ーーーー講義録始めーーーー
改訂版「ビジョン2050」が示すシステム変革と、私たちの日常とのつながり
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「ビジョン2050」の初版から10年以上経った2021年3月に、WBCSDは「ビジョン2050」の改訂版である『Vision 2050: Time to Transform(ビジョン2050:大変革の時)』を発表しました。2010年の初版当時とは、世界を取り巻く環境が大きく変わっています。2015年の国連気候変動枠組条約第21回締約国会議、いわゆるCOP21では、先進国・途上国を含む各国が参加する気候変動対策の国際枠組みとして、パリ協定が採択されました。パリ協定は、2015年12月12日に採択され、2016年11月4日に発効した、気候変動に関する法的拘束力のある国際条約です。 これ以降、脱炭素社会の実現は国際社会の共通命題となり、世界各国が政策を打ち出すとともに、企業の投資や技術開発も進み、脱炭素をめぐる競争が強まっています。
また、2015年にはSDGs、すなわち持続可能な開発目標が採択されました。SDGsは、2015年の「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に含まれる17の目標と169のターゲットから成る国際目標であり、貧困、飢餓、健康、教育、ジェンダー、エネルギー、経済、格差、都市、気候変動、海洋、陸域生態系、平和、パートナーシップなどを幅広く扱っています。2030アジェンダは、「誰一人取り残さない」という理念を掲げており、これはSDGs全体を貫く中心的な約束でもあります。
ローマ・クラブが『成長の限界』で警鐘を鳴らしてから50年以上が経過しました。その間に、国際社会はパリ協定やSDGsを採択し、持続可能な社会の構築に向けて共通の方向性を示すようになりました。しかし、合意ができたからといって、問題が解決したわけではありません。むしろ、気候変動、生物多様性の損失、資源の過剰利用、貧困、格差、紛争、健康危機などの課題は複雑に絡み合い、対応の遅れがより大きなリスクを生む段階に入っています。そうした状況の中で、WBCSDは危機を回避するための戦略と具体的な行動の道筋を改めて提言し、世界に向けて行動を呼びかけているのです。とりわけ、重要な役割を期待されている企業に対して、長期的視点を持ち、システム変革をリードすることを強く求めています。WBCSD自身も、この更新版を、企業が今後10年間にとるべき行動の指針となる枠組みとして位置づけています。
改訂版の「ビジョン2050」では、気候(Climate)、自然(Nature)、人(People)という3つを、人類が取り組むべき最も重要なテーマとして挙げています。これは、気候危機、自然の損失、そして不平等の拡大という3つの重大な課題を、持続可能な社会への移行における中心課題として捉える考え方です。持続可能な社会の実現のためには、SDGsが掲げた17に及ぶ目標群がありますが、すべての目標の解決の鍵を握る重要なテーマが、「気候非常事態」「生態系の危機」「貧困や格差の拡大」であるということを、端的に表現しているのです。
この報告書では、あらゆるステークホルダーの連携のもとに、社会を大変革することの必要性を強調しています。現代社会が抱える課題は、原因となる要素が複雑に絡み合っています。したがって、解決策も、部分的な対症療法やパッチワーク的な対応だけでは足りません。根本原因にまで踏み込んだ上で、システム全体を大きく変えることが求められています。例えば、世界が目指す脱炭素社会の実現には、政府の政策はもちろん、企業、投資家、消費者、自治体、市民社会など、すべての主体が参加して、エネルギー、交通、住宅、産業、金融、消費、食料、都市のあり方を含む社会経済システム全体をトランスフォーム(Transform)する、つまり大変革する必要があります。そして、その際には「気候・自然・人」の三要素が不可分に結びついていることを理解しておく必要があります。
ここで言う「システム変革」とは、単に環境に良い商品を少し増やすとか、企業が一部の事業だけを改善するといった話ではありません。エネルギーをどのように作り、使うのか。食料をどのように生産し、流通させ、消費し、廃棄するのか。都市をどのように設計し、人々がどのように移動するのか。金融がどのような事業に資金を流すのか。こうした社会の土台そのものを、気候にとって安全で、自然を回復させ、人々の尊厳ある暮らしを支える方向へ組み替えていくことを意味します。
また、「ビジョン2050」では、大変革の道筋として取り組みが必要な9つの分野を挙げています。WBCSDは、社会に不可欠な企業活動の領域として、エネルギー、交通・モビリティ、生活空間、製品・素材、金融商品・サービス、接続性、健康・ウェルビーイング、水・衛生、食料という9つの変革経路を示しています。 これらは、私たちの日常生活とも深く関わる分野です。電気を使うこと、移動すること、住むこと、物を買うこと、スマートフォンやインターネットを使うこと、食べること、健康を保つこと、水を使うこと、そしてお金を預けたり投資したりすることまでが、持続可能な社会への変革と結びついています。
重要なことは、いずれの分野もバリューチェーン全体で考えること、そして「気候・自然・人」という三要素を常に考えてシステム変革を目指すことです。例えば、この中の1つである「食料」であれば、農業生産から加工、輸送、販売、消費、最終廃棄に至るまでのバリューチェーン全体を対象に考える必要があります。そこでは、温室効果ガス排出、土地利用、水利用、生物多様性への影響、食品ロス、栄養、農業や流通に関わる人々の労働条件や人権など、すべての要素を考慮して、より持続可能で、変化に強く、誰にとっても公正な食料システムへと再構築することが求められます。
また、その際には発想の転換が必要です。従来の仕組みを少しずつ修正するだけではなく、全く新たに、変化に強く、回復力を持ち、危機に耐えられるシステムを作り出すという発想が求められます。ここでいうレジリエンスとは、災害や感染症、気候変動、資源価格の変動、紛争などの衝撃を受けても、社会や生活の基盤が簡単には崩れず、必要に応じて回復し、より良い方向へ変わっていける力のことです。
また、「イネーブラー(Enabler)」と呼ばれる、変革を可能にする推進力も重要です。イノベーションと技術、金融と投資、個人と消費、政策と規制、制度設計、人材育成、データや情報の活用などが、システム変革を前に進める力になります。例えば、脱炭素技術が開発されても、投資が集まらなければ広がりません。政策や制度が整わなければ、公正な競争条件は生まれません。消費者の選択が変わらなければ、企業の事業モデルも十分には変わりません。これらの要素がかけ合わさって初めて、トランスフォーメーション(Transformation)、すなわち大変革が現実のものとなるのです。
この「2050年を見据えた社会変革」と聞くと、ずいぶん先の話のように思えるかもしれません。しかし、実際にはそうではありません。2050年の社会を形づくるエネルギー設備、都市インフラ、住宅、交通網、産業構造、金融の流れ、教育、人材育成は、すでに今の投資や政策、企業行動、生活の選択によってつくられ始めています。だからこそ、「今取り掛からなければ手遅れになってしまう、今こそ大変革の時だ」という意味を込めて、改訂版の副題が「Time to Transform(大変革の時)」となっているのです。WBCSDも、Vision 2050を「2050年までに90億人以上がプラネタリー・バウンダリーの範囲内で豊かに暮らせる世界」を実現するための、企業行動の枠組みとして示しています。
さて、ここまで歴史的経緯を紹介しながら、「持続可能な発展」の概念をどう理解すれば良いかについて述べてきました。持続可能な社会の実現には、まずは基本となる「持続可能な発展」という概念を、このように地球規模のスケール、そして長期的なスパンで考え、理解することが必要なのです。ブルントラント委員会の定義、『成長の限界』の警鐘、SDGs、パリ協定、そしてWBCSDの「ビジョン2050」は、それぞれ時代や立場は異なりますが、共通して、いまの社会のあり方を将来世代の視点から問い直す必要を示しています。
とはいえ、私たち一人ひとりの日々の暮らしと、こうした地球規模の課題との間には、多くの人が実感としては距離を感じることでしょう。気候変動、自然の損失、国際的な格差、企業のシステム変革と言われても、自分の毎日の生活とどう関係しているのか、すぐには見えにくいかもしれません。しかし、私たちの日々の暮らしは、実際には、人・物・金・情報などを通じて、直接・間接に世界と深くつながっています。食べ物、衣服、スマートフォン、電気、交通、住まい、金融、インターネット、そして地域の公共サービスまで、どれも国内外の資源、労働、技術、制度、環境負荷と結びついています。
今後この科目を通じて学びを深めていきますが、私たちが身近な行動を起こすことは可能であり、必要でもあります。たとえば、エネルギーの使い方を見直すこと、食品ロスを減らすこと、長く使えるものを選ぶこと、地域の公共交通や再生可能エネルギーの取り組みに関心を持つこと、企業の環境・人権への取り組みを見て商品やサービスを選ぶこと、投票や地域活動を通じて制度づくりに関わることなど、日常の行動にも多くの接点があります。もちろん、個人の努力だけですべての問題が解決するわけではありません。しかし、個人の行動、企業の行動、自治体や政府の政策、国際的なルールづくりが結びつくことで、社会の方向は変わっていきます。
また、より身近な、自らが暮らす地域の課題を解決する上でも、「持続可能な発展」の考え方は大いに役に立ちます。人口減少、空き家、地域交通、災害への備え、高齢化、子育て、自然環境の保全、地域経済、農業、観光、エネルギーなど、地域の課題もまた、環境・経済・社会が複雑に絡み合っています。課題のスケールは違っても、問題点や解決策には普遍性があり、共通部分が多いのです。だからこそ、地球規模の課題を学ぶことは、遠い世界の話を知ることにとどまりません。自分の暮らし、自分の地域、自分の仕事や学びを見直すための視点にもなるのです。
今回は、最も基本となる概念である「持続可能な社会」や「持続可能な発展」とは何かについて学んできました。持続可能な発展とは、単に環境にやさしいことだけではなく、将来世代への責任、現在世代の中の公平、環境・経済・社会の統合、そして私たちの日常の選択までを含む考え方です。次回以降も、様々な角度からさらに学びを深めていきたいと思います。
図表:Vision 2050が示す「気候・自然・人」と9つの変革経路
| 視点 | 内容 | 講義で押さえたい意味 |
|---|---|---|
| 気候 | 気候危機、脱炭素、温室効果ガス削減 | エネルギー・交通・産業・都市の仕組みを変える必要がある |
| 自然 | 生物多様性、土地利用、水、資源循環 | 自然を単に守るだけでなく、回復させる方向が求められる |
| 人 | 貧困、格差、人権、健康、ウェルビーイング | 誰の生活が守られ、誰が取り残されているかを問う |
| 9つの変革経路 | エネルギー、交通・モビリティ、生活空間、製品・素材、金融商品・サービス、接続性、健康・ウェルビーイング、水・衛生、食料 | 企業活動と日常生活の主要分野を、システム全体として変える |
| イネーブラー | イノベーション、投資、消費、政策・制度、人材、情報 | 変革を現実に進めるための推進力 |
| 私たちの日常 | 食、移動、住まい、買い物、エネルギー、金融、地域参加 | 地球規模の課題は、生活の選択や地域課題とつながっている |
