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「赤頭巾」と「狼」のラビリンス(政治学へのいざない第5回)

庄司薫の小説を全編読んでいないと訳が分からない話だった。面白そうなので読んでみたいとは思うけれど。

 

戦後の表象。一点突破と全面展開。60年代後半。大きな安定と一定の反乱。学生運動。庄司薫。80年以降の完黙。徹底的な影響。薫くん。古典的文体を破壊。口語体的な話法。都会的センスに満ちた話法。世界同時革命にも思える文体革命。戦後の青春の定点観測を語る。世間から姿をくらます。「狼なんかこわくない」。21歳の誕生日を前に。01年から20世紀が始まるという数え方に従う。10代の総決算。20世紀への拘り。年代の表現。洋風の世紀派と和風の元号派との緊張関係。最近は希薄化したけれど。理解の範疇を超えている?戦争の責任を巡るイデオロギー対立と密接不可分。20年815を境として。それ以前の日本を加害者として総否定。軍国主義日本、ファシズム日本。昭和20年と書く元号派?60年代安保。昭和33年の機関紙。元号派への揺らぎ。一定の法則が。60年をメルクマールとして元号派から西暦派へ。大学闘争の激化。昭和30年代というくくりでは表現できない。1960年代というくくりで。60年安保闘争前夜から70年安保前夜まで。胸で感じたことは60年代という価値の転換点。西暦派として確立。60年が決定的刻印を。小説を書くことは理屈とは無関係?60の会。東大出身者の学習会。60という機関紙。10枚ほどの短い小説。情熱体というべきお喋りはズレをつけつつ若さという体験。自己体験らしきあることないことの波状的展開。入れ子の構造。文章のテンポの変容。海のような男に。森のような男に。寄せては返す言葉の波。韻を踏む手法。ボクを取り囲む。地平線がハッキリと弧を描く。すべての男たちが戦い諦める。死んだように横たわる。誰かを待つのかもしれない。狼にはいかなる立ち位置が?狼はエッセイ風。世紀派の現象に。赤、黒、白、青という薫くんが語り手の小説の。書き上げて薫くんを引っ込めるつもりだった。やけに日付が明確。庄司薫の日付への拘り。文章作法の側面。朝、もしくは午前中に始まり、エンディングは夜中に。序破急のリズムに変容。庄司薫というペンネームごと。また退却宣言?狼は10年間何をしていたのかを書くはずだった。作品集の無いヘンテコな10年間。喪失という作品集には、それぞれの春休みに書いた3つの作品が。喪失を2度書き。著者が設定する世界。世界の時間軸における可逆性が浮かび上がる。60年を結び目にして時間軸を行ったり来たりする仕掛け。からくりそのもの。からくりを如何に読み解くか。狼は政治学のテキストとして読み解くことが可能。岡師の「政治」。政治の循環過程を。明らかに70年前後の烙印を押された政治学のテキスト。狼は第五列的立場。誰が味方で敵か判然としないが、だからこそ政治学に。どのように読むべきか?中公文庫バージョンや新潮文庫バージョン。著者ならではの。赤と狼。カバー写真が高いところにあるマンション近くにある、著者の全身の肖像。間違い探しを著者が仕掛けている。海の匂いや森の香りを懐かしむ。疲れた人が思い出してくれる。赤の著者と狼の著者。狼を封印した?様々な形で犬死しないために。加害者として存在せざるをえない、自己抹殺、他者否定へ向かう危険性、現在そのもの。平和の最中の自己形成の困難。すべての問題に違いない。狼は赤の双子の兄弟であるかのように。好きあらば食べてしまおうという狼に仕立て上げる。著者は赤の執筆の由来を。早春の日々を独りぼっちで書いていた。書き続けていると爪を剥がしたかのよう。薫くんの実態に迫る。ボクが生きる様々な方法の1つとして、象徴的方法を考えた。50年生まれのあいつ、もしくはボク。学校群以前の最後の日比谷高校。しかも東大入試中止にぶつかった。私は小石川高校の学校群第1期生。我らの文学として興奮。複合的な目線がラビリンスを形成する。いつの間にか狼的ラビリンスに。幾重もの20歳前後の青春に。古典的青春論への疑問を。努力すればするほど他人を傷つける。青春の真っ只中で、純粋を喪失する。新たなテーゼは自己否定に走る。シュバイツァーの生涯が悲壮感を与えるように、何らかの行為は必ず何処かで他者を傷つける。自己否定の論理を突き詰めると、現実否定へと転化する。自分に対して批判的に立ち向かい、他者については寛容にあろうとしながら、他者否定と自己否定を拡散しようとする。思い出そうと努力する。狼は青春のメカニズム?喪失を書いた20歳前後のボクの生き様に特定化。4部作が立ちはだかる。全共闘運動に批判的。全共闘運動の論理。全共闘の存在そのものが狼の中に輸入。自らの青春論の位置づけ。昭和20年8月15日。戦前日本の自己否定が他者批判の欺瞞に。純粋戦争体験世代からの批判に微妙な違和感を。他者否定のニュアンスを持ってしまう。著者は単純に戦後日本を肯定しているのではない。先ずは個人の満足度を確認して日本に至る。何故逆転の発想に?高度成長と個人との一体感を信じられない。情報社会の到来が。狼の中で警鐘を鳴らそうとしている。20世紀を通じての、絶対的価値の一斉崩壊。基準を為す価値観が絶対性を失っている。情報洪水は質の問題に転化する。大人にならねばならないという固定観念の崩壊。成熟の為に必要な知識の獲得、古典的青春を生きることを阻まれる。怨念は現実をもたらした人類の歴史の拒絶反応を。戦後日本と個人との発展の関係。個人の裕福あっての高度成長。生み出す情報化社会は若者を幸福にしない。事態は今日明らか。問題の主題は誰でも知っている。情報洪水などは今日当たり前の話でも、かつての議論は今はすべて当たり前。庄司薫は林達夫という知識人と出会う。色々な生き方について書いている。林達夫の「共産主義的人間」という本の解説で、日付に着目したいと書いている。狼を通底するテーゼ。犬死しないための方法。赤ずきんちゃんにも出てくる。逃げまくる方法。若々しさはバカバカしさに。庄司薫は逃げ薫という評判を、そういう願望。四部作は終わりのないものに。狼もまた終わりのないエセーと見ることが可能。今は時間軸が不可逆的に。逃げ薫という評判の確立に成功する。緘黙という状態にある。その後の世界を情報化という形で語り続ける。

 

政治学へのいざない (放送大学教材)

政治学へのいざない (放送大学教材)