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再統合と変容的学習の理論的枠組み―第10段階と意味の変容 #放送大学講義録(成人の発達と学習第9回その6)

ーーーー講義録始めーーーー

 

第10段階:生活への再統合
講師:そうですか。さて、メジローの言う10段階の最後の段階になりますが、最後の段階は、自己の新しいものの見方に基づいた条件を土台として、自分の生活へ再統合するというものです。このような変容的段階は桜井さんの場合も当てはまりましたか。
桜井さん:はい。再統合というような形としてはですね、株式会社というようなものを作りまして、この中で発信をしていくというようなことを行いました。私の会社はですね、患者さんが働いてるんですね。がんの経験をもっともっと活かせないかなっていうことで始めたんですけれども、そういうのは本当に、今までの資格もそうですし、勉強もそうですし、海外の知見を学ぶことで、日本の中のがんではなくて、世界の中で見た時にがんはどうなのかとか、他の病気と比べたらがんはどうなのかとかって、そういう、なんか公衆衛生っていうんですかね、公共政策とか、なんかそういうものの目線をいただけて、一番最後に、患者会もそうですけれども、株式会社とか、そういう土台というようなものに繋がっていったのかなと思っています。
講師:なんか、がんの経験が非常に大きな社会的なシステム、さらに社会的な活動に繋がっているんですね。
桜井さん:ね。そうですね。本当に病気をしてなかったら、こんなことっていうのは全くやってなかったと思ってます。はい。

プロセスの時間と形態
講師:さて、メジローの話に戻りますが、メジローはこれらの段階について、しばしば第1段階から第10段階に至る相として整理していますが、実際には直線的に進むわけでもなく、順序通りではない場合もあると思います。また、視点の変容が漸進的に進む場合には、数か月から数年にわたって進行するという整理も見られますし、触媒(トリガー)となるような経験がきっかけになることもあるということです。桜井さんの場合は、がんの告知から現在の活動を行うように思うに至るまで、どのぐらいの時間が必要だったでしょうか。
桜井さん:はい、やっぱり1年ぐらいはちょっと必要だったかなっていう風に思ってます。実際治療もあったのでっていうところもあるんですけど、1年は必要でした。あと、直線的っていうよりは、逆円錐型というような形でした。私の場合は、なんかこ一つのことをきっかけにして、ぐるぐる、ぐるぐると、こう、登りながら、人との関係も含めて広がっていったっていうような形なので、メガホンをこう逆さまにしたような、あんな感じで私は出会えていけたのかなと思っています。
講師:そうですか。おそらく、そのぐるぐると螺旋のように広がっていくということが、やはり発達ということの真髄なのかもしれませんね。
桜井さん:そうですね。

意味体系と意味パースペクティブ
講師:さて、これまで桜井さんの体験、経験から、メジローの言う変容的学習の「経験」「批判的振り返り」「学習による発達」の3つの段階、そしてさらにそれを細かく10段階として見てまいりました。
ここで変容するものは何かというと、自分の内部に有する価値体系やものの見方や価値基準と言われます。メジローによれば、私たちは、第一に、経験を解釈する際の比較的具体的なまとまりとしての意味スキーム(meaning scheme)をもち、そして第二に、それらを方向づけるより広い枠組みとしての意味パースペクティブ(meaning perspective)――つまり前提や期待の枠組み(フレーム・オブ・リファレンス)――を通して、人は自分の経験の意味づけを行うとされています。また、この前提が歪む領域として、認識論的・社会文化的(イデオロギー等)・心的(心理的)な歪曲が論じられることもあります。
ここでの意味の捉え方の中で使われているイデオロギー、学習スタイルはわかりますが、心的(心理的)な歪曲、あるいは歪める自己欺瞞といった言い方は難しい言葉ですね。

心理的自己欺瞞について
桜井さん:とても難しいですね。例えば、医学の世界では患者さんが病気を受容するっていうような言葉をよく使われることがあるんですけれども、患者としては受け入れるというよりは受け入れざるを得ないのが現状だと思うんですね。それをもう前提として生きなければならないので、こういったようなことを意味するんですかね。
講師:この心的(心理的)な歪曲、あるいは歪める自己欺瞞という言い方はメジローの議論や翻訳語ということもあり、とても分かりにくいわけですが、今のお話を伺いますと、病気という事実と患者さんの気持ちというその間にあるギャップ、それをどう埋めるかという時に、人は自分の中で説明を組み立て直して何とか納得しようとする、そういう作業が起こるのではないかと思うんですね。
私の理解としては、こういったところが「心的(心理的)な歪曲」や「歪める自己欺瞞」という言葉と結びついて議論される背景なのだろうと思いますが、ぜひ皆さんも調べて、この言葉の意味ところを考えてほしいと思います。