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第一次世界大戦後の不況と農村(日本の近現代第9回)

私は住宅街に住んでいるので実感が持てないが、少なくとも戦間期においては農村問題は国家の危機に直結していたと言える。

 

季武嘉也。農村の不況と対応策。45年までに。第一次世界大戦で大きく経済が躍進したが、その後は長らく経済問題で悩む。世界恐慌と昭和恐慌は大きな打撃。農村の不況も深刻。米の生産の過剰。第一次世界大戦までは農家の収入も伸びていた。小作争議。小作料の減免を。37年まで増加。農村社会に大きな亀裂。地方名望家が産業資本となって都市に移り住む。収入の減少で経済的対立が。教育の普及で階級意識が高まる。農業は大きな危機に。具体的な課題。自作農などの小農が大勢を占める農家を自立させる。小規模の独立自営には大きな困難。市場への変化への経営が必要。小農を如何に守るか。農民組合などが。政府なども案を。農業会の設置。農協の前身になる。
小作争議の実態。20年に408件から増加。36年には6千件以上に。平均人数は11人ほどに減る。前期と後期に分けて。前期は小作料の低減を。大規模な小作争議が多かった。中央の指揮を。後期は東北地方が中心。小規模なのが特徴。小作権を。土地を引き上げようとして。産業化都市化。日本農民組合。22年に日本で最初の小作農の組合。一挙に拡大し5万人以上に。ロシア革命の影響。社会主義との距離にはばらつきが。左派や右派や中間派などに分化。社会主義思想の影響だけでなく。27年以降は後退。近世以来生活共同体としての村落が基盤に。そこで組合が。上に積み重なって全国組織へと。地方名望家が団結の中心となり全国政党となったのと似ている。新たな保護者に。他にも様々。全国的組織以外に単なる組合も。協調組合や農本主義を。27年には4000組合に。小作争議にも影響。村落単位が多かった。30年以降は特に強い。伝統的に共同性が強い村落では信頼関係が。妥協的なものに。農産物価格の下落。大戦後は落ち着き25年頃から下落。そこに恐慌が。アメリカで生糸の需要が下落し日本で暴落。農産物価格全体も下落。豊作貧乏になり昭和恐慌に。31年は東日本で不作。大量の負債を抱え込む。強い危機意識。農村問題が喫緊の課題に。
農村問題への政治などの動き。米騒動では米の増産が。26年の小作調査会。小作組合法。小作農を自作農に。衆議院では消極的。小作調整法が成立。調停委員会を。小作官の設置。農村の共同せいによる解決。産業組合の活用。産業の発展には金持ちが居ないといけない?零細の資本の集積を。小農でも結集を。農家に資本を貸し付ける信用組合。販売組合。購買組合。生産組合。地主を含めて資本主義の弊害を是正。産業組合には官僚の後押しが。地方改良運動で積極的に奨励。大正以降では組合員の増加が。40年には770万人。ほぼ全農家に。産業組合中央会が認可。23年には貸付や手形割引などの中央金庫が。原資の多くは政府資金。32年に経済更生運動。産業組合中央会自身も拡充五カ年計画を。政府の強い支援が。伝統的な小農や共同性に依存して発展。政治的に利用する動き。立憲政友会。25年に田中義一が総裁に。国家と国民の協力で根本的改造を。町村の自治を強固に。自治的な組織を。従来の町村自治は官僚の強い監督を。党派的自治であることも。何よりも経済力の強化を。自治権の拡張や財政の強化を。しかし外交問題で倒れる。昭和恐慌に続き五一五事件が。決起の理由が農村の疲弊。事件直後に高橋是清は対策を。不動産を担保に貸付を行わせる。産業組合に資金を。土木事業。大規模予算で農民に現金を。3年間の短期で小規模事業に国家予算を。30年代からは農村に多くの資金を。時局匡救事業。経済更生運動。特徴。共同性を基盤。集落単位で。土地利用の合理化。生産物の販売統制。数値目標を。毎年特定の町村に補助を。債権者に対し負債額を緩和させる。37年からは政府の強い指導で浸透。集落レベルにまで国の行政の影響が。集落は細分化されている。農村の危機に対し協力して活路を見出そうとする人物が。
農業団体の動向。小作人擁護のための。先細り。政府による弾圧。社会主義共産主義運動が盛んに。大学生や高等学校生。政府は危機感を。デモクラシーの中では闇雲に弾圧も出来ない。革命思想に特に厳しく。共産党勢力との関係があれば弾圧を。連携が重要な問題に。内部で分裂を。農民組合運動は恐慌後から対立を。協調組合にも負けていく。国家主義的な農民運動。権藤成卿。農民の本質は律する力。集まって農村の自治が可能に。農村は国の基。最優先に。江戸時代以来から受容する余地が。農村主義。後藤文雄。君民一体。農民の共同性という美風。産業組合運動のバックボーンに。
町村という全国町村長会。小学校教員の国庫補助を。負担は全て市町村だった。教員の給料が重く。19年に三重県の町村会が。640の郡の内500以上が同調。失敗の原因は強固な団体が無かったから。内務省は消極的。自主的活動をすることは監督方針を脅かす?21年に全国町村長会を自主的に結成。農村問題や給与問題だけではなく。世界各国ともに戦争の影響を。国民思想の動揺。地方自治の改善を。中央集権の弊害で地方は停滞気味。行政の内から地方に。町村長。当時の多くは名望家。依然として農村で従事している者が多かった。農村を立て直すべき第一線に。現場感覚に溢れる。不況で税金の滞納者が。財政を立て直す。明治以降の地租を地方税に。地方分与税制度が40年から。自治権の拡大。郡役所の廃止を。26年に実現。農村問題への対策。農産物価格の維持。土木事業の実施。負債整理の実施。各種団体の活用。町村長の元に監督を統合。自らが主導的立場で。農会。20年に販売斡旋事業を。統制を。農村問題の農産物価格の下落の防止を。郡単位の農会に期待。機能を強める。農産物は農会単位で出荷。
部落会と町内会。40年に。共同性を高める。上意下達の機関。隣組を組織する。隣保班を結成。旧慣を取り入れるように。国家と1つの系統に。影響力が浸透。部落会の範囲は江戸時代より小さい。43年には農業会に。緊密な連携を。しかし自治権が強化されたとは言えない。国家総力戦。津々浦々まで動員。
農家をよりきめ細かく。農村問題の重要性。国民の半分。国家の危機。様々な試み。概ね小農の共同性を。最終的に部落会に。網羅する巨大な組織も。農協に繋がる。

 

日本の近現代―交差する人々と地域 (放送大学教材)

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