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民意の形成と民主的統制の課題(行政学講説第2回)#放送大学講義録

「プレブィシット」は2016年のイギリスの国民投票から問題にされるようになった。

 

ーーーー講義録始めーーーー

 

現実に市民が公選職の政治家を民主的に統制できているかどうかは、予断を許しません。そもそも民意が何であるかが明確でなければ、市民意思をもとに公選職の政治家を統制することはできません。

もし選挙結果や公選職の政治家による議論や議決によって初めて市民意思が判明するのならば、市民が公選職の政治家を選出できたとしても、民意に基づいて政治家を民主的に統制しているとは言えません。そのため、選挙や公選職の政治家を介さずに、民意を直接把握する手法が模索されてきました。

例えば、世論調査や市民意識調査などを通じて、市民意思を直接に把握する技術が発達してきました。また、報道機関が「公器」として世論を代弁すると主張することもあります。あるいは、雑誌記事や風説、インターネット上の多様な意見を市民意思として受け止めることも考えられます。

こうした民意が選挙や公選職の政治家の意思決定と乖離する場合、その乖離を是正することが民主的統制の一環となります。しかしながら、これらの「民意」とされるものが、選挙や公選職の政治家による議論や決定を否定できる保証があるわけではありません。例えば、田中角栄元首相は「新聞は世論ではなく、世論は選挙で示されるものだ」と述べたことがあります。

そのため、市民投票によって、選挙と同様の秘密投票形式で民意を把握する手法も発達してきました。もし民意があらかじめ固定的に存在するのであれば、市民投票は民意を再現または発見するための手段にすぎません。

しかし、民意が流動的に形成されるものであるならば、情報提供、学習、情報交換や議論といった意思形成過程が重要になります。公選職の政治家や行政職員が関与する議論などの過程を経て、民意が形成されると考えることも可能です。

市民投票の段階ではまだ民意が十分に形成されていないかもしれません。むしろ、限られた時間や情報のやり取りに限定された市民投票の結果は、民意形成の方法として問題があるという見方も存在します。政治家が市民を誘導し、圧倒的賛成に導く「人民投票」や「プレブィシット」として市民投票が民主主義の危機に陥る懸念も拭いきれません。

ただし、公選職の政治家が関与する意思形成過程の結果が適切であるという保証もないのです。