今日は10月2日である。昭和53年(1978年)の10月2日に国鉄(各JRの前身の組織であった)の全国規模のダイヤ改正が行なわれた。白紙のダイヤ改正というカテゴリーがある。単に時刻を1分か2分微調整するくらいならダイヤグラム(駅を縦軸に時刻を横軸にして列車を斜めの線で描く図表)を全て書き換えることはしない。しかし特急列車を大増発するなど大幅なダイヤ改正をするときには、白紙の状態のダイヤグラムから特急列車の線を描いていく。この種のダイヤ改正を白紙のダイヤ改正と呼ぶ。昭和53年の10月2日のダイヤ改正も白紙の類であった。なお10月2日と中途半端なのは昭和53年の10月1日が日曜日だったからである。
ダイヤ改正の内容はWikipediaなどを見てもらえば良いけれど(最後にWikipediaのリンクを貼る)、特筆すべきは在来線(新幹線ではないという意味である)の特急列車の号数を下りは奇数、上りは偶数という形式に変えたことである(下りは東京から地方へ行くもので上りはその逆である)。これまでは下りと上り双方に「あずさ2号」があったのが、上りだけが「あずさ2号」とすることになった。狩人というデュオのヒット曲に「あずさ2号」というものがあった。新宿から松本方面の8時ちょうどの「あずさ2号」で旅立つ、という歌詞なのだが、このダイヤ改正で新宿発の「あずさ2号」が無くなった。東京方面から地方に行くことになるので。要するに「あずさ1号」か「あずさ3号」でないと旅立てない、ということになった。まあ指定席の販売での混乱が無くなったのは良いことだったと思う。