F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

朝鮮半島における南北分断体制の成立(韓国朝鮮の歴史第14回)

45年からの朝鮮半島の歴史は、国際政治の変化とかなりリンケージlinkageしているのが分かる。

 

45年8月15日の朝鮮解放から。分断状態の固定化。国内的国際的背景と要因。今日にも繋がる。
45年8月10日。ポツダム宣言の受諾。15日に朝鮮建国準備委員会。全国に人民委員会。9月初めには左派が主導を。38度線で米ソは分割占領の方針。米軍政庁。アメリカソ連中国イギリスによる信託統治案が。右派は反発。46年3月から5月にかけて、米ソ共同委員会。朝鮮共産党は9月に再建。労働党の発足。共産主義運動は北部が中心に。米ソは冷戦体制に。南北で単独政権の動き。47年2月に北朝鮮人民会議。独自の統治機構。南はインフレでアメリカの援助に頼る。食糧難に。軍政への不安。46年9月、9月ゼネスト。左派政党への弾圧。47年5月。米ソ共同委員会。再び決裂。国連は南朝鮮の総選挙を。李承晩は南北協調の勢力を批判。済州島で軍事衝突。48年5月10日に単独選挙。8月15日に大韓民国の成立。韓国。北朝鮮でも単独政権の動き。貨幣体系が切り離される。最高人民会議の選出。朝鮮民主主義人民共和国の樹立。北朝鮮。武力による統一。ソ連軍米軍の撤退。韓国の軍事力の低下。朝鮮戦争。安保理で38度線北への撤退を。国連軍の上陸。中国人民志願軍の南下。一進一退。38度線で膠着。休戦への動き。53年7月21日、休戦協定の調印。国連軍と北朝鮮との間で。韓国は当事者ではない。非武装地帯。南北分断の固定化。
李承晩政権は安定していた訳ではない。57年まで反乱、レッド・パージ。国家保安法。共産主義運動の非合法化。韓国民主党は議院内閣制を主張。50年5月の選挙で支持基盤は不安定に。四捨五入改憲。進歩党への弾圧。60年にデモは全国に。419学生革命。零細農体制は改善されず。地主を産業資本家へ転換を企図。必ずしも成功せず。経営能力は高くなく、戦争で破壊されたことも。戦争後はアメリカの援助に依存して経済成長。農産物価格の下落をもたらす。離農が進む。工業化の労働力となる。49年。朝鮮労働党。投書は多様な勢力で対立。戦争開始後は金日成に権力集中。社会主義化。農業部門では既に土地改革。53年から58年に共有化など。工業部門では重要産業施設に加え共同化。49年からソ連の援助。軍需工場。経済援助。工業化に多くの資金。重工業化。軍備拡張。千里馬運動。生産意欲の誘発。59年には千里馬作業班運動。共同農場。上部からの政治工作で。
韓国では議院内閣制に。60年8月に国務総理。北朝鮮との宥和政策。中小企業の育成。経済的困窮は解消されず。軍部の青年将校は不安。61年5月にクーデタ。政党の解散とメディア統制。朴正熙。軍事政権。半民主行為の処罰。容共思想を取り締まる。KCIA。政治工作。反面で民政移行を公約。63年7月に政党の活動の解禁。朴正熙政権。日韓会談の再開。援助経済からの脱却。外貨導入の見通しを。日韓基本条約。日本の経済協力。屈辱外交との批判。デモは朴正熙の退場へ。調印直前になると再度デモ。言論統制策。65年にベトナム戦争への派兵を決定。ベトナム特需。経済成長の原資。財閥成長。輸出志向型工業化。軽工業の発達。道路網などのインフラ整備。基幹産業の整備。社会不安も増大。労働運動の件数の増大。金大中の健闘。地域の感情的対立。国家主義的教育。政権批判の動き。71年に国家非常事態宣言。北朝鮮では資金調達の躓き。ソ連東欧諸国の援助が無かった。軍事費の増加。国防費が全予算の30%以上。中ソと等しく距離を取る。関係は安定せず。援助の激減。キューバ危機。ソ連はキューバを見捨てた?軍事費の増加。農業生産の不振。内部でも路線対立。社会主義をどう理解すべきかの理論的問題。60年代後半から主体思想。思想における主体など。一国社会主義を正当化するイデオロギー。テレビなどで喧伝。抗日遊撃隊の記憶。体制形成。韓国やアメリカに強硬姿勢。遊撃隊が青瓦台に進撃。71年からアメリカが中国との和解に。南北対話路線へ転換。米中の接近で外交関係の見直しを。南北離散家族問題。南北赤十字社の会談。相互訪問が秘密裏に。南北共同声明。南北常設委員会は進展せず。南北で独裁体制の強化。

 

韓国朝鮮の歴史 (放送大学教材)

韓国朝鮮の歴史 (放送大学教材)