ヒポクラテスなどは身体の体液の割合で人間の気質が決められると考えた。体液病理学という考え方がベースになっている。血液が優勢になっている理由での気質を多血質と呼んだ。活動的だが感情の変化が激しい人間のことが多血質の人とされた。ルネサンスRenaissanceまではこの考え方が踏襲されていた模様。細胞が「発見」されて細胞病理学と呼ばれる現在の病理学に移行してからは、多血質という単語は廃れてきている。私もこれまで知らなかった。しかし人間の性格を把握するのは人間生活に大切なことなので、改めて見直す意義はもしかしたらあるのかもしれない。