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終活学 満足して人生を終える(放送大学特別講義)

差し当たり入棺体験はしてみたいなと思う。まだ自分の死を身近には感じられていないから。

 

長尾和宏。がん患者の延命。自宅で穏やかな死を。在宅医療で看取る。幸せな人生の最期とはなにか。終活。死の周辺の出来事を自分で決めておく。亡くなるまでと亡くなった後。長寿の社会。長生きは素晴らしい。しかし多死の時代に。30年代にピークに。年々亡くなる人が増加。医療の進歩でどういう医療を受けるのかは分からない。病院で8割の方が亡くなる。色んな管に繋がれて、そうはなりなくたいと思う人。相続やお墓でトラブルも。死もタブーにせずに準備を。縁起が悪いのであまり話題にならなかったけれど、自己決定を。生き方で色んなことを。死に方も自己決定できないか。兵庫県尼崎市で在宅医療を。現場にいて患者の死に向き合う。老人大学のようなところで終活の講演が増える。そういう人はなかなか死なないけれど。終活をしている人はまだ少ない。考えないまま最期を迎える人が殆ど。何時から終活をすれば良い?何時からでも良い。死ぬ可能性はあるから。自分は例外と思うのは人間。自分の死にだけは楽観的だから生きていける。自分の死のイメージは難しい。別れは突然やってくる。人生の最終章があるのかないのか。95%は最終章を経て死に至る。癌や認知症、臓器不全。残り5%には死は突然来る。事故や天災、心筋梗塞など。予期せず突然に。終末期以降をどう過ごすのかを考えると役に立つ。平穏死。穏やかな最期。尊厳死と同じ意味。人生の最終章以降に過剰な医療を控える。緩和ケアをしっかりと。苦痛を無くす。在宅で看取る。管も一本もない。枯れた姿で最期を。平穏死。病院の方。勤務医。管だらけ。様々な延命治療の為の。むくんだ姿で。延命死。溺れて死ぬ。10日前から食べられない。毎日2リットルの点滴。20キロの水が入るか入らないか。体重差が10キログラム位ある。溺れて死ぬと重い。咳や痰で苦しむ。枯れた方が最期が楽。長生きできる。どうして平穏死が出来ないか。終末期。最終段階以降。それが何処かよくわからないのが現状。色んな可能性を追究するのが現代医療。バイタルサイン。どこまでもそれに対応しようとする。却って粗になってしまう。病因は生きることに真摯に向き合う。患者さんにどう作用するか。一分一秒でも長く生きるのが病院の使命だけど、患者が喜んでいるのかが問われる。祖母の死。長くは持たないと分かっているが、強い薬を投与していて、ストップしてと本人が。しかし本人の決定だけでは決められない。本人の意思表示や家族の意思、医者の意思。一致しない場合が多い。本人が意思表示していても周囲に後押しする力がなかった。医師の意向を断れなかった?それで管だらけに。枯れて死ぬ。食べられなかった時には点滴を200することはある。家族が餓死させたとトラウマになるから。枯れて小さくなるのが自然。待つのは辛い。鷲田清一先生「待つということ」。待って得をすることが多い。本人が望んでいない場合、予め意思表示をしている場合。勤務医の時に癌の末期患者を看取る。管だらけで顔がパンパンに。病気で苦しいと思っていた。末期の食道がん。水が僅かに通るだけ。点滴は要らないと言われる。このままだと長く生きられない。僅かコップの2杯3杯で1ヶ月2ヶ月と元気。2ヶ月目にはボランティアまで。逆に心配するくらいに。3ヶ月目に2日横になって枯れるように亡くなる。これまでは何だったんだろうと。在宅医を開業して20年以上。在宅では過剰な治療が出来ない、それが良いこと。余計なことはしなくなった。それが家族にとっては大丈夫だと思うけれど。「平穏死10の条件」。終末期以降は枯れる方が長生きする。コペルニクス的大転換。転換点は本人の意志と家族の考え方、医師の考え方をまとめる。リビングウィル。命の遺言状。死んでからのことだが、生きていても意思表示出来ない場合。事故などで意思表示できない場合。元気なときから延命治療を拒否する意思表示を。逆に延命治療をして欲しいということもリビングウィル。15歳から書ける。日本尊厳死協会。12万人。沢山の書式がある。大体1%居る。欧米では41%。一般的。日本では聞いたことがない人が殆ど。3分の2は家族、3分の1は医師が決めている。自分の死が決められていないのが現状。自己決定。自分の最期を決めるのが難しいのは、自分という概念が無いから。西洋は我思う故に我あり。自分と家族が一体となるのが日本文化。相手のことを自分。己なあ、と起こることも。一人称と二人称との区別がない。大事なことは皆で決める。沈黙は金。和をもって尊しとなす。あまり自己主張しない。皆で話し合う。リビングウィルが育ちづらい下地が。決めた人は重いものがある。意思決定を医療者が支援する。意思決定支援。様々なものがあり医療の課題。本人の意思をどのように尊重するか。認知症の患者。どうして欲しいのか聞いてもわからないことが増える。胃ろう、内視鏡でものを入れる。40万人。医師が非難されているが、どうして欲しいのか分からない。何もしなければ家族から訴えられる。患者側がリビングウィルを表明してもらえれば助かる。遠くの長男などがやってきて延命治療をしなければ困るということになるので、家族の同意を。支援指示書。文書1枚で決めるのでなく、友達や医療関係者と話し合う。アドバンス・ケア・プランニング。1000人の中で数人が日本尊厳死協会のリビングウィルを。家族が透析を主張して何度も話し合う。半年して自然な最期を。リビングウィルを持って亡くなったからの家族にアンケートを。数%は本人に反しての。そもそもリビングウィルに法的根拠は?遺言書は法的に効力がある。リビングウィルは日本において法的担保がされていない。障害者団体の反対。16年現在停滞したまま。国民的議論が必要。10年には台湾で。病院の中でリビングウィルを。リビングウィルを表明しても無駄?90数%の人が活かされたと回答。冷蔵庫に大事なことが書いてあることが多い。リビングウィルのコピーもあることが。意思表示をされている。医師としては助かるのが本音。認知症になってもリビングウィルを表明する事ができるか。リビングウィル検討会などを重ねた。認知症になっても在る程度までは自分の意思表示が出来る。それが大勢。そもそもは癌の末期で人工呼吸器を。現在は認知症の人が。胃ろうは嫌だ、という人が。ある程度認知症が始まっている人でもリビングウィルをしてもらい活かすことを。公証役場に行って、オーダーメイドで作成。日本尊厳死協会に入って既成のリビングウィルにサインをして簡単に出来る。遺言状とともに作成する方も。どうやって死を迎えるかを。死んだ後は?考えていられない?亡くなった後は忙しい。葬儀をどうするか。家族には亡くなる前から考える人も。手続きがあって揉めることも増えている。本人が意思表示した方が良い。終活をする人。素晴らしいなと思う。覚悟を持った生き方と尊敬する。医療の現場でも役立つ。やはり死は怖い。言うこと自体が社会のタブー。縁起が悪い。多死社会。だけど死を見たことがない人が多い。昔は地域に死があった、道端にも。和歌。明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは。世の無常。親鸞さんが9歳の時に。京都のまちには死体が氾濫。動物に食べられて地に帰る。人が死ぬところを一度も見たことがない50代以上も。終活を考えることが。死は他人事。自分ごととして考えづらい。入棺体験。様々なコーナーがある。怖がって入らない人も多いけれど。寂しくなる。お棺を下から見る。閉じられると寂しい。入りたくない、怖い。けど死ぬのはそういうこと。あくまで疑似体験だけど。死は三人称だけど、一人称で考えるのが大事。医療の中での後悔に繋がる。2.5人称。統合するのは難しいが、荒治療としてお棺に入ると変わる。死は考えたくないが、必ずやってくる。毎日考えると困るので、一生懸命生きる。そして時々死を考える。中庸が肝要。執着しないことも大事。