時代の主要な思想潮流に流されて、言葉は解釈されがちだなあと感じる。
時間の認識を前提として。年号の確認はマチマチ。西洋暦の方が多い?グローバルスタンダード。時間の支配は空間の支配と同じ。帝国主義の時代。キップリング。適者生存論の社会への適用。白人支配の責任。100年前の帝国主義は世界的視野を持つ。空間の支配は時間の支配に。植民地支配拡大に不可欠。その当時の日本は?失敗すれば首の骨を折れかねない。新興の帝国主義国。西洋化を積極的に受け入れる。西洋暦も受け入れざるを得ない。元号。これまでは一人の天皇でも頻繁に改元していた。明治時代からは一世一元。明治大正昭和平成。元号の世界としての日本人の認識。双方を使う。昭和という元号を使うか、20世紀の西洋暦を使うか?戦争責任の絡みで昭和を使わない人達も居た。他方は官公庁は昭和を使った。19世紀の末から生き続けているもの。キップリング。ジャングル・ブック。美智子皇后。懐かしい作品の一つ。100年経ってなお児童文学として読みつがれている。19世紀末の作品はいつ日本語に訳されたか?1894年に原著。4年後に訳される。博文館の少年世界という雑誌に連載。ほぼ同時と言って良い。100年言い伝えられている、「東は東、西は西」。非常に誤読をされるケースが多い。力足らずではなく、かなり意図的に誤解をされている。馬場恒吾。中公文庫に評伝が。キップリングを極めて高く評価。簡潔で一語一語が、言葉の魔法使い。30年代後半にキップリング論を。30年代には帝国主義者として把握されていたが、異議申立てをする。何故帝国主義者と決めつけられたかを説こうとする。キップリングの詩は、東西文明は融和することはない、という意味で。2人の強い男が立つ時は、東も無ければ西も無い。両雄の相対するということ。今日でも同じように誤解されている。所詮理解は遠い?ロベルギラン。94年に日本の勲章を。西洋化された日本が、伝統的な日本を崩壊させることはない。日本人が発明したのは二重文明人?この種の誤読は正しい読み方?西の側でも誤読が始まり、東でも受け継がれる。ダゴール。2つは出会うことがない?両者は相容れない?20世紀初頭からのコンテキスト。20世紀の末以降、キップリングの再興。誤読だったと西でも東でも言い始める。キップリングの意図そのものに。馬場恒吾は日本語も英語も、同じような悩みを。20年代30年代と帝国主義者として断罪。日本の英文学界に取り入れられる。帝国主義を喧伝。スタンダードの呪縛。ナチや極右に近い人物として。日本で紹介されることが少なくなる。紹介の為の翻訳は少なかった。拍手喝采とはいかない。中国への利害対立。戦後も呪縛が続く。研究してはいけないという学界の雰囲気。勇気ある学者が出ない。80年代以降から、キップリングの読み直すが。ザイードのオリエンタリズムの逆機能。よく読めば文学として面白い。アメリカやイギリス、伝記が。日本では学会も。帝国主義者は読んではいけない?戦後の思想の流れの呪縛。戦後主張の反映。キップリングの評価にあたって出てくるのがジョージ・オーウェル。キップリングが如何に帝国主義者か。しかし単線的ではない。退役兵士が読み込む。00年前後にボーア戦争についての詩。リアル。19世紀の帝国主義者の見方と別。ファシズム以前。キップリング批判だけが日本では論じられる。限定条件をつけながら再評価をしたのは比較文化の学会。徳富蘇峰。健全なナショナリズム?大和民族に重荷の自覚を。後に大東亜戦争への賛美をしたが。黄人の重荷。インタラクション。極めて慎重に限定条件をつけているが。70年代に。キップリングをどう読み直す?01年の少年キム。19世紀後期。大英帝国の黄金世紀。ロシアとイギリスにトラブルが。グレート・ゲーム。ヒーローのキム。スパイ小説だが仏教の話。ザイードのオリエンタリズム。「文化と帝国主義」。文学的価値を。階級差別の意識はあるが。植民地を題材にしたからと言って、帝国主義とは言えない。実践倫理の書としても読める。民族や宗教を融合。帝国主義の観点だけからしか読めない訳ではない。日本の近代を考える上で大事な議論。帝国主義に日本は流された?戦後70年、帝国主義を全て否定してきたけれど。平和や民主主義に反するものは全て悪だった?戦前の悪の根拠の一つは帝国主義。社会進化論。「劣等な民族」を支配するのは当然。とんでもないと一刀両断した。しかし一つ一つ吟味することが必要。言葉の多義性を。日露戦争の後、夏目漱石も帝国主義を礼賛したかのような文章を書いている。そういう雰囲気があったのは事実。誤った文脈で読まれているのを放置しているのは問題ではないのか。平たい文脈で考え直す必要性がある。戦後を賛美しようとする動きもある。帝国主義は当然?戦前イコール善、というのも違う。90年代に産まれた世代。直感で言うと侵略国ではない?どちらもが間違っている。一つ一つ吟味していくこと。東西文明は両雄相対する。イスラムと西洋、イスラムと東洋が問題となっている時代。中東の世界をどのように読み込んでいくか。常に新しい文脈の中で。細かい吟味の上に議論を展開していく必要がある。