作成は行政の業務として行われます。この点は根本的な問題を孕んでいます。行政は選挙によって選ばれた公選職政治家を通じて統制されるべき存在ですが、選挙自体が行政による有権者名簿の調整や選挙執行を前提としているため、行政なしには選挙を行うことができません。そして、その行政を統制すべき公選職政治家も、選挙がなければ成立しないのです。

さらに、公選職政治家が選挙に関わる行政を利用して選挙に干渉することがあってはなりません。また、市民も行政によって有権者名簿に登録されなければ選挙権を行使できません。有権者登録が市民個人の責任である場合、選挙権を行使することは行政サービスを申請し、いわば受給者として認定されることに似た負担を伴います。このような登録手続きの負担は大きく、有権者登録制度によって市民の有権者としての立場が阻害される恐れがあります。

一部の勢力が有権者登録を組織的に動員すれば、その勢力に有利な選挙結果が得られる可能性があります。また、貧困層のように行政支援が必要である層ほど、有権者登録をする余裕がなく、選挙での声が反映されにくくなる問題もあります。

これに対し、行政が自動的に有権者名簿を作成すれば、市民側の負担は軽減されます。例えば、現代日本では、選挙人名簿は住民基本台帳を基に市区町村が作成するため、市民は転入届を提出し住民基本台帳に登録されていれば、特別な手続きなしに有権者登録が完了します。

しかし、選挙人名簿の調整を行う行政が制度設計や運用を的確に行う保証はありません。手続きを厳密化し行政の適正性を担保しようとすれば、行政的な事務が増大し、市民の目からは見えにくくなります。このように市民が直接確認できない名簿作成では正確性が確保されない可能性があります。

そのため、有権者や選挙人が名簿の正確性を確認できるよう、名簿閲覧制度が設けられています。閲覧制度には次の3つの目的があります:

  1. 選挙人名簿に登録されているかを確認するため。
  2. 公職の候補者や政党、政治団体が政治活動を行うため。
  3. 統計調査、世論調査、学術研究など、公益性が高い選挙関連の調査研究を実施するため。

特に、選挙人名簿への登録確認(1)が最も重要とされています。

 

 

 

 

 

選挙干渉と民主主義の脆弱性(行政学講説第2回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

印刷教材の図にある「行政統制の自己循環回路」の右側をご覧ください。為政者は、民衆に不満や不支持があったとしても、当該為政者に対して市民(被治者)が陳情せざるを得ない状況を作り出せば、市民はその為政者への依存を深めることになります。例えば、君主制では、たとえ悪政が続いても、君主の善政を期待するほかありません。民主制においても同様で、たとえ悪政があっても、良心的な為政者による政策転換に期待せざるを得ない状況が生じることがあります。

このように、為政者が悪政を続けたとしても、市民が他の選択肢を持たず、為政者に期待し続けるしかない状態になる場合があります。全ての行政活動は、市民の意思に多かれ少なかれ影響を与える可能性を持っています。それ自体が問題ではない場合もありますが、特に選挙において為政者が介入し、自らに有利な結果を誘導することができる場合、民主制の外観のもとで為政者による民衆支配が強化される危険があります。

歴史的には、為政者には選挙干渉の誘因が存在しました。例えば、明治時代の日本では、明治政府が民党を弱体化させるため、警察を利用して選挙妨害を行い、政府支持の政党が有利になるよう介入しました。また、政党が政権に参画するようになると、与党が内務省警保局や府県知事を通じて野党に対抗する選挙戦略を展開しました。戦前の日本では、与党側が選挙戦で有利な状況を常に維持していました。さらに、治安維持法制や選挙粛正運動を通じて、政党政治が抑圧され、最終的には「翼賛選挙」による政党政治の終焉を迎えました。

こうした事例から、選挙や政党を為政者の影響から隔離する必要性が強調されます。第一に、特定の政党や政治家、特に政権与党が行政を利用して他党を抑圧しないようにする必要があります。第二に、行政が自らに都合の良い選挙結果を期待して特定の政治家や政党を支援することを防ぐ必要があります。ただし、行政職員も市民であるため、政治的中立性を求める制約には一定の限度が必要です。

とはいえ、政治家だけでなく行政そのものも選挙干渉を行う動機を持つため、選挙管理は政治家、政党、行政から独立して行われなければなりません。しかし、現実的に選挙管理の業務を担う主体は行政以外にはほとんど存在しません。裁判所や司法部が選挙管理を担う可能性もありますが、現実にはその体制が整っていません。また、司法警察や検察が選挙違反の取り締まりを通じて選挙監視に関与する場合、別の問題が発生する可能性があります。

市場セクターや社会セクターに選挙管理を委ねる方法もありますが、事業者は通常、政治家や行政から業務を受託したり選挙応援で自己利益を図るため、独立性を確保することが難しいです。同様に、報道機関やボランティア団体、宗教団体も選挙運動に関与することがあるため、選挙管理の中立性を確保することは困難です。

さらに、国際選挙監視団も、必ずしも公正な選挙だけを目的としているとは限らず、特定の勢力の選挙勝利を望む場合があります。このように、選挙結果を誘導しようとする思惑を持つのは、政治家や行政職員に限らず、多様な主体が関与する可能性があるのです。

 

 

 

 

 

民主的統制と行政の自己循環構造(行政学講説第2回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

民主的統制、あるいは行政統制の構図は、「統治者 → 為政者 → 被治者」という自己循環的な回路として説明されます。この回路は、印刷教材の図表において「行政統制の自己循環回路」の左側に示されています。

統治者(市民)、すなわち被治者が民主制においては市民意思に基づいて行政を統制し、その統制された行政が民衆を支配します。そのため、建前としては民衆は自らの意思に反した支配を受けない仕組みとなっています。つまり、統治者(市民)、為政者(行政職員や政治家)、被治者(市民)の意思は一致することが前提です。

しかし、実際には行政が支配権力の行使を通じて市民意思に影響を及ぼす可能性があります。例えば、補助金や福祉給付の恩恵を与える一方で、反対勢力や抵抗する市民を冷遇するなどの行為により、市民は現状の為政者を支持せざるを得なくなる場合があります。こうした状況では、為政者は市民に対し「この道しかない」と思わせるような影響力を行使できるかもしれません。

こうした場合、市民ができることは、行政の支配を前提とした中で自分にとっての最善の利益を得るために抜け駆けや策を講じることだけです。このような状況では、為政者のあり方を変えるような独自の市民意思、つまり真の民意が出てくることはありません。むしろ、為政者の影響によって形成された市民意思が形式的な統治者として現状の為政者を支持し、正当性を与えることになります。

こうした事態は外見的には統治者、為政者、被治者の意思が一致しているように見え、民主制が機能しているかのように映ります。しかし、実際には民衆が為政者を統制しているのではなく、為政者が民衆を統制しているのです。つまり、行政から独立して形成された民衆の意思が為政者を統制するのではなく、為政者が作り出した市民意思が統治者としての役割を果たしているにすぎません。この結果、為政者が自ら作り出した意思が、市民によって正当化されるという自己実現的、自己循環的な回路が生じるのです。

 

 

 

 

 

市民参加と行政過程の課題(行政学講説第2回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

公選職の政治家と政治任用または資格任用による行政職員という為政者集団を前提に、それらに就任することなく、行政過程に市民が直接参加する機会もあります。その前提として、行政の情報が公開される必要があります。その上で、為政者と市民の間で情報が交換され、政策の決定と実行が進められる仕組みが求められます。このため、行政過程のさまざまな局面で市民の直接的な意思を取り入れる方策が講じられています。

例えば、署名活動、陳情、要望書の提出、苦情の投書、審議会、市民説明会、協議会、検討会、パブリックコメント、広告縦覧、意見書の提出、直接対話、交渉、街頭やウェブ上でのデモ行為などが挙げられます。また、市民による訴訟提起も、政治や行政の在り方を見直す契機となることがあります。

行政過程への市民参加によって、市民意思が集約されて可視化される場合もあれば、集約されずに多様な個別意見が提示される場合もあります。いずれにしても、これらの機会で表明された民意が、そのままの形で政治家や行政職員を統制するわけではありません。むしろ、政治家や行政職員と市民の相互作用の中で意思形成過程の一部を構成するものと考えられます。

その意味では、行政過程への市民参加が実現したとしても、市民が行政を完全に統制できるとは限りません。

 

 

公選職の政治家と政治任用または資格任用による行政職員という為政者集団を前提に、それらに就任することなく、行政過程に市民が直接参加する機会もあります。その前提として、行政の情報が公開される必要があります。その上で、為政者と市民の間で情報が交換され、政策の決定と実行が進められる仕組みが求められます。このため、行政過程のさまざまな局面で市民の直接的な意思を取り入れる方策が講じられています。

例えば、署名活動、陳情、要望書の提出、苦情の投書、審議会、市民説明会、協議会、検討会、パブリックコメント、広告縦覧、意見書の提出、直接対話、交渉、街頭やウェブ上でのデモ行為などが挙げられます。また、市民による訴訟提起も、政治や行政の在り方を見直す契機となることがあります。

行政過程への市民参加によって、市民意思が集約されて可視化される場合もあれば、集約されずに多様な個別意見が提示される場合もあります。いずれにしても、これらの機会で表明された民意が、そのままの形で政治家や行政職員を統制するわけではありません。むしろ、政治家や行政職員と市民の相互作用の中で意思形成過程の一部を構成するものと考えられます。

その意味では、行政過程への市民参加が実現したとしても、市民が行政を完全に統制できるとは限りません。

 

 

 

 

 

 

行政職員と民意の反映の課題(行政学講説第2回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

行政を市民が統制するためには、市民自身が行政職員となることも考えられます。行政職員の選抜には、能力実証主義、成績主義、メリットシステム、資格任用制といった基準が用いられることが多いです。しかし、公選や政治任用ではないため、行政職員に民意が反映されるかどうかには疑問が残ります。そのため、市民自身が行政職員となり、自ら行政を統制することが重要です。

つまり、行政職員の就任機会は市民に広く開放される必要があります。例えば、公務就任の機会を日本国籍保有者に限定するのか、外国籍の者にも開放するのかは重要な論点です。また、仮に開放するとしても、どのような職種や職層にまで適用するかも議論の余地があります。現代日本においては、公権力の行使またはその意思形成に関与する行政職員は、日本国籍保有者に限定されるのが当然の法理と解釈されています。これは、市民を国民に限定している現行の制度と対応しています。

もっとも、行政職員の数は市民全体の数より少ないため、行政職員の就任機会が市民に開かれていても、実際に行政職員になれた市民とそうでない市民の間で分断や乖離が生じる可能性があります。さらに、行政職員が終身公務員としての地位を保証されれば、封建時代の身分制度や特権官僚制のように、市民から乖離した為政者層を形成する危険性も指摘されます。

行政職員への就任機会が広く市民一般に認められているだけでなく、行政職員の代表性、つまり市民と同様の背景や価値観を持つ人々が行政職員に含まれていることも重要です。例えば、行政職員が男性多数、富裕層出身者、特定地域出身者に偏り、特定の民族や宗教に限定されている場合、それは市民全体の代表とは言えず、民意を行政に反映させることにはつながりません。ただし、市民と同様の背景を持つ行政職員であっても、市民の意思を反映するとは限りません。

また、行政職員だけが行政的な役割を果たしているわけではありません。事業者や地域住民などの市場セクターや社会セクターの市民も、行政職員と同様の機能を果たしています。行政の業務を事業者やNPO(非営利組織)などの市民に外注することで、市民が自ら行政的業務を担う形を実現することも可能です。その場合、行政職員による直接的な統制がなくても、実際の業務を市民が担うことで問題を回避できる可能性があります。

しかし、こうした市場セクターや社会セクターが広く市民意思を反映している保証はありません。このような状況を考慮すると、行政が事業者や地縁的組織、NPOなどを監督または統制する必要性が生じます。一方で、これらの組織が行政によって監督・統制されると、こうした組織で働く市民の意向を反映することは難しくなるでしょう。最悪の場合、市民が行政の「下僕」となる危険性もあります。

 

 

 

民意の形成と民主的統制の課題(行政学講説第2回)#放送大学講義録

「プレブィシット」は2016年のイギリスの国民投票から問題にされるようになった。

 

ーーーー講義録始めーーーー

 

現実に市民が公選職の政治家を民主的に統制できているかどうかは、予断を許しません。そもそも民意が何であるかが明確でなければ、市民意思をもとに公選職の政治家を統制することはできません。

もし選挙結果や公選職の政治家による議論や議決によって初めて市民意思が判明するのならば、市民が公選職の政治家を選出できたとしても、民意に基づいて政治家を民主的に統制しているとは言えません。そのため、選挙や公選職の政治家を介さずに、民意を直接把握する手法が模索されてきました。

例えば、世論調査や市民意識調査などを通じて、市民意思を直接に把握する技術が発達してきました。また、報道機関が「公器」として世論を代弁すると主張することもあります。あるいは、雑誌記事や風説、インターネット上の多様な意見を市民意思として受け止めることも考えられます。

こうした民意が選挙や公選職の政治家の意思決定と乖離する場合、その乖離を是正することが民主的統制の一環となります。しかしながら、これらの「民意」とされるものが、選挙や公選職の政治家による議論や決定を否定できる保証があるわけではありません。例えば、田中角栄元首相は「新聞は世論ではなく、世論は選挙で示されるものだ」と述べたことがあります。

そのため、市民投票によって、選挙と同様の秘密投票形式で民意を把握する手法も発達してきました。もし民意があらかじめ固定的に存在するのであれば、市民投票は民意を再現または発見するための手段にすぎません。

しかし、民意が流動的に形成されるものであるならば、情報提供、学習、情報交換や議論といった意思形成過程が重要になります。公選職の政治家や行政職員が関与する議論などの過程を経て、民意が形成されると考えることも可能です。

市民投票の段階ではまだ民意が十分に形成されていないかもしれません。むしろ、限られた時間や情報のやり取りに限定された市民投票の結果は、民意形成の方法として問題があるという見方も存在します。政治家が市民を誘導し、圧倒的賛成に導く「人民投票」や「プレブィシット」として市民投票が民主主義の危機に陥る懸念も拭いきれません。

ただし、公選職の政治家が関与する意思形成過程の結果が適切であるという保証もないのです。

 

 

 

 

民主主義と間接統制の課題(行政学講説第2回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

多数の市民が直接行政を統制することは容易ではありません。第一に、行政を指揮・監督するためには、多様な市民の意見を単一の「市民意思」に集約する必要があります。第二に、集約された市民意思に基づいて、具体的に行政を統制する作業を担う人間が必要となります。このため、選挙によって公選職の政治家を選出し、間接的に行政を統制する「間接民主制」または「代議制民主制」が採用されることが多いのです。市民は選挙を通じて公選職の政治家を統制し、公選職の政治家が市民に代わって意思決定を行い、それに基づいて行政を統制します。

公選職の政治家は、為政者として行政職員と同様の役割を担う存在でもあります。つまり、公選職の政治家と行政職員が一体となって為政者、すなわち公務員として、主権者である市民に対して支配を及ぼします。公選職の政治家が市民意思から逸脱しない限り、民主制は維持されます。しかし、しばしば政治家は為政者として市民、すなわち主権者である市民の意思から離れることもあります。政治主導であるため、官僚支配とは異なるものの、政治家による支配が生じることになります。

市民全員に代わって行政統制を担う人間を選抜するためだけであれば、選挙である必要は必ずしもありません。例えば、くじ引きによる選抜でも十分です。実際、裁判員裁判や検察審査会、陪審制や市民討議会のように、意思決定を担う人間を無作為抽出で選出する方法も存在します。また、市民が自ら公選職の政治家となることで、行政を直接指揮・監督する立場につくことも可能です。

もっとも、人数的には市民のごく一部しか公選職の政治家になることはできず、市民が「政治家」と「非政治家」に分断される状況も生じます。つまり、政治家となった市民による、政治家にならなかった、あるいは政治家になれなかった市民に対する支配が発生するのです。そのような場合には、できるだけ多くの市民が公選職の政治家となれるように、例えば「多選制限」などを設けてローテーションを行うことが考えられます。

さらに、二大政党制のような政権交代制は、政権与党の政治家がローテーションする仕組みともなっています。