F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

「あさま山荘事件」から半世紀と1日。

昨日は連合赤軍が起こした「あさま山荘事件」からちょうど半世紀が経過したということでNEWSでも取り上げられた。端的に書くと5人の犯人グループにより民間人1人が人質とされ、10日間の攻防を経て犯行グループの全員が逮捕され人質は無事救出された、という事件である。警察の犠牲者が2名出て(他に民間人1人も死亡)、多数の負傷者が出たのは特筆されるべきであろう。救出に10日間かかったのは、犯人を生け捕りにする(つまり射殺などを行なわない)方針があったのも理由とされる。実のところ、人質を盾に立て籠もる事件は他にもある(たとえば三菱銀行北畠支店事件は30人以上が人質にされ射殺された犯人以外にも4人の犠牲者が出ている)。世間の耳目を集めたのは、連合赤軍という組織が新左翼の末裔とされたことによる。学生運動が盛り上がったのはほんの2,3年前のことであったという時代の背景は無視出来ない。この事件が新左翼運動の終焉をもたらしたとも言われるが、その後も中核派と革マル派の内ゲバは続いたし、昭和から平成の時期の京都大学でも新左翼の各派が存在していた(恐らく今も現存している)。まあ半世紀も経過したのだからすっかり歴史になっても不思議ではないのだけれど。