ーーーー講義録始めーーーー
では、ここからはリカバリー概念についてお話しします。
日本では1990年代後半にリカバリー概念が紹介され、現在では精神科リハビリテーションの新たな目標として理解されています。リカバリーは、精神保健福祉関係者において職種を問わず共有される言葉となり、研修会などで当事者や家族が自らの体験をリカバリーの一つの物語として語ることや、その体験が手記として出版される事例が増えています。
リカバリーは「回復」と訳されますが、一般的な回復が「悪化した状態が元に戻ること」や「一度失ったものを取り返すこと」と捉えられるのに対し、ここでの回復は、病気や障害による困難があっても希望を抱き、その人にとって意味のある生活や人生を送ることを意味します。たとえば、腕を骨折しても、骨が癒合し元通りに機能を回復するというイメージとは異なり、精神面での新たな意味や目的を見出すプロセスです。
さて、日本では明治時代に制定された精神病者看護法(後の精神保健福祉関連法制度の前身)により、長年、精神障害者は社会防衛の観点から隔離、収容、保護の対象とされてきました。時代とともに法律が変化し、精神障害者の居場所は自宅から医療機関である精神科病院へと移行しました。しかし、その結果、精神障害者は社会の周辺に位置づけられ、偏見や差別意識が助長される状況が生まれました。実際、多くの精神科病院が市街地ではなく人里離れた場所に設置されているのも、この歴史的背景が影響しています。
また、世界的に問題視される入院の長期化や医療関係者のパターナリズムは、精神障害者の主体性を脅かし、病院という保護的環境の中で彼ら本来の力を奪う結果をもたらしてきました。アメリカの精神保健福祉サービスの統合的ケアモデルのパイオニアであるマーク・レーガン(Mark Reagan)氏は、2002年に出版された著書『リカバリーの道』において、以下のように述べています。
「精神科医として、私は重い精神の病気に対処するため、一連の仮説を教え込まれてきた。はっきり言うと、慢性の精神疾患は永久的な障害であり、投薬すれば患者は記憶から消える。彼らは弱者であり、ケアを必要とし、仕事を維持することは不可能、社会における役割も果たせず、意義ある生活を送る可能性は極めて低い。本質的に、彼らの病名には希望が感じられない。」
レーガン氏のこの発言は、これまでの日本における精神科医療で見られた、精神疾患は治らないという悲観的な見方や、自己決定能力の欠如、責任を取れない保護対象としてのイメージ、さらには社会の差別や偏見、地域での福祉支援環境の不十分さなどを反映しています。その結果、多くの精神障害者は、医学モデルに基づく枠組みの中で自らの人生を閉ざさざるを得なかったと言えます。
リカバリーは、アメリカにおける脱施設化運動、自律生活運動、IL運動やセルフヘルプ活動など、当事者活動が盛んになった時代背景の中で提唱された、当事者視点に基づく回復の概念です。重要なのは、この概念が従来の専門職主導の精神保健サービスや制度、支援の在り方そのものを変革するものである点です。
リカバリー概念は、1980年代にアメリカで精神障害を体験した人々の手記が発表され、研究者がその主観性や精神性に注目する中で広まったものです。精神障害リハビリテーションの研究者であるウィリアム・アンソン(William Anson)は、回復はその人の態度、価値、感情、目的、事業、役割など、極めて個人的で独自の変化の過程であり、疾患によってもたらされた制約の中でも、希望に満ちた満足感ある人生を生きる道であると述べています。また、回復は精神疾患の破局的な影響を乗り越え、新たな人生の意味と目的を創造するプロセスでもあります。
このように、リカバリーの定義は多様な要素を含み、一人ひとりのプロセスが異なるため一概に定義することはできません。リカバリーとは、客観的な病状や症状で評価されるものではなく、その人自身にとっての意味や価値に根ざした「自分らしい人生の再構築」を意味します。では、打ちのめされるような精神障害の体験からのリカバリーには何が必要なのでしょうか。マーク・レーガン氏は、希望、エンパワーメント(Empowerment)、自己責任、そして生活の中での有意義な役割の4つが必要であると述べています。また、全米のユーザー代表の集まりであるリカバリー・ネットワークでは、リカバリーを構成する要素として、以下の10項目を挙げています。
- 自己決定が前提となる、個別的でその人中心のあり方
- エンパワーメントのプロセス
- 経過は非直線的である
- ストレングス(強み)に注目する
- 仲間の支えが欠かせない
- 尊厳が重要な要素である
- 自分の人生に対する責任を取る
- 希望の存在が最も重要である
- 個々の体験から学び成長する
- 自ら選択し、失敗する権利がある
リカバリーは、行きつ戻りつしながら進むプロセスであり、一直線に進むものではありません。その人が選択し、失敗することもまたその権利であり、そこから学び自分らしく生きるという当たり前のプロセスの中に、リカバリーは存在すると言えるのです。