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史観・国土計画論(公共政策第3回)

日中戦争から朝鮮戦争直前の東京の世相が良く理解できた。何処がどう「国土計画」なのかは分からなかったけれど。

 

国土計画。日本列島の将来像。それに対応する当時の社会をどう捉えるか。演劇人で博覧強記の古川ロッパ。日記。社会観察の側について。
瞬時にして分かる人は相当の高齢の方か、相当のオタク的な方。30年生まれ。当時の上級クラスの生まれ。早稲田大の英文科に。菊池寛に招かれて映画の編集を。映画評を執筆するようになる。33年には徳川夢声と立ち上げて大人気に。榎本健一と並ぶトップスターに。階級を軽く乗り越え、お笑い喜劇に。35年に東宝入り、一座を立ち上げて大当たり。喜劇界のトップに。演劇活動をしながら社会観察の日記を書いていた。食べ物の変遷。社会生活の実態が分かる。つまみ食い。戦時中の日記。変わっていく。大事なのは戦争になる前の面白さ。戦後も演劇や映画やラジオで活躍。戦後は61年に亡くなるまで、人生そのものが喜劇に。演劇は空を切るようになった。けれど税金を払うために病気であることも隠して。病気の実態がよく分かる。近衛新体制。昭和10年代初頭までの国土計画、計画要素だけがあった状態。戦後は全体像を書くことが当たり前。インフラの整備や開発を、全体でネットワークで描く試みはなかった。変わる契機になったのは日中戦争の勃発。昭和12年。勃発後の社会事象。日中戦争から日米開戦に至るまで。兵隊に取られる。防空演習。物資の不足。今生きる人間には全く経験があるが、いきいきと分かる。徴兵。演劇の時に呼び出し。近々入営、荒む。戦争が人を馬鹿にした。出征歓迎会。一座で初めて。身内にまで赤紙が。出征が当然のものに。防空演習に対する国民感情の推移。当時の国民の感情と動揺。観客から反射し関連。37年。娯楽を求めると余裕。38年。補助椅子も売り切れ。39年になっても灯火管制にもかかわらず、9割埋まる。40年。状況一変。防空の最後、客が押し寄せるかと思ったら、7分強ぐらい。娯楽が贅沢?日中戦争の長期化での国民感情の変化。精神面も含めた変化。統制による物資不足。38年に初めて言及。煙草の銀紙をとっておこうかと思ったが、影が差すと思って止めた。半ば頃から記述が増える。ウイスキーが無くなった。銀座のネオンの廃止。色々な制限、自家用車のガソリンを供給せず。39年半ばから、自動車の運転手の機嫌が悪い。何年間続くのか?8月1日からカフェが11時で営業を止める。マッチが無くなる。金を出してもなかなかない。40年。物資欠乏の世の中、無くなったから欲しくなったのだろう。地方では買い物ばかり、靴下や靴などの日常品。物価は高くなり物はない。サービスも悪くなる一方。日記とは別に一項目を。詳細な記述。時勢が詰まってきた。41年の元旦の風景。年賀状も無い。正月の気分は薄らぐ。お菓子でも果物でも貰うと分けずに持って帰る。何故物資を享受しなかったのか?浅ましさ。人身の荒廃。去年の有様はまだ天国だった。モノのストックも意味をなさない?空襲を予言。日中戦争の長期化に伴う生活の窮乏化。日中戦争の勃発で政治も変わる。社会観察と平行して国土計画の構想が。日米戦争が起こると状況が変わる。日米戦争をどのように受け止めたか?11時に起こされる。とうとう始まった。撮影所まで、戦争が起こってホッとする?最初の勝利。香港陥落。強い。個人生活そのもののプライバシーの侵害への嘆きが加わる。42年半ば、うっかり病気も出来ない。子供の扁桃腺が腫れた、薬を貰うにも許可が必要。洋食屋で食っていると、外から覗き込む人が。生活統制からも。隣組の常会。他人の家へ。42年3月から空襲警報、それへの対応が日常茶飯事に。敵機では?警戒警報、気分が出なくなる。物価が上がる。戦争への先行きが不安。5月のアッツ島玉砕が。国民的不安。44年になる。つまらない。戦争には呆れた、想像もつかない結果に。心神耗弱になる。政治家に愛想が尽きる。現実化した空襲。戦後を構想する。東京は今年中に半分になるだろう。近頃は戦争が隣の出来事に。戦争や国家が身近に。即物的感想。45年の空襲下の東京。戦後に思いを馳せる。国土計画の展開。絵に描いた餅のようになっているが。戦後民主主義と国土計画。虚脱感。気抜けしてしまい元気を失う。アメリカ化の到来。民主主義の洗礼。平等化の進展には我慢できない。民主化=平等化の進展。45年の末。撮影所も間違いだらけに。大邸宅を解放せよ。一座の座員の値上げ。文書によってという形式が不可解。電車の中などでも皆ごろつき。民主主義の定着、観客層の質の低下。半パン。下品なもののみ栄える。いずれ民主化の進行が止まるのを予想していた。50年。今の観衆は野獣。一つの貧困。民主化の不可逆性。平等化はすでに戦中から始まっていた。有閑階級のものだったが、劇場に来なくなった。東京は田舎者だらけに。民主化の進展こそが50年では経済成長に。50年が節目の年に。衣住の点では甘い。モノに愛着する影響。新しい社会状況。日本経済は戦前を回復。大衆消費社会は民主化=平等化がもたらした。地方利益とグランドデザイン。国土計画が新しいコンセプトを生み出すわけではなかったが、徐々に変わっていった。吉田茂は統制経済が嫌いだったが、段々と新しい時代になると変わってくる。昭和12年から29年。都市計画は大幅な変容。社会観察と符牒を合わせる。国土計画の具体化。昭和18年には国土計画の完成。翌年には疎開を前提としたものに。更にその翌年には敗戦を想定したものに。戦後は民主化を理由とする。個人レベル地方レベルの利益追求の。大衆消費社会に向かっていく。経済計画が中心となる。高度経済成長。どちらが先なのか?計画と自由の両立。

 

公共政策 (放送大学大学院教材)

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