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民法の歴史と家族法の地域差(人生100年時代の家族と法第1回)#放送大学講義録

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さて、ここからは民法についてお話しましょう。1898年(明治31年)に施行された民法は、第1条から第1050条まで、1000を超える条文からなる巨大な法律です。そして、民法は5つの編から構成されています。

私たち法律家は、第1編から第3編までを「財産法」、第4編と第5編を「家族法」と呼んでいます。さらに、第4編の親族に関する部分を「親族法」、第5編の相続に関する部分を「相続法」と呼びます。民法の家族法の部分では、婚姻(結婚のことですが)、婚姻のような家族関係の形成や、夫婦が分かれる離婚のような家族関係の解消、親と子の関係、相続のように家族間での財産の移転などについて、多数の条文が定められています。

婚姻、離婚、親子、相続など、私たちの生活に最も身近な法律と言えるでしょう。

次に、家族法の歴史について概略をお話ししましょう。江戸時代以前には、全国民に一律に適用されるような家族に関するルールは存在しませんでした。武士階級に関しては、幕府の法令である武家諸法度や、各地の藩が定める法がありましたが、庶民階級の婚姻や養子縁組、相続などについては、各地域の慣習に委ねられていました。

明治維新の後、明治政府の司法省(現在の法務省に相当します)が家族に関する慣習の調査を行いました。その調査結果は1880年(明治13年)に『全国民事慣例類集』として出版されました。この資料は、国立国会図書館のデジタルコレクションで誰でも閲覧することができます。

例えば、子供が生まれた場合の手続きを見てみましょう。現在の京都府にあたる山城国では、「子供が生まれると名前を付けて村役場に届け出、2月または8月の人別改め帳を作成して役所に提出する」という手続きが行われていました。他方、現在の山梨県にあたる甲斐国では、「出産の際は即日親戚に知らせ、生まれてから7日から8日のうちに町名主へ報告し、寺院にも届け出る」という手続きが行われていたようです。

もう一つの例として、男女が婚姻する場合の手続きを見てみましょう。現在の三重県に含まれる伊賀国では、「披露宴に地域の役人を招待することで婚姻が成立する」とされていました。他方、現在の千葉県に含まれる下総国では、「婚姻の届け出は特に行わず、家長が村役場に新婦を連れて出頭すれば良い」とされていたようです。

このように、『全国民事慣例類集』という貴重な資料から、江戸時代から明治初期にかけて、庶民階級の家族法が地域によって全く異なっていたことがわかります。