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覚醒剤依存と脳の記憶回路形成(精神疾患とその治療第10回)#放送大学講義録

ーーーー講義録始めーーーー

 

ところが、ここからが非常に重要で、同時に不思議な点でもあるのですが、覚醒剤を長期間連用していると、やがてまったく異なる現象が出現してきます。
具体的には、大量のメタンフェタミン(methamphetamine)を継続的に使用した場合、およそ3か月ほどで明らかな精神病症状が発現することが知られています。
代表的な症状としては幻聴や被害妄想といった幻覚・妄想状態であり、これらは統合失調症の陽性症状と非常に類似しているため、臨床的に区別が困難である場合があります。私自身も、鑑別診断に悩まされた経験があります。

しかし、覚醒剤の使用を中止させたうえで、入院治療を実施し、抗精神病薬を用いた薬物療法を行うと、多くのケースでおおむね1か月程度で幻覚や妄想などの精神病症状は改善・消失していきます
この意味において、覚醒剤誘発性精神病は治療への反応性が比較的良好であるとも言えます。

ただし、だからといって油断すべきではありません。問題はその後の経過にあります。
一度覚醒剤の使用を中止した人が、数年後に再使用した場合初回使用時よりも少量かつ短期間の使用でも、前回と同様の重篤な精神病症状が再発することがあります。

さらに重要なのは、この症状の再燃(リラプス)は、再使用以外の要因――たとえば飲酒、あるいは強い心理的ストレスといった非特異的刺激によっても引き起こされることが、いくつかの研究により報告されている点です。
再使用の間隔が何年空いていたとしても、この反応の鋭敏さは保持されており再使用後には高確率で精神病症状が再燃するとされています。

なぜこのような現象が起こるのかという点については、以下のように説明されることが多いです。
覚醒剤を慢性的に使用したことにより、脳内に「精神病を生じさせる神経回路(pathological neurocircuit)」が形成され、その回路が半永久的に維持されてしまうと考えられています。

この状態を、ある人は「自転車の乗り方」に例えて説明しました。
自転車に乗るには最初に訓練が必要ですが、一度乗れるようになると、どれだけ時間が空いても乗り方を忘れることはありません。たとえ「忘れよう」としても、脳と身体が学習した運動記憶は保持されており、忘れることができないのです。
覚醒剤による精神病も、**これと同様に「脳が覚えてしまった病理的反応」**と捉えることができるのです。

このように、覚醒剤の有害作用は一時的なものにとどまらず、生涯にわたって精神的影響を及ぼす可能性があるという点は、決して軽視してはなりません。
一時の興味や好奇心による使用が、その後の人生全体に取り返しのつかない影響を与えかねないということを、特に若年層に対して十分に啓発していく必要があるでしょう。