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まとめ -読むことをめぐって(文学批評への招待第15回)

作者の意図から切り離して文学作品は読んだほうが良いのかも。

 

丹治愛。山田広昭。対話形式で。多く取り上げられた固有名詞。ロラン・バルト。文学批評。70年代から80年代にかけて。学生時代を送った人で文学に関心が。仏文科に限らず必須。しかし一筋縄ではいかない批評家。過去にとらわれず変わっていく。マルクス主義者記号学者。テキストの快楽を。いくつかのバルト。作品からテキストへ。テキスト論のマニュへストに。テキストの複数性。バルト自身が複数性を持つ。一貫している。個人的想いを。言うべきでないことを言うが、バルトが好きではないというか嫌いという感じに。大向こうを唸らせたい。ケレン味のある文章が嫌と。明るい部屋は面白いと思った。写真の細部が気になることにフォーカスを。兆候的読解と繋がりが。多様なバルトが居る。テキスト論的課題を。そんなに自分が言ったことに拘らず平気に裏切る。マニフェスト的なのでImpactを持つ。批評史的な。作品を作者から切り離して、意味の主体が読者であるという意味は大きかった。高校時代になって文学を読み始めた人間にとり、作品解釈に正解があるものだと思っていた。受験生でもあるので。バルトを知ったのは20歳をかなり過ぎてから。1つの正解を求めるのに抵抗はなかった。大学に入り小説を。三四郎など青春ものに。テキストを誤読しない限り感情に基づき主観的に読むのが許されるというメッセージとして受け取る。大きな転機になってくれた批評家。英文学を専攻。アメリカの新批評という批評理論を体験。英文科に入った頃は義務とされていた。新批評。意図に関する。多義性を客観的に分析。構築物としての詩の言葉を。作品を主観から断ち切って多義性を客観的に分析。具体的には言葉の連なりが他の作品において用いられる言葉とどのように絡むか。日本の和歌で言えば花や秋などが用いられ連想を豊かに。エリスの詩の分析。新批評的なモデルに。馬という詩の本文は軍港を内包しているということから暗示的な。全体として多義的に。それが詩の本質に。新批評のお手本になっている。大した技術だと。結局は新批評的な詩の精読をマスターできなかったので小説に。感情移入しながら読む。感情に関する誤謬。新批評と折り合いが悪い。バルトの読者の誕生の方が身近に。新批評からは精読の重要性も学ぶ。文学研究に必須。
無意識。現代の批評理論で重要な概念が幾つかあるが、精神分析に関わらずどの批評理論も重要な前提に。新批評が作者が作品を書いている時に作者の意図以外の力が。無意識の力で。作者の意識の背後。個人的無意識や人類に共通の無意識として概念化。マルクス主義批評などの政治的イデオロギー的批評。政治的無意識として概念化。そこでも無意識は重要な概念として機能。マルクス主義的概念など3つが協力して批評理論の基盤を固めることに。作品の意味を作者から解放しておきながら無意識に求めるのは矛盾して折り合いがつかない?テクストの意味を作者の無意識に求めるのは無意識的な力を?テクストの無意識という概念。他の概念との違いは?そもそもバルト的な無意識論と相性が悪い。精神分析は人を対象にする。テクスト論は紙を対象。精神分析批評も変わろうとした。テクストの無意識。解釈する。それは相互に。1つの逃げ方として、テクストの無意識は読者との相互作用。相互作用の中でテクストの無意識が。テクストそのものにはない。もう一つ。ピエール・バイヤール。応用精神分析に対する対抗概念。文学テキスト自体が心理学的モデルを人間の心理に対する解釈理論を含む。文学を精神分析に適用する方向性を。ラカンを扱う。盗まれた手紙。人間の無意識の理解のモデルが内包されている。ラカンの仕事は一種の応用文学をやっている。マリーボナバルトの解釈。ポーの実母が死後に残した不倫?手紙と絡めて解釈する。ラカンが否定的。作品を解釈するのに作者自身は意識していなくても無意識的に。患者の話のフロイトの解釈。患者の過去の様々な体験と関連付けて無意識の中に残ったコンプレックスを。その方向とマリーボナバルトの方向は一致しているように。テクストの無意識はフロイトを否定する。テクスト論をどのように引き受けるかが精神分析理論では問題。実際にマリーボナバルトの読みは非常に面白い。端的に言うとポーの実人生に関連しなくてもテクストの読みとして成り立つ。テクストの無意識を読み出している。実際の解釈との違い。
エリスの詩の解釈。精読の重要性。精神分析批評を。テキストのディテールに。兆候的読解。坂口安吾の例を。精神分析批評の紹介に入れ込むのは通常のことではない。坂口安吾やカール・シュミット。かなり特殊な読み込み方をしている。精神分析学と非常に関連があるような気がする?言い間違いや言いよどみが無意識のコンプレックスを。ディテールから無意識を探り当てる。精神分析批評を内容から定義しないで。フロイトなどの人間心理の考え方。通常は方法論から定義。より広く文学批評理論につながる。兆候的読解という言葉自体がルイ・アルチュセールという哲学者が資本論を読む時に。ラカンについても書いて精神分析理論に詳しい。3者が批評理論の共通の枠組みを作る。少なくともマルクス主義批評を考える時には精神分析が大きな影響を。内容に関する影響というよりテクストのアプローチの影響が大きい。精神分析批評で兆候的読解を全面に出したのはマルクス主義批評などと繋げられる広がりがあるから。新批評については元々はイデオロギー的に作品を裁断することへの批判として。フランスの新批評。ルイ・アルチュセール。マルクス主義の批判という側面はフランスになかった。何のためにテクストを精読するかで差がある。フランスの批評を論じる時には歴史へのアプローチが強い。兆候的読解は面白い概念。ホームズが言っている。全体的印象ではなくディテールを。全体的印象を度外視して細部に注目を。確かにコナン・ドイルの推理も兆候的読解の一例に。身体の事を診断する。犯罪捜査に適用する。医者という符合がある。全体的な印象だけでは自分なりの主観的解釈に到達しても独創的な解釈にはなかなか到達しない。平凡な解釈に対し、全体についての独創的な解釈につながる。兆候的読解は役に立つ。
作品解釈に際してジャンルを。ポール・ヴァレリーという詩人。19世紀末。自由詩が出てくる。制約が離れたところにも詩があるとすれば本質が問題になる。ジャンル論の流れ。アリストテレス以来のジャンル論を。活発な議論が。ジャンルの定義に入り込むと同語反復的なところに。フィクションとは何かという議論につながる危険性を。個々の作品を解釈する補助線に。1つの作品の特質を。全体の文学の秩序の中で。シャーロック・ホームズはあらゆる犯罪を相互の全体のものとして。他の犯罪と関連付ける重要性を。推理を導く。ジャンル論に近い。エリオットからの流れ。ロマン主義を否定。伝統を構成する知識の方が重要。個々の作品は単独でではなく文学秩序の一部として存在。作家は秩序を意識しなければ。端的に反映されているのが「荒地」。革新的作品。引用からの断片から成り立つ。まずは言葉の集合。作者から切り離す。新批評に影響。57年の批評の解剖。伝統を整然とした階層的ジャンルに。ジャンルについての具体的知識を。エリオットのいう秩序を具体的に把握でき補助線に出来る。
文学作品をたくさん読んで考えて欲しい。

 

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