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民主的統制と行政の自己循環構造(行政学講説第2回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

民主的統制、あるいは行政統制の構図は、「統治者 → 為政者 → 被治者」という自己循環的な回路として説明されます。この回路は、印刷教材の図表において「行政統制の自己循環回路」の左側に示されています。

統治者(市民)、すなわち被治者が民主制においては市民意思に基づいて行政を統制し、その統制された行政が民衆を支配します。そのため、建前としては民衆は自らの意思に反した支配を受けない仕組みとなっています。つまり、統治者(市民)、為政者(行政職員や政治家)、被治者(市民)の意思は一致することが前提です。

しかし、実際には行政が支配権力の行使を通じて市民意思に影響を及ぼす可能性があります。例えば、補助金や福祉給付の恩恵を与える一方で、反対勢力や抵抗する市民を冷遇するなどの行為により、市民は現状の為政者を支持せざるを得なくなる場合があります。こうした状況では、為政者は市民に対し「この道しかない」と思わせるような影響力を行使できるかもしれません。

こうした場合、市民ができることは、行政の支配を前提とした中で自分にとっての最善の利益を得るために抜け駆けや策を講じることだけです。このような状況では、為政者のあり方を変えるような独自の市民意思、つまり真の民意が出てくることはありません。むしろ、為政者の影響によって形成された市民意思が形式的な統治者として現状の為政者を支持し、正当性を与えることになります。

こうした事態は外見的には統治者、為政者、被治者の意思が一致しているように見え、民主制が機能しているかのように映ります。しかし、実際には民衆が為政者を統制しているのではなく、為政者が民衆を統制しているのです。つまり、行政から独立して形成された民衆の意思が為政者を統制するのではなく、為政者が作り出した市民意思が統治者としての役割を果たしているにすぎません。この結果、為政者が自ら作り出した意思が、市民によって正当化されるという自己実現的、自己循環的な回路が生じるのです。