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若者たちと心理療法(臨床心理面接特論(2)第3回)

インターネット社会と今の若者との相互影響はあるのだろうか?社会はともかくとして、若者が昔と変化しているようには感じられない。

 

ムンクの少女。思春期を。少女から女性への身体的変化と戸惑う心の裡を。巨大な影。物理的時間は過ぎ去る。恐怖と不安と。劇的に心身ともに変化を。大切に過ごしていかなければ。若者について。何歳から何歳まで?年齢が下である、子供っぽい、あどけない、未熟な、など。若い、と言ってもimageは様々。年の若い人。男女を含め思春期から青年期まで。幅広く若者の現状を。実際の心理臨床場面を理解する。学部専門科目でも講義された先生。若者のimage。思春期青年期。82年の日本映画、転校生。主人公はとある出来事で身体が入れ替わってしまう。これまでに気が付かなかった世界が異型として現れてしまう。理想を思い描く一方で暗部を感じ取る。現在の若者は語りづらい。異界にうつる。私とは違うからこそ感覚の違いと言うか、理解のしづらさが。16年には君の名は。お互いに夢の中で入れ替わる。時空を超えて異界に入り込む。
臨床実践。先人の理論や実践。不登校や引き籠もり。思春期。見守るのは難しい。かさぶたの状態を見守る。傷口をいじると皮膚は再生されない。膜も大事。自分の様々な要素を外に出さない。内面を形成する。殻や膜が上手く作れない若者も多くなっている。袋にまとめてしまう。膜の形成が出来るように。多元的な自己。様々な場面で自分が代われるということ。内面の意識。バリヤ。身体的な接触の内在化。膜が曖昧に。被膜がないと内面が形成されづらくなる。一面的と言うか。ウラとオモテがない感じ。何処からが現実か。内と外がハッキリしすぎて曖昧なところが無いクライアントも。都会と田舎。時間のズレや人間のズレ。差をつけないと出会いが強調されない?とある番組で、草。という書き込みは?削除しなければならない?笑いを表す。意味や文脈、ストーリーで考える。事柄を意味であまり考えない傾向がある?表面的?ストーリーを期待しすぎてしまう。落とし込めてしまうほど自我が強くない。物事を考えることが優れているということはないが。考えすぎて答えが出ない場合も。面接を続けているとときにはほのかにストーリーの人格が。興味も個別化している。90年代は小中学生の興味は共通だった。今はnetのせいかバラバラ。若者の時に流行りのことを変に知っていることも。netの時代の若者には当たり前のことかも。心理相談室で院生の指導を。自分の若い頃との違いが。怖いもの知らず。イニシャルケースであっても物怖じしないでケースに入っていける。遊戯療法の指導。色んな知識があるが、言葉通りにしてしまう面がある。遊ぶのも上手だが、その場を深めていくことは難しい。相手に内面があることを想定せずに人に関わる?こちらがコミットしていかないといけない。色んな面でこちらから歩み寄る。臨床家の卵を養成する立場として。色んなことが慌ただしく、ゆっくり味わえない。やることが多い。時間の流れが早い。踊り場のないエスカレータ。中井久夫。不登校やうつ状態。身体や心からのメッセージ。自分を見つめ直すキッカケに。答えを焦ってしまいジックリ考えない。すぐに答えを出したがる。すぐに「分かりません」と言って答えを求める。社会がそう強いている?大人が?すごく大切なことを身体で知っている。ネット社会。未知なものはほぼ無い。疑問に思ったことは検索すれば誰かが考えている。行ったことがない場所でも写真や動画が。分からないことは身体を使って調べないといけなかったし、自分でも考える必要があった。それだけに実感で分かることが出来た。今は知っているつもりになってしまう。身体や心でショックで分かるという実感は得られない。自分という概念も把握が出来ない。netは便利な社会を作ったが、在る種の貧困も。考える力を奪っている。自分の足で大地を踏んでフィールドワークを。臨床スタイルを。私生活でも、辞書で調べる代わりに検索結果を答えとして書いてしまう。自分探しの旅をいろんな形でしていた。オリジナルな自分が。今はあらゆる情報が世界中で共有化される。人と違うのに勇気が。自分を作り上げるのが大変。違うことを受け止めて自分のオリジナリティを作るのが困難に。内面の形成に繋がる体験が。その人自身を否定してしまう、縛ってしまうものが。軽さの中で新しいものを生み出す。日本人は人の眼に縛られることもあったけれど。自分という体験。自分探しの体験。netの世界を歩き回ることで。netの異界。行き過ぎた行為がupされて炎上するのも自分探しの過程。人前で交流するのが嫌な人が、netで不特定多数の人の反応に嬉しがる。90年代には思春期を引き籠もりで暮らせる。かまってもらいたいけれどかまってもらいたくない。アンビバレントな感覚。今の若者にはどの程度体験している?自分がメチャクチャになってしまう感覚も少なくなっている。先に知識がある。第二の誕生。疾風怒濤。それらの単語。今の実像にどれだけ合うのか、が問題。今の若者、という設定自体がノスタルジーだったり学問の投影だったりする可能性もある。simpleに耳を傾ける為に。窓論。共有する体験が無いのが難しい。知らないというだけで話をしてくれないことが。話しをしてまで共有する必要がない?教えてもらう姿勢。臨床の基本中の基本。インテークや初回面接で気をつけることは?あまりゆっくり話を聞いてもらえる機会はない?じっくり話して疑問に答えると素直に話をしてくれることも。話せば反応がかえってくると分かって初めて話が出来る。ラポールの構築までに時間をとる。セラピーが滞ったりするときは?抵抗が生じない、意外と続く、葛藤が見えづらい。抵抗を示す行動が出ると逆に深まることも。大きく変わっていくというよりも、段々と主体的な面や考え方が。元には戻れない。段々と終結に。エスカレータから降りたのも意味がある。以前より終結の兆しが見えづらい。自己を突き詰めていけるように。思春期青年期年齢の親御さんには?嵐が何時まで続く?内と外を分ける枠の話。膜を家の中と外とで分けている場合もある。外では何もないのに家には問題行動が。もしくはその逆。友達親子。オヤが壁と意識されない。ぶつかることで問題行動が出るのではと。体験として学ぶことも出来づらい。多様性の時代なのであるのかもだけど。子供は大人より柔軟な筈。怒ること叱ることで壊れてしまうことを。修復することで関係性が深まることは親子関係でも友人関係でも同じ。多くのアプローチがあるので理解するのは大事だが、体験して自分の核になる手法を身につける。スーパーバイザーも大事。思い切って1つの技法に。浅くしかアプローチ出来ないとクライアントも浅くなる。

 

臨床心理面接特論〈2〉心理療法の世界 (放送大学大学院教材)

臨床心理面接特論〈2〉心理療法の世界 (放送大学大学院教材)