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思春期・青年期と不登校・ひきこもり(思春期・青年期の心理臨床第8回)

不登校から連鎖して50代の人間に至るまで続いている状態。対する自身がどのように人生や社会を考えているか問われているのは言えると思う。

 

大山泰宏。思春期・青年期と不登校・引きこもり。いずれも思春期・青年期で社会的つながりが無くなる。成長の上での影響を周囲は心配して。どのような心的状態かを。
小さな子供には引きこもりはない。ある時から子どもたちは人との接触を退却して自分自身に引きこもろうと。心の成長に関わり。思春期以降。閉じこもりたくなるのは誰でもある。親との会話が減り自分の部屋で好きなことを。思春期青年期には内界が不安定に。馴染みのない感情に振り回される。自意識が強くなり自分自身を意識して人と比較して引け目を。劣等感。これからのことを考えて悩む。心に疾風怒濤。外側から遮断して自分の中の嵐に向かい合うために閉じこもる。社会や大人に対し反発を。否定するために距離を置き自分の世界を。自分への閉じこもり。しばしば興味のあることに没頭。シリーズ物の作品に。標本集めに。岩石を集めることなど。特定のラジオ番組を。動画サイトの特定の人の動画を。心に響くものを集めて自分の断片を。思春期青年期の子どもたちが閉じこもり自分を組み立てる。蛹の時期。蛹の時期があるように殻の中に閉じこもる。山中康裕。一旦ドロドロの体に。命がけのすさまじい変化。自分をばらして組み替える。外側から守られる必要があり。内側にエネルギーを。心のエネルギーが内側に。色んな形。アパシー。心が動くのを否定。物事に心が動かない、感情がない。本来であれば色んな物に興味を持つ時期だが、活動性なども低下する。日本では60年代から。非行の第2の波。大人社会への反発。学生運動も。豊かな社会になり進学率も上昇。アパシーの状態は特に大学生で観察される。無気力になり大学には行けない。鬱とは異なる。食欲減退は無く不眠もない。眠りすぎるくらい。単なる怠けでもない。学業からは逃避しても自分の興味のあることには熱中するはずだが。なんに対しても無気力な状態。60年代から観察。アパシーの状態は青年に見られる。引きこもりの状態の一部でも。モラトリアム。エリクソンが成年の心理状態について。社会的位置。マージナルマン。境界的な。社会的責任から猶予されている。半人前なのに引け目を。早く一人前になりたい。しかしエリクソンとは違う意味で。積極的に半人前に留まろうとする青年が。70年代辺りから。物にあふれる消費社会で中途半端な位置に。コミットせず逃避して受動的に消費する大衆消費社会。何かに自分を賭けて没頭するのが難しい。受身的。何かに打ち込む人を横目に見ながら密かな優越感を。前に進めない自分に劣等感を。とりあえず生きるのには困らないけど、どう生きるかの問いかけが含まれる。マイナスの要因はなくなったが幸せではない。自分がどう生きるかを問い続ける。終着点はない。自分の存在を賭けるものは?心理社会的アイデンティティを見つける困難な課題に直面している。
内に閉じこもることが学校と関連付けられると不登校に。学校は人為的に作られた不思議なもの。ルールが。学校に行けない子どもは世界にも多い。誰でも行けれるようになった時。障壁が無くなったときに。戦後すぐには農村部で特に。都市部では非行に走る子どもも。64年の頃には無くなったが、不登校の現象が。最初は学校恐怖症、学校嫌いと。その後は登校拒否と。更に不登校に。ニュアンスの問題。不登校は学校に行かないという行動面にのみ着目。疾患の単位ではなく症候群。一つの症状に着目。不登校という症状を引き起こす原因は様々であることを念頭に。登校拒否。学校に行けないという現象も含めて。病欠ではない年間30日以上で。小学校の低学年。分離不安。先生や友達が怖いなど。家では正常に見えるが。学校に入ることを拒否。なだめて一旦教室に入るとケロッとして過ごす。朝に頑張っていたのは?学校に居ることや家に居ることは大丈夫だが。移行する境界を超えることが問題。前思春期。3年4年。心が不安定に。チャムシップ。失敗したり仲間はずれになったり。高学年になるとグループに入れない、劣等感を。イジメにあう。人間関係の。80年頃から増えていった。教師の体罰や奇妙な校則などの問題。管理教育。学校バッシング。荒れる学校。実際に校内暴力やイジメが嫌で学校に行かない。社会的変化。家庭の生活水準が上昇した。学校の方が快適だったのが、自宅に個室やエアコンなど生活空間が。学校はエアコンもなければお湯も出ない。大勢が詰め込まれるニュアンス。社会的変化が不登校が増えた背後にある。92年に文部省は病理的現象ではないと。支援の必要性を提唱。誰にでも起こりうる。不登校には相当なエネルギーが必要だった。当の本人には必要性が。思春期内省として。認めてあげて邪魔しないように見守る。脱皮して外に出ていく。学校に行かないのが珍しくなくなる。無理していくのをやめるタイプの不登校が。学校の流れに乗れない不登校が多くなる。本人が自分に閉じこもるのを見守るだけでは解決しない。不登校の長期化。心理療法他の支援が必要。思春期内省だけではなく学校への復帰の手助けを。学校に行くことが当たり前でないことが。責任が。成長と教育の機会の保障。周囲の大人に責任が。18年で中学生の40人に1人が。教え育てていくのにどのような制度や手助けが必要か。
自分の内側に閉じこもる。引きこもり。学校と関わる間は不登校でも学齢期が過ぎれば。厚生労働省の定義。仕事や学校に行かず家族以外の人の交流をほとんどせず6ヶ月以上。医学的にも原因がはっきりしないまま長期化。不可解で心配で。本人にも劣等感が。昔からの現象。世間を捨てて仏門に入る人なと古典にも描かれる。少子高齢社会でただでさえ労働者が不足している経済的問題。身近な人にとり深刻な問題。作られた問題として片付けられない。引きこもりも行動的側面に着目して。原因や実際のあり方は多様。精神障害ではないが発達障害がベースになるものも多い。社会的関係で傷ついて。はっきりした原因がなくても社会的関係を保つ努力ができない場合も。人間がすることには何らかの必然が。状態に至ったことには必然的な理由が。本人にも分からず本人の努力では如何ともし難い。心理療法が。社会的スキルのトレーニング。支援のあり方は個別的で丹念なオーダーメイドの。その人なりの必然が見えづらいが模索していることは共通している。大切なものが有りそれを抱えているのは多くの事例で共通。自分に向かい合うことが難しい社会。すべてを拒否して自分に籠もることが出来づらい。コンビニに夜中に出かける。ネット社会で社会性があったり。実社会の歯車とは噛み合わない。思春期内省では没頭して出会うことに自分の断片を見つける。今ではそれも難しい。アニメや漫画などに振り回される。消費社会の中で自分を見失う。スマホでの応答に追われて自分を振り返る暇がない。学ぶことがあまりに多く。心理的アイデンティティを確立するのは難しくなっている。果てしない道になり。自分探しの放棄を。諦めが必要。社会に乗れたからと言って自分探しが出来ているわけではない。薄皮一枚の違い。失敗を機に引きこもる。固有の病理や心の状態はないのでは。働いている人にも共通する心の問題が。実は日本社会はこれまで働くことと心理的アイデンティティが確立することと一致していたとは言えない。探求を中断するあり方が。社会的に参画していても幸せではない。ニート。日本では何世代とツケになっていた問題を問い始める。引きこもりの状態が長く続くと焦りや社会的スキルの減退が。支援には逆説的には我々自身の探求が必要。何を大切にして生きているのかなどを問われている。カウンセリングや心理療法で。我々が問われている。

 

思春期・青年期の心理臨床〔新訂〕 (放送大学教材)

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人格心理学 (放送大学教材)

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  • 作者:大山 泰宏
  • 発売日: 2015/03/01
  • メディア: 単行本