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総務大臣として -官僚主導から政治主導へ(公共政策第5回)

少しずつでも行政を変えていくのは重要なことかもしれない。非常時のリーダーシップが重要なことは認識されていると思うが、日常からの実践も不可欠なのだろう。

 

官僚主導から政治主導に。決まった定義は無いが、これまで歪な政治主導の考え方もあった。役所の中で大臣副大臣大臣政務官、政務三役。それだけで方針を決めることもあった。政策形成の場から官僚を排除。国会答弁についても一切官僚の答弁をなくすことも。勿論弊害もあったけれど。役人が引っ張る側面が。大事なことはバランス。細部や実務的なことが官僚をするという連携を。行き過ぎでいったりいびつであったり誤ったり。幹部や社長が入れ替わった時に、取締役しか方針形成をしないというのでは上手くいかない。政治主導はバランスを取れたものに。官僚たちと一緒になって日常の身近な業務を改善して、官僚にも変わってもらう。どのように変えたのか?総務大臣になって変えたのは、総務省の透明化を。情報公開を進める。当時は中央官庁の情報公開度は決して高くなかった。権利として情報公開を整える制度はあったが、できるだけ公開しなくても良いようにする対応が見られた。総務省から透明化を。民主主義の政治の下では、情報公開は必須。民主主義の原理として治者と被治者の同一化を。権力側の治者。治められる被治者。それらが同一でなければならない。身分制を作らないことも導き出せる。誰かが必ず治者につくのは同一化とは言えない。治者と被治者の循環を。選挙によって治者を。日本は選挙制度を通じて。情報を共有するのが必要。治者のみが情報を握っていたのでは、政策の良し悪しやcheckをすることが出来ない。それを保障するのが情報公開、透明化。国の官庁も情報公開の徹底を。先ず総務省から。当時の情報公開の度合いは、かなり黒塗りのところが。情報公開法で開示できないものもある。個人のプライバシーや企業の経営情報など。一つ一つ判別すると関係ないものも。公開しなければならないものについても黒塗りを。判定を誰がするのか、請求に対して何を公開してしないのかは各局の局長の最終判断で。公開非公開の範囲を。組織にとって情報公開の影響を第一に考える。慎重に対応することになってしまう。法律に則って機械的に判断をするはずだが。各局で決定することから、自分たちで先ず考えてもらう。案を作ってもらう。納得できる案が。知事の時代に県の情報公開を変えたが、それに沿ったものに。担当の人たちが鳥取県の情報公開の仕組みをヒアリング。局長止まりから、不開示がある部分の決裁は大臣が行う、または政治三役が行うことに。県知事時代に黒塗りがあるなら知事の決裁にするのとパラレル。県では懸念や反対があった、とても多くの案件が回ってくる可能性があると。やってみると殆ど上がってこなかった。全部公開してしまおうと部長レベルで。従来は公開をすることで後で面倒が起こるという判断から、非公開で知事に上げなければならあいのは厄介。その方が問題に。総務省でも現実には上がってこなくなり、公開度が進んだ。他の省庁にも話をしたが、なかなか広がらなかった。
決裁権限の見直し。重要なこと。最終的に決裁を。稟議制度。順次係長課長局長へ。最終的にはんこを押すのが最終決済者。役所の決裁規定。概ね大事なことは大臣決裁。それほど重要でないものは順次、局長課長に。よく見てみると特徴が。官僚の経験も踏まえて。大臣決裁になっているものは一見重要だが、機械的形式的に大臣が判断するまでもない決まりきったことも。形式化というか形骸化している案件が。大臣がお飾りに。多少時間がかかったが官僚と相談。重要な政策決定は政務三役の会議に。再配分を。各省庁にも決裁権限の見直しを勧めたが、当時の大臣は役所に持ち帰ってもどの役所も実現しなかった。指示を出したが何ヶ月も返事がなかったなど。決裁権限の見直しは官僚の人たちには大事なこと。権限が奪われるという恐れが。地味なことだが重要、なのでなかなか進まない。大臣のリーダーシップが。
大臣引継書。当時の総務省では書き方や引き継ぎの仕方を。政務三役は任を解かれるので、他の政治家がなるのだが、官僚は変わらない。自分たちが任期中にやってきたこと。情報公開の徹底などのそれなりに改革をしたことが、次に引き継がれることが重要。正しい政治主導に変えても元の木阿弥になってしまう。効果が薄くなる。なので大臣引継書を書くはず。大臣引継書は自ら書くのではなく官僚が代わりに書いて判を押すのが多かった。真意が伝わらなくなる。国政では内閣改造が頻繁だが、成果がその都度消えてしまう。実効性があるものに。副大臣と大臣政務官に相談して自分たちが作ることを。骨が折れたが。何をどう変えたかわかりやすく書いてできるだけ実践してもらう。それを官僚と共有する。各省庁で内閣官房長官に提出をさせる。後で伺うと、提出したのは総務省だけだった。一見とても地味だが、政治主導や政治的リーダーシップを有効にするのは着実な手段で。
非常時におけるリーダーシップ。日常においても求められるが、いざという時、例えば大災害に直面した時、リーダーシップが働くには日常的に発揮されていないといけない。平素においては議会の答弁や会議のメッセージにしても部下が淡々と読むだけでは日常的には問題だし、非常時にはなおのこと無理。東日本大震災。従来の財政などの仕組みでは到底賄えない。柔軟な仕組みを。内閣でも主張したが、必要な補正予算が出来上がったのは震災から8ヶ月後だった。自治体が復興の青写真を描けるようにしなければならなかったが、時間がかかった。従来の財政の枠に囚われていた。復興には莫大な財源が。増税までは編成できないという財政の論理が。差し当たり補整予算を作って後で財政的手当をするのが良いと思うが。石橋を渡るように。多勢に無勢。柔軟な仕組みを作成するリーダーシップが必要だった。
総務大臣として取り組んだこと。大臣になるまでの問題意識を活かすチャンスだと感じた。問題の解決を。県知事をしていた時に総務省を外から見ていた。自治体行政と深い関わり。色々な問題が。地方自治を所管。総務省も自治体に中央官僚的な関わりを。他の省庁にも働きかけるのが筋だが。総務省自体の地方分権の取り組みは弱かった。総務省改革。地方債制度。本来は自治体が自らの責任でするべき。しかし従来から総務省が強い関与を、事実上同意が必要だった。大変煩雑。1つの事業毎に合意が必要。一括化して全体の枠として協議をして、枠内なら銀行から借りることができることにした。苦労したことを別の立場で改善。他の知事からも歓迎された。総務大臣は厳しい仕事だったが、自治の改善が出来たのが嬉しかった。
平素考えていたことを実践、集中改革プラン。全国の自治体に職員定数を毎年5%減らせという指示のようなことをしたことがあった。本来は自治体の判断のはずだが、全国一律にするのは地方分権に反する。しかし殆どの自治体は従った。総務大臣になって、集中改革プランを押し付けるのは止めようと解除した。
課題意識を活かす。国のレベルでの政治主導を。

 

公共政策 (放送大学大学院教材)

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