いくら「人生100年」と言っても大抵の人間は100歳まで生きられないことは各自で認識するべきだろう。
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今回は第1回目の講義ということで、この講義に関して総論的なお話をしたいと思います。この講義のタイトルにある「人生100年時代」という表現ですが、このような言い回しは1980年代の終わり頃にはすでに新聞記事などで使われていました。ご存知のように、かつては「人生50年」と言われていました。
厚生労働省の「平均寿命の年次推移」という統計によれば、1947年(昭和22年)の平均寿命は男性が50歳、女性が53歳でした。しかし、2020年(令和2年)の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳となり、1947年と比較すると、男女とも30年以上長生きしていることがわかります。
「人生100年時代」という言葉が、単に長寿や長生きを意味するのであれば、本来は喜ばしいことであるはずです。しかしながら、「人生100年時代」の背景には、少子化や高齢化がますます進む中での危機感や、年金、医療、介護といった私たちの生活にとって重要な社会制度の持続可能性に対する不安が多分に含まれているように思われます。そして、この「人生100年時代」を乗り切るための標語として、「自助」「共助」「公助」などと言われたりもします。
これらのうち、「自助」は、自分で自分を助けること、そして家族で助け合うことの2つの意味を含んでいると考えられます。年金などの社会保障は先行きが不透明であり、過疎化や都市化が進む中で地域社会コミュニティーによる共助もますます困難になることが予想されます。そうなると、最後に残るのは、自分と自分の家族による「自助」ということになるのかもしれません。
次に、家族の定義についてお話しします。家族とは、夫婦の婚姻関係や親子、兄弟などの血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎に成立する小集団であり、社会構成の基本単位です。家族は社会構成の基本単位であるため、当然ながら社会全体の傾向と無縁ではいられません。
現在の日本では、結婚のことを法律用語で「婚姻」と言いますが、近年では人々が結婚しなくなったことによる「未婚化」、結婚する年齢が遅くなる「晩婚化」、それらを主な要因とする「少子化」が進んでいます。また、世界のグローバル化に伴い、家族の国際化も進んでいます。むしろ、家族が変化したからこそ、我が国の社会全体が変化したというのが正しい認識だと思われます。
さらに、家族は私的(プライベート)な関係であると同時に、公的(パブリック)な関係であり、さらには法的(リーガル)な関係でもあります。家族の範囲や家族の役割、家族間の権利や義務を定めているのは、愛情や感情ではなく、実は法律です。そして、家族の形成、解消、維持、保護、支援を目的とする多くの社会制度が設けられています。それらの社会制度も、基本的には法律に基づくものです。
また、幸福な家族には法律は必要ありませんが、これは裏を返せば、不幸な家族には法律が必要だということになります。我が国は法治国家ですので、家族間であっても、法的な紛争については裁判所が最終的な解決を行うことになります。