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道徳授業の実践(1) -道徳の時間の意義-(道徳教育の方法第9回)

理論ばかりを追っていても仕方がないのかも。

 

堺正之。道徳教育の授業の実践。道徳の時間の意義。
導入的な話を。道徳の時間は何をする時間ですか?とっさに心の教育という言葉が?心の教育。97年8月の幼児期からの教育の諮問から。新しい時代の心を育てるという答申。その年に小学校の先生を対象に道徳の時間の意義についてアンケート。開講されていた研修講座。初任者研修。専門的な研修。学校リーダーとして。合計150人余り。興味深い結果の項目。道徳の時間の意義について。異なる傾向。心の教育、各グループを通じて20%から40%で共通。97年の神戸連続児童殺傷事件など少年犯罪が相次いでいた。心の教育の必要性が叫ばれる。心というのは形のないもの。心の絵を書いてと言われハートの形を?内と外との境界を定められず、閉じ込められない無限の広がりとしての心。直接結びつけるのは問題もあるが。経験年数による特徴。10年未満の若い教師、自分を振り返る時間が多かった。大学の授業や実習で道徳の時間の基本形を取り上げたことから。経験11年から15年。学級経営の中核。学級経験の幹。教職経験からの知見が反映。教師の思想。学習指導要領に明記。学級担任にとっての意義は、指導要領だけでは片付かない。道徳の時間に限らないかもしれないが。公教育の実践として法令に即するがそれに限らない。授業の意義。教育思想の反映。道徳の時間の指導を成功させる要因としてどれが重要か。点数化をしてもらう。もともと否定的な要素を上げなかったが、授業の成功と関わる点が幾つか。児童との人間関係。共感的な授業態度。狙いに関わる児童の実態の把握。これらは共通。道徳の時間はそれだけでは成り立たない。それに対して経験年数による違い。役割演技など指導方法の選択。5年以下の基礎。平均以下。6年以上から、指導方法の選択を支持する人が増加している。当然ながら指導者自身が様々な方法に精通しているのが前提に。選択肢が分からなければ支持されない。道徳の時間の様々な指導法の習熟が課題。
教育課程における道徳の時間の位置づけ。これまで学校教育全体の道徳教育として。道徳の時間の確認。戦後の全面主義の元でおこなれて来たものを充実させる。教育課程では道徳の時間を基盤として二重構造。学校全体で行うのを前提に。関連を図りながら計画的発展的に。全体として循環構造となる要の存在が道徳の時間。08年の。様々な要素の道徳性を養う。道徳の時間の意義。道徳の時間においては、道徳の時間の目標に基づき、補充深化統合させる。道徳的実践力を。要。毎週1時間を継続的に。自己との関わり。教材を使い深化。道徳の要素の相互関連。自身の問題として考えさせ統合の役割を。方向性を。道徳の時間は要として。扇の骨という比喩的な。一点で締めくくる扇の要。しかし要が立派でもそれだけでは風を起こせない。扇は要だけではなく、それ以外の必要が、風を起こすことが出来ない。一方向ではなく扇面へ。要に加えられた力が風を起こす。手を手応えとして感じ取る。紙や布。教育課程の観点から相互に相手を前提にして循環的に進行。
道徳の時間はどのような道徳教育を?学習指導要領では、道徳的価値の自覚。道徳的実践力を育成する。道徳的価値の自覚、自己の生き方についての考えを深める。道徳的価値の自覚。98年の学習指導要領で加わる。発達の段階におき多様。道徳的価値の理解。自分との関わりで捉えられる。道徳的価値を自分なりの発展をさせる。道徳的価値の理解が得られること。同時に人間理解や他者理解を深める。ウソを付くと後ろ付きに。道徳的価値の理解に支えられる。自分との関わりで。自己理解に繋がる。これまでの自分の言動を省みる。子どもが自身の傾向性に気づくことが期待される。道徳的価値を自分なりに発展させる。道徳の時間で考えたことを温め続けるように。一人ひとりが大切にされる社会とは?などとの問を積極的に考える。事実の積み重ねの知識の体系ではなく。行為のレベルでは規範は違反を予想させる。他の価値との間で葛藤に陥る。捨象して行為自体を導くのではなく。より良い生き方を希求する子供の心に。一つの内容項目を仕上げてではなくスパイラルのimageに。理解とは単に知ることに留まらず自分の経験を充実させる。知識の伝達というより呼びかけ。一度示してわかれば苦労はない。目覚めに期待する部分が残る。
道徳の時間の学習では道徳的価値を基盤にして自己の生き方を大事に。自己を肯定的に。自己の特徴を知る。将来の生き方の課題を考え自己の生き方として。自己の生き方についての考えはこれまでもそこに含意。今日的問題への。道徳的価値の自覚と人間的生き方の自覚。道徳の時間が道徳的価値を中心に。自己の生き方として問い続ける。
道徳的実践力の育成。力は内面的資質。必要な状況下で発揮。単体的な力から複合的総合的力まで。発揮されている状態から逆推定。100メートルを12秒で走る力。道徳的実践力とはよりよく生きること。考えを深め様々な場面で主体的に内面的資質を。むしろ主体的に選択し実践する。態度の向上を。道徳的心情、道徳的判断力。道徳性を構成する主要な要素。道徳的実践力。実践可能性の道徳性。
道徳の時間の教材。授業は3つの要因で成立。教師が教材を通して子どもに教える。教材を通して学ぶこと。教育的関係を。教師と子どもが教材を介して主体的に。道徳授業においても到達目標が具体的に。子どもに呈示されるのは教材。様々に考案。多くの素材はそのままではなく、意味付けを行い再構成することで。ただし学習内容にについて教師と子どもが共に探求する関係が。道徳の内容については人間としてのより良い生き方を考える共通の課題。実際に道徳の時間ではどのような教材が。文部科学省が12年の実施調査。教材についての質問項目。小中学校とも多くは心のノート。民間の教材会社の読み物。3位以下は小中学校で分かれる。掛け図や紙芝居が小学校で多い。新聞記事を使用するのが中学校では多い傾向。Internetで得られたものも中学校で6割近く。補足をすると11年度で一度でも使用したものを選択させる。心のノートの使用頻度などを加味すれば違う結果に。06年から配布された心のノート。道徳の時間ではなかった。道徳の時間に限らす写真などから感じ取ったことを書き取るノートの役割。道徳の時間でも導入や終わりで使うのが殆ど。13年では私たちの道徳と変更。14年度から使用。読み物やコラムを大量に。中心的教材として使われると予測。道徳的価値の自覚として大きな意味。人間としてのあり方や生き方として互いに学ぶ。道徳の時間に用いられる教材の条件。基本要件。日本の道徳の時間や道徳の原則が。生命の尊重に関する授業の例。人間尊重の。道徳教育の基本精神。具体的には人格や人権の尊重に。幸福追求は誰も否定できない。前提としての生命の尊重。他の人の人格や人権も尊重。狙いを達成するのにふさわしいもの。毎回狙いが。1時間の指導の目標を端的に表現。小学校3年生の授業。生き物にはかけがえのない命が。教材は狙いの達成に適しているかどうかを。生命の価値について考える糸口がなければ適していない。児童生徒の興味や関心、発達段階に応じたもの。固有の目標は他教科などとの関連。内容の系統性。道徳性を養う目標は一貫しているが、同じ指導が通じることを意味しない。実態に応じた教材を。ある素材がどの学年段階にふさわしいかは幅がある。中学校であっても絵本を使うことも。多様な価値観が引き出され深く考えることができる。命があることが各人の価値実現の共通の前提。命あっての物種。互いに尊重を。児童生徒の生命観を豊かに育てる。動植物、自然愛護とも関係が。体験的活動を通して感動を持って実践。道徳の時間では生命の偶然性や連続性。不思議さや喜び。生命の価値について語り合う。教材としては多様に引き出せるものが。人間の生命の価値についての認識を育てる。生命の唯一性や関連性。自分の生命についての自分の立場。他者についても同様。人格を尊重することも。生命観を育む側面と認識の側面を相互に。特定の価値観に偏しない中立的なもの。価値が含まれるのは当然だが。何らかの価値観を読み取れる。1枚の写真でさえ。児童生徒が自らの価値観を育むもので。主張を全面に掲げ他者の価値を否定しない。批判に開かれた教材を。指導法の適否に繋がる。適切でも取り扱いが不適切な場合も。

 

道徳教育の方法 (放送大学教材)

道徳教育の方法 (放送大学教材)

  • 作者:堺 正之
  • 発売日: 2015/03/01
  • メディア: 単行本