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語用論(3)-日本語の語用論-(新しい言語学第11回)

他の言語はよく分からないが、少なくとも日本語で会話するのは極めてややこしいと感じた。

 

語用論の考え方。理論の側から。今回は言葉の側から。どのようなものが語用論の問題になるのか。言葉の使い方や選び方。社会言語学でも言葉の使い分けがテーマに。年齢や男女の違い。場面による違いも。いろんなレベルで言葉を使い分ける。無意識の内にでもあるし、意識して使い分けする場合も。無意識な方が社会言語学。意識的なのが語用論。ある意図と結びつく言葉が。ランチは食堂でなく、何処か外に出るというニュアンス。選択を変えるとニュアンスが異なる。ニュアンスを違わせる為に言葉を選ぶ。ニュアンスと言葉の相互作用。
収録をおととい思い出して、すっぽかしそうになった。過去形が好き?収録は明後日、というのは変かもしれない。13回の担当について「でした」も変な使い方?「言ってよろしかった」というのも変な過去形。今回のテーマが乗り移った。過去が現在に憑依?当たらずといえども遠からず。絶対な時間の物差しでは未来系だが、「た」を使うのは?そこに至るまでのプロセスに何かがあった?以前は収録の日を覚えていた、スケジュールに入っていたが、記憶から落ちてしまったのを思い出して。今気がついた、という意味だけを。今初めて気がついた、という構造。一々選ぶのは面倒くさそうに聞こえるが、あることについての認識を、既に得ていた、と言いたいか?だいぶ基本的な捉え方?バスを待っている人。「バスが来た」「バスが来る」。別の意味では認識と関わりが。バスが来るという出来事の捉え方自体が微妙に違う。「バスが来る」。僕のバスが来ちゃう。「バスが来た」。2つの状態が比べられている。来るかどうか分からないという状態と、バスが来る心構えをしている場合と。もうすぐ来るんだ、と心づもりをしている。もうすぐバスに乗れる、という認識。ある認識が自分の中に生じた。認識という言葉からしてそうだが、認知言語学的。意味解釈については充分に説明可能。認識の表明。車を出そうと思っても動かない。あれこれ点検してみてもわからないでふとみれば、足がブレーキを踏んでいた。「踏んでいた」と「踏んでいる」。言う人が限られる。後部座席に座っている人。「踏んでいた」と言うとツッコまれる。「踏んでいる」は誰でも言える。全体の解釈を得ているというニュアンス。運転者に焦点を。どちらでも言える。2つの言い方の選択が語用論的問題。「あ、ブレーキ踏んでる」「全然気が付かなかった」。「あ、ブレーキ踏んでた」。「た」の語用論。「過去形」は止めた方が良い?英語の過去形を導入した。在る認識を得た、得ている、という意味。邪魔な人を早く追い出したい「さあ、帰った帰った」。
最初の方で「過去形が好き」。「た」も気になる。認識を得た?丁寧さの「た」。対人配慮の「た」。ポライトネス。「何々だと思いました」は遠慮深く聞こえる。そのまま言葉にすると不遜な感じに、態度が大きい、上から目線。「た」の形にすると丁寧な感じが出せる。「計画は再検討する方が良いと思いました」。押しの強さが和らぐ。「問題な日本語」。いろんな点で気になる、問題とされる表現を。どうしてそう表現したくなるか。「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」。名古屋でお土産を。キョトンとなる。聞き流すことが出来なかった。この言い方は何となく定着してしまった。東京では広がりを見せていない?方言の一つとして北海道から北東北で使われていたという説。「誰それはちょっと出かけてました」。「た」は過去形でなく現在不在なのを丁寧に言っている。認識を得たのが大本になる。ちょっと相手に丁寧に。「お部屋は305号でした」。仙台でも使われている。南東北も?ここ1年で大増殖中。「お席でのお会計でしたのでそのままお待ち下さい」。もう払ったの、と思ってしまう。面白がってワーイワーイと思う。言葉は難しい。語用論の問題として面白い。何でも「です」「ます」ではなく「でした」。語用論的な選択。理論的に言うといまここにあることを、わざと外す、過去のことの素振りをする。相手に突き詰めて言ってしまうことを避ける。聞いた人は耳が点になる。伝達能率が悪い。支障になる。伝達効率を犠牲にして対人考慮に振り向ける。
グライスの協調の原理と4つの原則。仮定しないと会話にならない?実際は逸脱している。わざと逸脱することでコミュニケーションを。レトリック。ニュアンスが伝わる。丁寧さの「た」。原則からの逸脱を含む。質の原則の違反。伝達効率も落ちる。敢えて使うのは直接性を避ける。表現を間接化させる。日本語は丁寧な方に偏る?仲良しの友人に丁寧語を使うのも違う。びっくりされてしまう。心理的な対人距離も小さい。直接的な話し方がふさわしい。遠い関係に遠い言葉、近い関係に近い言葉。敬語は遠い言葉。「ご子息におかれましては」。随分と回りくどい。持って回った表現、敬語らしい。敬語は距離を置くもの。夫婦喧嘩で突然敬語が登場することも。敬意なんてない。丁寧度が最高になってしまう。距離のバリア。最も直接的な言い方と比べて。最大の距離、バリアを置く。直接的な方は相手にそのまま言葉をぶつける。当然のように実行している?社会言語学的なことにならないか?決まりきっているのなら社会言語学になる。話し手が人間関係を作ったり調整したり出来るなら、その部分を語用論として扱えない?重なる部分は多いが。敬語とタメ語の距離感。敬語系でない言葉。遠い言葉近い言葉、内容面の及ぶ。喜怒哀楽などの感情。気持ちや欲求。相手の自我に心で触れる。日本語には上下関係を軸として上から下への重力。下からはそれで制約される。部下が「社長、コーヒー飲みたいですか?」は変。下手に敬語にしても変。上位者の気持ちに触れると失礼になるという日本語の特質。制約があるとして、聞かなければならないことはある。「コーヒーお飲みになりますか?」行動に直接に。「コーヒーいかがですか」「コーヒーが入りました」。相手にも自分にも触れること無く。社長との距離感も違ってくる。重力がなくなれば問題はなくなる。プレゼントで「こういうセーターほしかったでしょう?」相手に踏み込む表現も出来る。
語用論の原理や原則に逸脱する、対人配慮。

 

新しい言語学―心理と社会から見る人間の学 (放送大学教材)

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