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総論1・日本政治思想史とは何か(日本政治思想史第1回)

民主主義に100%は無い、というのには強く同意する。だからこそ政治思想を学ぶ意義はある、とも言える。

 

日本政治思想史。専門領域の合間を縫うような隙間産業にも見える。プロの学者に独占されているものでもない。在野でも居る。政治学の一分野。政治のimageは?官僚制などの制度か。民主主義や市民、公共性といった概念か。全て西洋から入ってきたもの。政治。ポリティックス。ポリスに由来。市民。シチズン。古代ローマの共同体から。日本は中国を中心とした東アジアに属する。民や国、革命などの漢字は中国から。制度や概念を全て漢字を用いて翻訳する。漢字の多くは儒教の経典に出てくる。春秋戦国時代に中国で確立された思想。東アジア諸国に大きな影響。明治以前は中国や朝鮮との関係も重要になる。日本固有の政治に関する用語もある。「仕え奉る」などと言った大和言葉。「すみらみこと」。古事記や日本書紀、風土記などに出てくる。日本、そして中国、西洋。政治についての概念が幾重にも堆積されてきている。日本のことだけやっていけばよいのではない。西洋や中国、韓国も。擬古文古文、漢文やハングルを読まなければ。しかし一人の個人の能力を超える。明治以来日本の政治学は西洋の概念を導入してきた。1924年に政治学史が。南原繁。西洋政治思想史。古代ギリシアから社会主義まで。研究し解説してきた。1939年に東洋政治思想史という講座が。津田左右吉。徹底した文献批判を。古事記や日本書紀に書かれていることの多くはフィクションであることを説得的に論ずる。こうした津田の学説は不敬罪で告発されてしまう。すぐに辞職。丸山眞男が次に。東洋政治思想史。東洋と名乗っていたが、事実上日本の政治思想史。政治の領域ではかなり新しい。マージナル、周辺的な学問。東大の大学院を受験。政治学史という試験を受ける必要があった。現在でも基本的に変わっていない。そのくらい周辺的。
何故に日本政治思想史の研究を志したのか。大学時代には西洋政治思想史のゼミに所属。研究者は大学院に進学するが、複数の職場を転々とする。昭和末期。87年9月に昭和天皇の癌が見つかる。公表はしなかったが。手術を受ける。東京の社会部に属していたら、宮内庁担当になった。皇居の中にある。一般の人が立ち入ることが出来ない。新聞記者の特権で垣間見る。必ずしも天皇制に深い関心を持っているわけではなかったが、日本の中心に皇居がある、天皇が居るという事実を思い知らされる。皇居の領域が如何に広大であるか、実態が殆ど知らされていない。憲法の下においては権力を失い象徴となったが。天皇一人の体調によって国全体が自粛ムードに。89年になっても続く。門松が消える。「おめでとう」とは書かない。天皇制という日本固有のシステムに関心を持つ。89年に大学院に入り直す。天皇制は日本政治思想史に重要なテーマ。日本政治思想史を事実上始めたと言って良い丸山眞男について。1914年の生まれ。父はジャーナリスト。大正デモクラシー期に活躍。学問への道を。東京帝国大学の法学部で南原繁に師事。学識を評価され助手として東大に残る。日本ファシズムと呼ばれる時代、表現の自由が極端に制限。皇国史観が持ち上げられる。まともな日本研究が出来なくなる。東大の法学部の研究室は国内亡命の場だったと回想。一連の論文の執筆を。同時代とは遠く離れた江戸時代の政治思想。朱子学から伊藤仁斎荻生徂徠本居宣長。近代的な思考様式が現れてくるという図式で捉える。自然から作為への展開。自然というのは政治社会を動かすことの出来ない自然な秩序と捉える。作為は政治は人間が作ったものであり、変えることが出来る。西洋政治思想史を意識。近代の萌芽を独自の儒学を切り開いた荻生徂徠に見る。道は古代中国に作為されたもの。自然状態というフィクションを設定した社会契約説とは明らかに異なる。一つの無理がある。中国や朝鮮のように朱子学がイデオロギーとして確立されたのではない。朱子学より前に伊藤仁斎らが批判。朱子学も条件付きの革命を認めた。保守的でもなければ伝統主義的でもない。荻生徂徠のほうが反近代、という見方も出来る。様々な批判を踏まえて、83年に「日本政治思想史」の新装版。英語版での前書きをつける。「近代の超克」への対抗意識。42年の座談会のタイトル。一世を風靡。西洋近代を吸収しすぎたがための問題?むしろ近代を擁護しなければ。しかしそれだけではない。皇国史観に代表される国体を持ち上げる思想に対する対抗意識。民主主義は古代ギリシアに由来。東洋では長らく一人の君主による統治。1889年の大日本帝国憲法。天皇が主権者。大正デモクラシーはあったが、天皇の神格化が強まる。丸山の抵抗表現。戦後になると、国体の呪縛から解放される。言論の自由。180度の転換。まるで明治維新の前と後を生きた福沢諭吉のような体験。単なる学者ではなく、民主主義を如何にして戦後日本に根付かせるか、という課題に立ち向かう。民主化、でしかない?民主主義こそ永久革命。あらゆる諸国が民主化の過程。永久革命としての民主主義。憲法が改正される。民主主義がもたらされた?民主主義を100%体現させた政治はない。出来ることは何なのか、より多い民主主義に不断に変えていく。46年「超国家主義」無責任の構造にメス。天皇制については少しずつ資料が出ている。皇族や側近の日記が。近代天皇制については研究環境が整ってきている。日本政治思想史は思想家のテキストを読んでいるだけでは不充分。必ずしも言説化されている訳ではない。空間と時間。西洋や中学と異なる、日本では自然と人為に区別を設けない。地震とか台風のような自然災害のように、人間では変えることの出来ないものとして捉える、自然の論理。自然から作為への展開。朱子学の自然と異なり、自ずから、の論理。空間と政治。時間と政治。日本政治思想史を考えるのに重要。

 

日本政治思想史 (放送大学教材)

日本政治思想史 (放送大学教材)