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学制改革の混乱と教育課程改革(戦後日本教育史第5回)

この時期の教育課程にについては、時代の前後との比較をして把握しておかなければ。

633制。学制。新制と旧制。学制改革。戦前の学校制度と比較。教育課程改革。子どもたちの世界は?
46年3月の勧告。47年に学校教育法。法体系を改める。単一化。新制の学校として発足。学校系統図。中等教育段階の学校は複数の系統。複線型学校制度。分岐型。フォーク型。高等教育への進路が限定されている。義務教育以降の学校で進路が決定。現在でも諸外国に。戦後。中等教育は中学校と高等学校に。大学に一本化。単線型学校制度。学校系統図はsimpleに。目的は教育の機会均等。学制改革の構想は戦前から議論されてきた。日本側に基盤の形成。中等教育については43年に中等学校令により一本化の議論。教育刷新委員会。天野貞祐。GHQの強制は無かった。633制については委員の全ては賛成だった。GHQと改革の方向性が一致。
新学制の実施。短期間での実現には多くの課題が。新制中学校の教員充足率は81%。新制高等学校はその殆どが旧制中学校の転用。重視されたのが学区制、総合制、男女共学の高校三原則。格差是正を。できるだけ地域の学校に。大規模に。ただ地方では困難。実情を無視したところも。私立の高等学校では三原則は適用されず。多くが男女別に。中学校を併設したところも。
47年4月。文部省は最初の学習指導要領の一般編試案。22年度版。教育の目標や指導要領。各教科編の学習指導要領の刊行も。児童や社会の要求をどのように満たすか。「試案」に注意。法的な拘束力を持たない。教師が自分で研究する手引書。歴史上大きな論点に。戦前とは違い児童中心主義への転換。自由研究などの9教科。国史地理の代わりに社会。家庭が5年から。自分たちの社会に適応。社会生活を理解させる。新教育課程は社会科を中心に。花形教科。中学校の教育課程。選択教科。職業科が必修の一つに。高等学校。国語社会体育を必修。26年度版にも引き継がれる。「試案」。手引書。教育課程と改める。保健体育。児童の生活経験を重視。経験主義的教育論の影響。
社会科。道徳教育との関係が問題。修身科廃止を前提として道徳教育の検討を。公民教育。公民科の設置を検討。46年5月以降、GHQは社会科の設置を求める。主な理由。指導書が類似。社会科はソーシャルスタディーズが基。総合教育。経験主義的教育論。社会科は公民科と性格を異にする。戦前までの道徳教育が教育課程から無くなる。根本的な課題に。道徳教育は全教育課程で。天野貞祐。文部大臣。元々はカント研究者。修身教育は必要。教育の目的として。いわゆる修身科復活問題が。社会科を一つの契機として道徳教育を。50年12月の世論調査。復活に64%が賛成。51年。道徳理念。戦後教育改革の積み残した課題の解決を。問題契機は結局は実現せず。その後の歴史においても度々問題に。道徳の時間の設置。中教審の期待される人間像。
民間でも50年代の初めにかけてカリキュラム論争が。地域社会の実態を踏まえて。48年にはコア・カリキュラム連盟が結成。子供の興味関心を軸に。コアとなる中核過程と周辺とを統合。子供の社会的発展。生活単元学習の方向性。無着成恭。51年に「山びこ学校」。農村の貧困。学級の2割が家の仕事で欠席。自分の名前の字が書けない。現実の生活について討議、綴方教育。理念と趣旨がどれだけ浸透したか?自由を持て余す?
子どもたちの世界は?「東京キッド」。美空ひばりが主演。4000人?の浮浪児。戦災孤児。靴磨き。戦争の爪痕は生々しかった。子どもたちの生命力。右のポッケにゃ夢がある。新しい時代の空気が徐々に浸透する。巨人大鵬卵焼き。力道山。空手チョップ。街頭テレビの人の多さ。時代の熱気と躍動感。廃墟から立ち直る自らの姿を重ねる。赤胴鈴之助。月光仮面。少年マガジンと少年サンデー。手塚治虫。今日の漫画アニメの隆盛を。49年に湯川秀樹がノーベル賞を。多様な文化。戦争の痛手から回復。

 

戦後日本教育史 (放送大学教材)

戦後日本教育史 (放送大学教材)