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総力戦体制下の教育と戦後(戦後日本教育史第2回)

総力戦体制が戦後にどのように繋がったのかは分かりづらかった。まあ戦前の教育がどんなものだったのかは良く分かったけれど。

 

国体。万世一系。総力戦体制。教育刷新。37年、教育審議会の設置。41年の答申。国民学校の創設。皇国。国民学校令。皇国民の錬成。広領域的に。義務教育を8年に。団体訓練。自由主義個人主義は排斥された。御真影。奉安殿。修身科。戦争教材。日本第一。43年の中等学校令。学校系統の簡略化。
思想問題への政府の対応。学問思想の自由の弾圧。思想対策。善導。33年、滝川事件。思想統制の対象が自由主義にまで及ぶ。35年の天皇機関説問題。科学的実証学問の道が閉ざされる。日本精神を強調した日本的教育。国民精神文化研究所。マルクス理論に対するものを。37年3月「国体の本義」。日本精神の真髄としての。八紘一宇。現人神。民主主義自由主義を否定。家族国家観。定義が曖昧であるものが様々な要素を包み込み、強いことがある。
学校教師の役割。総力戦体制に組み込まれる。儀式では紀元節天長節など。国体観念の養成。37年8月、挙国一致。日本精神の高揚。42年愛国婦人会。町内会、隣組の体制化。40年には「隣組」が流行る。非国民的な言動を排除する機能も。子どもたちの文化。国策遂行の使命が。
学校生活。44年6月、学童疎開。縁故疎開や集団疎開。約45万人。食糧事情も悪化。修業年限の短縮化など。43年、勤労動員が進められる。学徒出陣。将校下士官。吉田満。45年の敗戦。必然的に戦争協力に。満蒙開拓青少年義勇軍。移民。教師は義勇軍に参加させる役割を。8万6千名。

 

戦後日本教育史 (放送大学教材)

戦後日本教育史 (放送大学教材)

 

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