ーーーー講義録始めーーーー
パリ協定と世界の気候変動目標
——SBTイニシアティブとグレタ・トゥーンベリが示す未来
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【パリ協定の成立と合意の要点】
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さて、ここから気候変動をめぐる世界の目標と、その進捗状況を見ていきましょう。2015年、フランスのパリで開催されたCOP21、すなわち第21回気候変動枠組条約締約国会議において、パリ協定(Paris Agreement)が採択されました。長年の交渉の結果、先進国・途上国を問わず、ほぼすべての国が参加する法的拘束力を持った国際的枠組みが、ようやく合意されたのです。
ただし、ここでいう法的拘束力には注意が必要です。パリ協定そのものは国際条約であり、各国にはNDCを作成し、提出し、維持すること、実施状況を報告することなどの義務があります。しかし、各国が掲げる削減目標の数値そのものを、国際法上の罰則によって強制する仕組みではありません。パリ協定は、参加国を広げるために、各国が自ら目標を設定する方式を採用し、そのうえで透明性、報告、レビュー、5年ごとの見直しによって、世界全体の対策を引き上げていく仕組みになっています。
その合意の要点は次の通りです。
(1)産業革命前と比べた世界平均気温の上昇を2°Cを十分下回る水準に抑え、さらに1.5°Cに抑える努力を追求すること。
(2)すべての国が温室効果ガス削減目標であるNDC(Nationally Determined Contribution、国が決定する貢献)を提出し、5年ごとに提出・更新すること。更新の際には、前回よりも前進した内容とし、その国の事情を踏まえた可能な限り高い野心を反映することが求められています。
(3)すべての国が、温室効果ガス排出量やNDCの実施状況を報告し、透明性枠組みのもとで技術的な専門家レビューや多国間の検討を受けること。
(4)気候変動の影響に対処する「適応」についても、世界全体の長期目標を設定し、各国が適応計画や適応行動を進め、その情報を共有していくこと。
(5)技術開発・技術移転、能力構築、イノベーションが重要であり、脱炭素化と気候変動への適応を進めるために国際協力を強化すること。
(6)5年ごとに世界全体としての実施状況を確認するGlobal Stocktake、すなわちグローバル・ストックテイクを行い、その結果を各国の次の行動やNDCの引き上げに反映していくこと。
(7)先進国が途上国に対して資金を提供し続けること。また、その他の国も自主的に資金を提供することが奨励されていること。
(8)パリ協定第6条に基づく協力的アプローチや市場メカニズムを活用し、国境を越えた排出削減協力を進めること。日本が進めてきた二国間クレジット制度(JCM:Joint Crediting Mechanism)も、こうした国際的な協力の一形態として位置づけることができます。ただし、パリ協定がJCMだけを特別に定めているわけではありません。また、削減効果を単純に「2か国で分け合う」というより、国際的に移転される削減量について、二重計上を避けるための会計ルールに従って扱うことが重要になります。
長い間、先進国の歴史的な温暖化責任や途上国支援のあり方などをめぐり、先進国と途上国の対立から、国際交渉は難航してきました。1997年に京都で開催されたCOP3で採択された京都議定書は、法的拘束力のある削減義務を主に先進国に課すものでした。しかし、当時最大の排出国であった米国は批准せず、カナダも後に離脱しました。また、中国やインドなどの新興国には京都議定書の第一約束期間に数値削減義務が課されていなかったため、世界全体の排出削減枠組みとしては限界もありました。
また、2009年にデンマークのコペンハーゲンで開かれたCOP15では、新たな包括的なグローバル合意に向けて世界が大きな期待を寄せました。しかし、先進国・途上国間の対立や交渉の難航により、法的拘束力を持つ包括的な新合意には至りませんでした。最終的にはCopenhagen Accordが政治的合意として留意されるにとどまり、多くの人々にとって不十分な結果と受け止められました。
これに対して2015年のパリ協定では、先進国・途上国を問わず、ほぼすべての国が共通の長期目標に合意しました。そして、その共通目標に向けて、各国が自国の事情と能力に応じたNDCを提出し、実施状況を報告し、国際的な透明性のもとで確認を受け、さらに5年ごとにより前進した内容へ更新していくことが合意されました。目標を各国の能力に応じた自主的な貢献とすることによって協定への参加のハードルを下げ、全員参加に近い枠組みを実現したのです。
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【目標と現実のギャップ——残された時間は少ない】
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しかし問題は、世界全体で達成を目指すべき1.5°Cという目標レベルと、現時点で各国が提出している削減目標や実際の政策との間に、大きなギャップがあることです。このギャップは、しばしば「排出ギャップ(Emissions Gap)」と呼ばれます。

ご覧のように、世界が目指している1.5°C目標と、各国の現在の目標や政策の延長線上にある排出量との間には、大きな差があります。2021年時点のUNEP Emissions Gap Reportなどでは、各国の2030年NDC目標レベルに基づいた将来予測と、1.5°C目標達成に必要な削減レベルとの間に、20ギガトン台の非常に大きなギャップがあると示されていました。講義録で用いられていた「23〜27ギガトン」という数値は、当時の排出ギャップを説明する文脈では概ね妥当です。
ただし、こうした数値は、NDCの更新、政策の進展、各報告書の方法論によって変わります。最新のUNEP Emissions Gap Report 2025では、NDCが完全に実施された場合でも、今世紀中の温暖化は2.3〜2.5°C程度、現行政策ベースでは2.8°C程度と見込まれています。つまり、以前より予測値はやや下がった面もありますが、それでも1.5°C目標には明らかに届いていません。重要なのは、世界が少しずつ前進しているとしても、必要なスピードと規模にはまだ大きく足りないという点です。
確かに2050年に向けては、日本も含めて多くの国が長期的なカーボンニュートラル、つまり温室効果ガスの排出量から森林吸収や除去量などを差し引いて、実質的にゼロにする目標を掲げています。2020年代前半には、120か国以上がネットゼロ目標を表明しているとされ、その後も表明国は増えてきました。しかし問題は、長期目標を掲げるだけでは不十分だということです。2050年に実質ゼロを目指すのであれば、2030年までの削減が決定的に重要になります。
IPCCの1.5°C特別報告書によれば、1.5°C目標を達成する代表的な経路では、世界全体の人為起源CO₂排出量を2030年までに2010年比で約45%削減し、2050年前後に実質ゼロにする必要があります。温室効果ガス全体についても大幅な削減が必要ですが、ここでよく引用される「45%削減」は、厳密には世界全体のCO₂排出量についての数字です。したがって、各国は長期のネットゼロ目標だけでなく、2030年までの短期・中期の削減目標を大幅に引き上げ、それを実際の政策と投資で実現していくことが求められます。冒頭でご紹介したGlobal Risks Reportで「気候変動対策の失敗」が最も深刻なリスクとして位置づけられたことの意味を、ここで改めて考える必要があります。
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【科学的知見に基づく行動——IPCCとSBTイニシアティブ】
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このギャップを埋めるために必要なことはいくつもあります。まず重要なことは、科学的知見に基づいて行動することです。2018年に発表されたIPCC「1.5°C特別報告書」によれば、2°Cと1.5°Cという気温上昇の0.5°Cの違いで、影響の度合いは大きく異なります。例えば、極端な高温、強い降水、干ばつ、生態系への影響、サンゴ礁、海面上昇、食料安全保障、人間の健康など、多くの分野でリスクが変わります。わずか0.5°Cの違いでも、社会と自然にとっては非常に大きな違いになるのです。
そして1.5°Cの上昇に抑えるためには、エネルギー、土地、都市、交通、インフラ、産業システムなどにおいて、急速かつ広範囲な、かつてない規模の移行が必要であると報告書は述べています。そのためには、再生可能エネルギー、省エネルギー、電化、産業プロセスの転換、森林・土地利用の改善、都市設計、交通システム、金融の流れの転換など、社会経済システム全体にわたる取り組みが求められます。また、国に加えて、地方自治体、市民社会、企業、投資家などの非国家主体の役割も重要であり、それらの主体が気候変動対策を取る能力を高めることが必要だとされています。
重要なことは、国も非国家主体も、自らの戦略策定や目標設定を、科学的知見に基づいて行うことです。そして、すでにそうした動きが企業の間で広がりつつあります。それが、企業の温室効果ガス削減目標を科学的知見に基づいて設定することを推進するSBT、すなわちScience Based Targetsという考え方であり、それを検証・認定する代表的な枠組みがSBTi、Science Based Targets initiativeです。
SBTiは、CDP、United Nations Global Compact、World Resources Institute、WWFなどによって始まった取り組みで、企業や金融機関がパリ協定の目標、特に1.5°C目標と整合する排出削減目標を設定することを支援し、その目標を検証します。SBTiの審査を経て目標が妥当と認定されると、その企業は科学的知見に基づいた削減目標を設定していると示すことができます。ただし、これは「お墨付き」を得ればそれで終わりというものではありません。重要なのは、認定された目標を実際の事業戦略、設備投資、サプライチェーン管理、製品設計、エネルギー調達、情報開示の中に落とし込み、着実に削減を進めることです。
国内外の多くの企業が、責任ある行動を取ろうとして、SBTiへの申請や目標認定を進めてきました。2026年1月には、SBTiが検証済みの科学的根拠に基づく目標を持つ企業が世界で10,000社に達したと発表されています。これは、企業の気候変動対策が、単なる社会貢献やイメージ戦略ではなく、事業の中核に関わる課題になってきたことを示しています。同時に、SBTiをめぐっては、Scope 3排出、カーボンクレジットの扱い、金融機関の目標設定、実施状況の検証など、難しい論点もあります。したがって、SBTiは万能の解決策ではありませんが、科学的知見に基づく企業行動を広げるうえで、非常に重要な役割を果たしていると言えるでしょう。
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【若い世代の声——グレタ・トゥーンベリと世界の若者たち】
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ギャップを埋めるための力となるもう一つの要素は、若い世代の声でしょう。2018年、当時15歳だったスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんは、こうした状況に危機感を抱き、1人で学校ストライキを始めました。2018年8月20日、彼女はストックホルムのスウェーデン議会前に座り込み、「Skolstrejk för klimatet」、つまり「気候のための学校ストライキ」と書かれたプラカードを掲げました。最初は、同年9月のスウェーデン総選挙までの約3週間、授業のある日に議会前で抗議を続けました。その後、毎週金曜日にストライキを続けるようになり、それがFridays for Futureという世界的な運動へと広がっていきました。
この抗議行動は、SNSを通じてまたたく間に世界中に広がりました。翌2019年9月、国連気候行動サミットに合わせて世界各地で行われたグローバル気候ストライキには、主催者発表で400万人以上が参加したとされています。これは、気候変動をめぐる市民行動の歴史の中でも非常に大きな出来事でした。国連、欧州議会、世界経済フォーラムなどのさまざまな会議の場で、グレタさんが強い口調で行動を促したスピーチは、多くの人々に影響を与えました。
セヴァン・スズキさんとグレタ・トゥーンベリさん——大人に対して責任ある行動を求める2人の訴えには、時を越えて共通点が多くあります。どちらも、未来世代の立場から、大人たちに対して「知っているのなら行動してください」と迫りました。しかし時代の違いもあります。セヴァン・スズキさんのスピーチは、1992年のリオ地球サミットという国際会議の場で大きな反響を呼びました。一方、グレタさんの行動はSNSを通じてたちまち広がり、世界中の若者が連帯して、街頭で実際に行動を起こしました。
脱炭素社会は、私たちにとっても必達目標です。しかしそれは、人類がこれまで経験したことのない短期間での社会経済システムの大変革なしには実現できません。エネルギーを変えること、産業を変えること、都市を変えること、移動を変えること、消費のあり方を変えること、金融の流れを変えること。これらはどれも簡単なことではありません。その困難を乗り越える勇気と大きな力を与えてくれるのが、こうした若い世代の声と行動だと思います。私たちはその力を過小評価すべきではないでしょう。
