------講義録始め------
「先生は70年以上前からバレエを踊り、教え、新国立劇場の運営にも関わってきたため、文字通りバレエの一生を過ごされました。先生にとってバレエとは何でしょうか?」
「人生ですね。他は考えたことがありません。小さい頃は、戦後すぐに音楽家になりたいと思っていました。しかし母は一人で、ピアノも買えなかったので、バレエを始めました。それが最もコストがかからなかったからです。やがて、小学校の5、6年生の頃には、既に3分程度の振り付けをしていました。例えばショパンの曲に振り付けたり、色々と好きでやっていました。次第にバレエだけに没頭するようになりました。
新国立劇場の芸術監督を務めた際も、外国から、特にロシアのゲストを招聘しました。日本人だけでは不足している部分があると感じていました。
バレエはもともと海外のものです。アメリカの野球に多くの日本人が挑戦しているように、バレエも国際的に活動すべきだと思います。外国のゲストが来たとしても、日本人ダンサーがそれに負けないように踊るべきです。日本の国立劇場であっても、日本人だけが踊るべきだという考えは狭いと思います。ダンサーは良いものを見れば吸収しますから、外国のゲストとの交流は新しい血を混ぜる意味でも必要です。
また、音楽性や見えない空間を理解することが、役柄を深く捉えるのに重要です。同じ笑顔であっても、その種類は多岐にわたります。舞台では、その多様な笑い方を表現しなければなりません。そういった点で、まだ日本のバレエは成長途中です。」