F-nameのブログ

はてなダイアリーから移行し、更に独自ドメイン化しました。

ノールズとの出会い、そしてジェロゴジーへ #放送大学講義録(成人の発達と学習第7回その5)

ーーーー講義録始めーーーー

 

ノールズとの出会い


ところで、成人教育学をアメリカで広めたノールズに関するエピソードを取り上げたく思います。堀先生はノールズと直接お会いになったことがあるとのことですが。

堀先生:はい、そうです。その時のことはよく覚えてます。1984年12月3日に、東京大学教育学部第一会議室でノールズが招聘され、講演会が開かれたんです。私はその講演会に出席し、その場でノールズに質問したんです。

その質問というのが、成人と一言で言いますけれども、高齢者と別に分けて考えた方がいいんではないか、つまり、成人教育学と高齢者教育学という2つがあるんじゃないかといったところ、ノールズは(私の記憶では)ややちょっと感情的になられたんですね。

どうしてでしょうかね。

堀先生:高齢者というのは英語でolder adultsと言います。つまり、高齢者もまた成人だということであり、そこを2つ分けるのではなくて、高齢者も包み込んだアンドラゴジーだということがノールズは言いたかったんだろうと思うんですが、一方で、ルベル(Lebel:二次文献では Jacques Lebel と表記される例もあります)という人は、高齢者には高齢者の学習者特性があり、分けるべきだ、これを高齢者教育学、ジェロゴジー(geragogy)ということにより、教育学はペダゴジー、アンドラゴジー、ジェロゴジーの3つだということを言ったんです。ただ、その内実は単一の形で確定しているというより、提起以後に複数の展開や議論が積み重ねられてきた、**そういう段階だと理解した方がよいでしょう。

その後、発達段階で有名なハヴィガースト(Havighurst)ですね、教育学者・(教育)心理学者のに会うことがありました【注4】。

堀先生は有名な研究者の方々に直接多くお会いになられているのですね。

 

ハヴィガーストとの対話


堀先生:と言いますか、当時はこのような研究者を日本に呼んで講演会を開くということがよくあったんです。それで、ハヴィガーストに直接会った時に同じような質問をしたんです。つまり、成人と高齢者を区別するのはどうなんだということなんですね。つまり、ノールズに質問したことと同じことなんです。すると今度はハヴィガーストは「うん、それは良い考えだ」と即座に言ってくれました。

考えてみるならば、ハヴィガーストという人は、発達段階や発達課題、私たちは人生の節目ごとにそれぞれに学ぶべき課題があるのであるということを提唱した。そして、高齢期を自身の理論の中で明確に区分してるわけです。したがって、その考え方は自然だということになり、ノールズは教育学の過度の細分化を警戒したのかもしれませんが、ハヴィガーストは「いいんじゃないか」といったということですね。

 

ジェロゴジーという考え方


なるほど。しかし、堀先生がノールズにご質問されたように、その後、高齢者教育学、いわゆるジェロゴジーという考えが出てくるわけですね。

堀先生:ジェロゴジーという考え方は、アンドラゴジーへの疑問から提起されたものです。その疑問というのは、20代の青年と例えば70代の高齢者を同じ教育原理で説明していいのか、ということになったわけです。高齢者には高齢者独自の学習者特性があり、この特性は成人前期、中期のものとは異なるのではないかということなんです。

確かにアンドラゴジーは成人をひとくくりにして論じるわけですが、働き盛りの勤労者と定年後の人では学習に対する目的、ニーズ、環境など様々異なるでしょうし、ジェロゴジーでは加齢、つまりエイジング(aging)といった生物学的な変化を考慮する必要もあるでしょう。

 

アンドラゴジーとジェロゴジーの違い


成人期の学習をアンドラゴジーとジェロゴジーの2つに分けた場合、その2つにはどのような違いがありますか。

堀先生:そうですね、面白いことに、ジェロゴジーの原理というのは、ノールズのいうアンドラゴジーの原理よりはむしろペダゴジーの原理に近いように思われます。

例えば、学習者の自己概念に関しては、ノールズは自発性ということを言っていますが、また高齢になってくると依存性が高まってくるということも出てくるわけです。

学習者の経験につきましても、高齢者になれば確かに経験の量は増えます。しかし、それを学習内容に転化する、活用するというところで若干困難が出てくるということもまた事実なんです。

また、アンドラゴジーでは、学習成果の応用の即時性、課題中心のカリキュラムといった点を強調しますが、高齢になってくると社会的役割が減少し、課題から離れた生涯に関わる学習、あるいは評価の定まった学習内容、例えば古典とか芸術とか、そうしたことを学びたいという高齢者が増えてくる。ここにおいて、学校教育、教科中心の学習と近いものになってくるんじゃないかということが考えられてきます。

なるほど。確かに高齢期は発達課題の上で人生の統合ということが重要とされますので、死の問題といった哲学的な問いをめぐる学習が適しているかもしれませんね。

 

ジェロゴジーという言葉の現状


堀先生:そうですね。ただ、留意しておきたいことなんですが、このジェロゴジーという言葉は、分野や文脈によっては一定の使用が見られる一方で、educational gerontology(教育老年学)という枠組みと互換的に用いられることもあるんですね。これはなぜかと言いますと、高齢期の学習を考える時に、高齢期になってからではなく、中年期あるいは前高齢期の時代から徐々に変化として学習を捉えていく方がより現実的ではないかということもあり、今日ではどちらかというと教育老年学(educational gerontology)という形で、変化として捉えるということが多いということ。

そしてまた、じゃあ高齢期の開始年齢はいつなのか、この区切り自体が一律に定まりにくい。今、果たして高齢者を年齢だけで固定していいんだろうか、むしろその時代はまだまだアンドラゴジーの原理が続くんじゃないだろうか、こういうことも考えてくるかと思います。

なるほど。