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自死遺族の困惑と苦境(臨床家族社会学第11回)

ある親族を、半ば自死のように私は失っている。忘れることで何とかしてきたけれど、きちんと悲しむことが出来ているのか疑問に思えてしまう。

 

別れの日。それから始まる物語。宙ぶらりんの状態に。感情体験。グリーフと呼ばれる感情体系。喪失体験と悲嘆体験。どのように乗り越えていくのか。
自死は思うより身近。お悔やみの場で話題になることは少ない。僧侶にも伝えないことは少なくない。タブー視。きちんと語り継ぎたくても無理なことも。封印された死。何故自死の場合だけ事実が隠されるのか?自らを殺すこととみなされる社会的非難。格付けや偏見。年間3万人の自死者が出た。国もようやく取り組みを。「自殺って言えなかった」。育英会遺児の中でも言いづらかった。模索中だった。遺児青年はどれほどの不安を抱えてカミングアウトしたのだろうか。死の序列化。劣位に位置づける。強大な社会の壁として。
情緒的苦悩。さよならのない別れ。受け入れるにはあまりに不条理。別れと苦悩は、動機が曖昧なことから。最後にさよならも言えなかった。悲嘆。真正の鬱病になることも。次元が違う。何故、どうして?自分だけが生き続けていいのだろうか、という疑問。自分たちの関係性を整理出来ない。人生の時計が止まってしまう。情緒的に動揺することも。タブー性故に、孤立感、孤独感、無力感が。吐露された相手の反応にも。非難めいたことも。決して人には話せまい。自分の感情を押し殺す。ぎこちない孤立感。怒り。大切な家族の死について自由に語れない。自死への社会の厳しい眼差し。
どのような社会的な取り組みが?長い間放置されてきた。国や自治体の支援は最近になって形作られるようになった。幾つかの民間団体。分かち合い、集い。互いの思いを語る。なんとも得難い砂漠のオアシス。人目を忍んで。大学図書館の地下で。知られずに済むから。封印するよう社会的眼差し。語れない思いを吐き出し、出会いを通じて仲間になっていった。安心して語っていいのだ、という単純な思いもがけない発見。抑えてきた思いを語る意義。情緒的不能は不条理な体験をどう受け止めるのか、という難問に。これからどう生きるのか、生き続けていいのか、という深遠な疑問。インターネットでのホームページ。プロセスの説明。東日本大震災での語り。多くの人がいちばん大事なものを流されたという体験。心理的な喪失感。未だ整理がつかない苦悩。小さな教育的取り組み。綴り方教育の伝統を引き継ぐ。語ることで得体の知れないものが見えてくる。不可解な体験は、ゆっくり言葉にすることによって輪郭が少しずつ現れてくる。自分の中でつぶやくのでなく、他者に発信するということ。双方向性。意味の輪郭が。語り手の体験の意義は聞き手で変わってくる。オーディエンスの存在。語るのを抑止されれば輪郭など望むべくもない。さよならのない別れ。語り手と聞き手の相互作用のプロセス。語り合いや集いの中核に。聞き手の反応の中で。
命の詩人。語りのもう一つの例。「別れてそして」自死遺族を意識したものではないが、遺族に響くものがある。あすもあなたにあいにいく。大阪城公園。全国で弾き語り。背景は?阪神淡路大震災。毎日ボランティアに入っていた。6年後に七回忌展をやってほしいと。元気づける詩が生まれないかと。心の中から。取り戻せない不意の別れ。別れてそして始まる物語。当初は自死遺族に限っていなかった。自死遺族に出会う。家族を2人も自死で無くした方。夫の自死の7年後に息子も自死。失意のどん底にあった人は、心の叫びが書かれていると。保健師さんに誘われて、帯広に自死遺族の集まりに。何か出来ることは無いか?支え続けたとしたら、その人の為にハガキのデザインを。去年9月に北大で個展を。宗教とセラピー。人に対して支えになる。弾き語りや絵葉書が。変わっていく第3の道。詩を生み出した自分も元気を貰える。封印された死の扉を開ける。専門家や行政の人は、なかなか封印の解除が出来ないかもしれない。語っていいんだ、という思いを。書き写してずっと持っている人も。夫の自死の後に9年後に娘も自死を。生きてていいんだ、語り続けていいんだ。悲しみに咲いた小さな花。別れてそしてそこから始まる物語。カウンセラーをしている。絵葉書を届ける。届いた時は娘の翔月命日の死亡推定時刻に。娘の仕業だと笑ってくれた。彼女の新しい扉を。広辞苑で「かなしい」、は、哀しい、悲しい、愛しい。人生を抱きしめるような思い。花咲ばばあと自称。生きるということ、悲しむ哀しむことと愛することとは同じ。「ありがとうとごめんなさい」。「命の四季」。

 

臨床家族社会学 (放送大学教材)

臨床家族社会学 (放送大学教材)