ーーーー講義録始めーーーー
依存症の基本構造:心理的依存と身体的依存
アルコール依存症を理解するうえで重要なのは、「心理的依存」と「身体的依存」という二つの側面があることです。
1. 心理的依存(Psychological Dependence)
心理的依存とは、アルコールに対する強い渇望(craving)が生じ、それを自分の意思で制御できない状態を指します。具体的には、以下のような症状が現れます。
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朝から晩まで「酒を飲むこと」しか考えられない
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どうすれば他人の目を避けて飲酒できるかを常に考える
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飲酒行動が生活の最優先事項になる
このような状態は、酒を飲みたいという欲求が強迫的になり、自我の統制が効かなくなる点に特徴があります。
古代中国の思想家・**林逋(りんぽ)**の詩句(あるいは、江戸期の言葉遊びとしても伝わる)には、以下のような寓意があります:
一杯は人が酒を飲む、二杯は酒が酒を飲む、三杯は酒が人を飲む。
これは、心理的依存における「酒による支配」の比喩として的確です。自らの意志で飲んでいるつもりが、実は酒に意志を支配されているのです。
2. 否認(Denial)という心理機制
アルコール依存症の顕著な特徴の一つが**否認(denial)**です。これは、以下のような傾向を指します。
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飲酒によって生じている問題を過小評価・無視する
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飲酒の事実そのものを認めようとしない
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「迷惑はかけていない」「自分はまだ大丈夫」などと主張する
否認は、単なる嘘やごまかしではなく、本人が無意識のうちに現実を歪めて認識する心理的防衛機制です。しかし、周囲には「虚偽」として映るため、信頼を損ねる結果となり、人間関係が一層悪化するという悪循環に陥ります。
否認がある限り、本人は飲酒の問題を「自分事」としてとらえることができず、**治療の動機づけ(motivation)**も生じにくくなります。これは依存症治療を難しくする大きな要因です。
3. 身体的依存(Physical Dependence)
身体的依存とは、身体がアルコールの存在を前提とした恒常性(ホメオスタシス)を維持している状態を指します。以下の2つがその指標です:
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**耐性(tolerance)**の形成
同じ量の酒では酔わなくなり、飲酒量が増えていく -
**離脱症状(withdrawal symptoms)**の出現
断酒すると手の震え、不安、発汗、不眠、けいれん、せん妄(アルコール離脱せん妄)などの症状が現れる
このように、酒がなければ身体が正常に機能しない状態に陥っているのが身体的依存です。
まとめ
心理的依存では「酒を求める心」が、身体的依存では「酒に頼る身体」が問題となります。この二つが重なったとき、依存症は最も深刻な局面に入り、否認により本人が治療を拒否することで回復が難しくなります。したがって、依存症の早期段階での気づきと支援介入が極めて重要です。