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民主制と行政の役割:市民の直接統制(行政学講説第2回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

民衆、つまり市民が意思決定した政策を、既存の為政者である行政が実行するのが「行政統制」の基本的なイメージです。市民が当事者として行政を統制している限り、民主制は成り立ちます。そのため、必ずしも行政を廃止する必要はありません。

しかし、もし行政統制が機能不全に陥る懸念がある場合、行政の廃止が選択肢となるかもしれません。ただし、たとえ行政を担う官僚や組織を廃止したとしても、誰かが為政者の機能を引き継ぐ限り、行政統制の問題は依然として残ります。その場合、政策の実行も意思決定も、民主的な立場にある民衆、すなわち市民が直接担う必要があるでしょう。

民衆が実行を担うことは、特に近現代の国家のような大規模な集団においてはイメージしにくいかもしれません。しかし、たとえば地域共同体のような小規模な集団では、道路の整備や除雪、清掃といった活動を市民全員で決定し、実行することが可能です。このように、民衆が実行を担う事例は、現実に存在しています。

また、明治時代の徴兵制や国民皆兵制も一例です。民衆が実際に武装して末端の実行を担いましたが、その決定は別個の為政者によって行われました。したがって、民衆が実行を担うことが可能であっても、それが直ちに民衆が意思決定を行うことを意味するわけではありません。

さらに、民衆各人が個別に行動する場合、決定事項が円滑に実行されない可能性があるため、管理や監督、分担を行う調整役が必要になるかもしれません。こうした場面では、全員が相互に監督する形が民主的であると考えられますが、実際には、決定内容を全員に伝達する役割を持つ人が市民の中から自然に生まれることがあります。こうなると、実質的に行政機能を担う役割が発生することになります。

要するに、監督や調整を行う行政的な役割は、たとえ小規模な集団においても完全には廃止できません。むしろ、市民が総出で作業に従事する場合、監督・調整を行う役割の下で指揮を受ける状況に陥ることもあります。これは、民衆が当事者としての純粋な地位を保持するためには、実行役を担わないほうが民主的である可能性を示唆しています。

結局のところ、行政は完全に廃止することは難しいかもしれません。むしろ、異質な存在としての行政を残すほうが、民主制にとって望ましいとさえ言えるでしょう。