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議会・選挙(ロシアの政治と外交第4回)

小党乱立から与党一党体制になるのは、45年からの日本政治と類似していると感じる。ロシア政治は日本の後追いをするのだろうか。

 

政治制度の議論。かつてのソビエト連邦ではソビエトが最高機関。93年憲法により、立法を司る機関。立法活動。
議会の構成。ロシア連邦議会。二院制。下院にあたるのを国家会議。上院が連邦会議。構成する組織から2名ずつ。当初は166名。かつては地方知事や地方議会の議長が。00年には上院議員の選出を。国家会議の定員は450名。任期は5年。議会の権限。上院は戒厳令や非常事態について。ロシア軍の使用の可能性を。14年のウクライナ危機に際して、軍の使用を上院が許可。下院の権限。大統領推薦の首相候補の同意。エリツィン大統領は妥協を強いられる。中でも下院は競争選挙で選出。ソ連末期から、93年憲法は複数政党制を。選挙制度。選挙制度で政党実態が変わることがある。各国の選挙制度の理解が前提。93年から03年からと、07年と11年。前者の規則は225を比例代表、残りを小選挙区から。比例区は全国1区。拘束名簿式。政党は阻止条項の5%を超えなければ議席は獲得できない。小選挙区は多数得票制。後者では全て比例1区に。阻止条項は7%。国際的に見ても高い。モスクワで抗議デモ。小選挙区の復活や阻止条項を5%に。不正選挙の疑い。世論調査と大きくは異なってはいないが。非公式の圧力。冬季に暖房が止まるとのデマ。与党に偏る報道。昔のアメリカのマシーン政治と類似。過去の日本の組織ぐるみの選挙。北海道スラブ。一党優位システム。ヘゲモニー政党制。圧倒的与党体制に。
院内会派を形成。90年代から継続しているのは自由民主党とロシア連邦共産党。現在は4党派のみ。93年12月の選挙で選出された議員。95年まで。自由民主党が第一党。諸外国は不安視。会派の分裂状況が著しかった。ロシアの選択などの右派。共産党などの左派、民族派。他の会派に移った議員が4分の1に。当時のエリツィン大統領は諸党派を切り崩す。第二次下院。比例区で43の政党が出馬。共産党が躍進。自由民主党は小選挙区で惨敗。ロシアの民主的選択は会派も作れず。与党の側は我が家ロシア。大量の死票が。49.5%。野党勢力が強い議会に。エリツィン大統領の健康状態が悪化。野党は対決姿勢を。大統領政府側は切り崩しで法案の成立を。会派の規律は強くなかったが、対立は激しかった。金融危機後は対立が最高潮だったが、協調姿勢も。99年の選挙。統一。祖国全ロシア。与党勢力が多数に。プーチン大統領は議会での協力を取り付ける。造反票は殆ど無くなった。下院で通った議案、拒否率の低下。第2議会は20%以上だったが、第3期は一桁台に。成立率も90%以上に。大統領令が乱発されていたが、第3期は減少。第4期は3分の2以上に。下院の議論は形式化。会派規律は高い。小選挙区は地域の有力者は政党の助けがなくても当選出来るが、比例区はそうではない。政党指導部への造反がしづらくなる。会派からの造反は殆ど見られず。緊急的法案が多数に。11年選挙からの第6期。統一ロシアは依然として過半数。小党分立からの変化。
議会の機能としては法律を作成すること。立法過程。

 

ロシアの政治と外交 (放送大学教材)

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