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占領教育政策と「自己改革」の相克(戦後日本教育史第3回)

歌が聞けるとは思わなかった。生まれていない筈だけど、懐かしく感じる。

 

アメリカによる事実上の単独占領。戦後教育改革。GHQや日本側の青写真。どのような中身を形成することになったのか。国民の受け止め方や子供への影響。
玉音放送。総力を将来の建設へ。長い戦争が終わったことによる不安と期待。敗戦を新しい契機に。49年5月3日。角川文庫。若い文化力の敗退。敗戦を契機に絶好の機会。歴史的な断絶と関連。
衣食住の欠乏は深刻。将来の見えない不安。戦災孤児と欠食児童。学校教育を正常化。9月15日。「新日本建設ノ教育方針」。改革の方向。GHQからの指示は無かったが。自己改革の試み。非軍事化と民主化の方向と一致。科学教育の振興。新日本建設に資する為。講習会。個性の完成を目的。自主的自発的な創意の必要性。道徳についても。修身科の抜本的な改革。「公民教育構想」。45年12月、知識だけであり、現実に役立つものではなかった。社会に役立つ個人。現実社会で実践。公民科とするべき。社会現象としてのものの相関関係を総合的に。道徳的に自己改革を進める。
45年9月20日。墨塗り教科書。間違いであったと簡単に言うことは出来ない?豹変した事例も少なくなかった。教育学者も。教育の戦争責任の問題。
教育政策を主導したのはGHQ。銃剣道などの廃止。4つの教育指令。教育の四大指令。教育の分野における非軍事化と民主化。教職追放。機械的な審査。神道による教育を排除。修身などの教科の停止。自己改革への不満。上からの厳しい民主化は権力的だったのも事実。民主主義の名を借りた独裁?自己改革の可能性を閉ざす。46年に入ると、GHQは積極的提言。第一次教育使節団。報告書は。中央集権的な教育は改革されなければならない。個人の価値の尊厳を。個人の保つ力を最大限に。9年間の無償義務教育を。20世紀の新教育運動の観点。戦後教育改革の指針に。殆どが実現。忠実に実行。
46年5月に新教育指針。個性尊重など。民主主義を徹底。人生に対する態度。真実を尊重する精神。自主的であるとともに責任を。報告書とも一致。具体的方針を示す。
餓死と栄養失調。たけのこ生活。買い出し。闇市。バラック住まい。「青い山脈」。

 

戦後日本教育史 (放送大学教材)

戦後日本教育史 (放送大学教材)

 

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