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教育内容と教育方法(教育学入門第7回)

体験をいかに取り込んでいくのかというのは大事な観点のように思う。

 

カリキュラム、教育課程とは?学習到達度調査。かくれたカリキュラム。学習の体験化の問題。ゆとり教育。教育内容。学習指導要領。頻繁に変わる。総合的学習。具体的方法が重要。教科書で教える?教科書を教えることで手一杯。
カリキュラム。要素。スコープとシークエンス。分類。伝統的教科。経験カリキュラム。総合的学習という経験カリキュラムも。幼稚園から高校、学習指導要領。法的性質。ゆとり教育、確かな学力。一定の教育目標が。教育の方法がついていっていない。ピサ、OECDの学習到達度調査。学力低下とされた。数字を生み出す背景。生活習慣や家庭環境。点数を上げるのに汲々としている。自治体レベルで原因を掘り下げる必要が。どう生かされているか?記帳なデータだが解釈は多様なもの。様々な学力観の一つ。教育方法は教育内容との関わりで検討されるもの。厳格な学級制。総合的学習。必ずしも上手くいってないという評価が。現実にどのように現場で実現できるか?条件を含めた検討。見える学力と見えない学力。残す教育。数字の独り歩き。何を目指すか?教育課程をどのように組み立てるか?各学校の実情に応じて。分析が充分に行われていない。
かくれたカリキュラム。教育社会学から。教育される側から。無意図的なものについても。性別の役割。男女が互いに尊重?現在の社会が求める男らしさ。女らしさ。役割分担が知らず知らずのうちにモデルに。現実に学ぶ内容は、かくれたカリキュラムも。学校生活について現実に学習され習得されるもの。ジャクソン。アップル。カリキュラムの潜在的機能。社会の不平等の再生産。genderとの関わり。無意図的には男女差別を。教師にとっても見えない。無意図的に。教師文化。教育実践の在り方を規制。意図された学習の範囲だが、学習者の側が現実に何を学んでいるか。現実の変化。意図された目標に結びつかない。視点を大きく広げる。genderとの問題。性別混合名簿にするなど。教師が無意識の内に。中流階層の?生活の様式。枠にはめる。意識する必要。カリキュラムの概念の拡大。経験カリキュラム。幾つかの像をなしている。訳語としての教育課程。だいぶ狭くなる。カリキュラムは幅広く使われている。教科型。経験カリキュラム。指導要領よりも教育方法。生活科。総合的な学習の時間。どのように具体化するかが課題。教科横断型。情報教育や国際的に限られず、個々の児童が主体的に学んでいく。自然な学習の在り方。伝統的には輪切りにされてきた。かえって学びが難しくなる。具体化する方法的な問題は明らかにされていない。支えるような条件整備が貧弱。なかなかコンセンサスが得られない。学校という組織、文化。教科横断だけではない。地域の課題を。
学習の体験化。学習指導要領。体験的な学習。問題解決的な。自主的自発的な学習。学校教育法。体験活動の充実を。教科の指導。問題解決的な学習を重視。学習の体験化の背景は?よく遊びよく学ぶ子供の育成。学ぶことと遊ぶことが両方共重要、なのではない。直接的体験に乏しい。日常生活において昆虫の体を学ぶ。知識だけの肥大化。木に登ることや魚を捕まえる、全体の2割ほど。経験と概念の乖離。かつての学校は学校外で様々な体験をするのを前提にして学習。今日では体験が充分ではない。生きた学力ではないし生きる力にもならない。学習の体験化、再構成を図る。生きる力。総合的な学習の時間。公務員の週休二日制。学校の週五日制の完全実施。大人の都合が先行して、充分なcareがなされていない。体験的活動の重視。言葉により体験し得ない多くの概念を学習。言葉による学習。しかし独り歩きは経験と概念のアンバランスを。バランスの回復が求められている。体験的な活動の意味。学習観の転換。山村留学。70年代から。黒板とチョークだけでの学習に限界。考える葦、というのが必要。子どもたちの生きる力。体験的活動の重視。体験と言葉のバランスの再構築。学校内での教育。学校外での生活体験。塾。生徒指導、地域の教育力で。体験活動が生きてこない。中学生が社会で学ぶ、職場体験を。学校内だけでは難しい。学校と地域の分担。学校と家庭と地域、三位一体。連携でなく融合。部分的に重なる部分で。組織としての学校。学校は何が出来るか?生徒指導における体験の意味。学級や班、集団重視。経験多様な子供たちという前提で。個別学習や集団学習。個別的なcareも必要だが、協力の重要性。

 

教育学入門―教育を科学するとは (放送大学教材)

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