ーーーー講義録始めーーーー
格差の拡大とSDGsの視点
今回は、社会の持続可能性について、すなわち持続可能な発展のもう一つの中心課題である貧困、格差、人権などの社会的側面についてお話ししていきます。持続可能性というと、どうしても気候変動やエネルギー、生物多様性といった環境面がまず思い浮かびます。しかし、社会の内部で人々が極端に分断され、生活の基盤や教育、医療、政治参加の機会が一部の人々に偏ってしまえば、その社会は長く安定して続いていくことができません。つまり、格差の問題は、単なる所得や資産の差の問題ではなく、社会そのものの持続可能性を左右する問題なのです。
■ 富の集中と格差拡大の現実
社会の持続可能性に関して、近年、世界中で懸念が増大している問題に、格差の拡大があります。富の集中と格差の拡大が進んでいることは、国際機関や国際NGOの報告でも繰り返し指摘されています。
国際NGOのOxfamは、2016年1月、世界で最も富める62人が所有する資産は、世界人口の貧しい方から下半分にあたる約36億人が保有する資産と同じ規模であると発表しました。この「62人」という数字は、富の集中を象徴的に示すものとして、世界的に大きな注目を集めました。Oxfamの説明では、この人数は5年前の388人から62人へと減少しており、世界の富がごく少数の人々に集中していく傾向を示すものとされました。
この推移を、講義用にわかりやすく整理すると、次のようになります。
2010年頃:388人
2012年頃:159人
2015年頃:80人
2016年:62人
さらに、2019年にOxfamが公表した報告では、2018年時点の推計として、世界の最富裕層26人が、世界人口の貧しい方から下半分にあたる約38億人と同程度の資産を保有していると報じられました。ここで大切なのは、「何人」という数字そのものを絶対視することではありません。富の評価額は株価や為替、統計の取り方によって変動しますし、Oxfamの推計方法にも議論はあります。しかし、それでもこの数字が示している問題意識、すなわち、世界の富がきわめて少数の人々に集中し、多くの人々が十分な資産や生活保障を持たないまま取り残されているという構造は、持続可能な社会を考えるうえで避けて通れません。
例えて言うならば、以前は大型旅客機1機分ほどの人数が、世界人口の貧しい半分と同程度の富を保有していると説明されていたものが、やがてマイクロバス1台分ほどの人数にまで縮小していった、ということです。この比喩は、富の集中がどれほど極端なものとして語られてきたかを直感的に理解するためのものです。もちろん、実際の格差は単純な比喩だけで捉えられるものではありません。資産格差、所得格差、教育格差、医療格差、地域格差、ジェンダー格差、世代間格差などが複雑に重なり合って、現実の不平等を形づくっています。
■ SDGsにおける格差問題の位置づけ
SDGsにおいても、格差の問題は明確に取り上げられています。目標10は「各国内及び各国間の不平等を是正する」です。英語では、Goal 10: Reduce inequality within and among countries と表現されます。ここで重要なのは、「国内の不平等」と「国家間の不平等」の両方が対象とされていることです。つまり、ある国の中で富裕層と低所得層の差が広がる問題だけでなく、豊かな国と貧しい国との間にある経済力、医療、教育、技術、発言力の格差も、同時に問われているのです。
目標10のターゲットには、たとえば次のような内容が含まれています。各国の所得下位40%の人々の所得成長率を国内平均より高く保つこと、年齢、性別、障害、人種、民族、出自、宗教、経済的地位などにかかわらず、すべての人々の社会的・経済的・政治的な包摂を促進すること、差別的な法律や政策、慣行を撤廃すること、税制、賃金、社会保障政策などを通じて平等の拡大を進めること、世界金融市場と金融機関への規制とモニタリングを改善すること、国際経済・金融制度における開発途上国の発言力を高めること、そしてODAなどを通じて開発途上国への支援を進めることです。さらに、移住や送金コストに関するターゲットも含まれています。これは、格差問題が国内政策だけでなく、国際的な制度設計や人の移動、金融の仕組みとも深く結びついているからです。
MDGs、すなわち Millennium Development Goals は、2015年を期限とする8つの国際目標であり、極度の貧困と飢餓の撲滅、初等教育の完全普及、ジェンダー平等、乳幼児死亡率の削減、妊産婦の健康改善、HIV/AIDS・マラリアなどの疾病対策、環境の持続可能性、開発のためのグローバル・パートナーシップなどを掲げていました。MDGsは非常に重要な成果を上げましたが、基本的には途上国における開発課題を中心に組み立てられていました。
それに対してSDGsは、MDGsを継承しながらも、対象を途上国だけに限定しません。先進国を含むすべての国が取り組むべき目標として設計されています。この点が、SDGsの大きな特徴です。貧困、教育、保健、ジェンダーの課題に加えて、格差、雇用、都市、消費と生産、気候変動、平和と制度といった幅広い領域が含まれています。したがって、SDGsにおける格差問題は、単に「貧しい国を支援する」という話ではありません。日本を含む先進国の中にも存在する所得格差、教育機会の差、非正規雇用、地域間格差、子どもの貧困、高齢者の孤立、障害のある人々や外国にルーツを持つ人々への差別なども、同じ枠組みの中で考える必要があります。
■ 格差問題は構造的な課題
さらに、格差の問題は、富の偏在だけではありません。新型コロナウイルス感染症の流行は、このことを非常にわかりやすい形で示しました。パンデミックの初期から中期にかけて、世界ではワクチンの確保と配分をめぐって大きな格差が生じました。高所得国がワクチンを早期に大量確保する一方で、低所得国では接種が遅れ、医療体制も脆弱なまま、多くの人々がより大きなリスクにさらされました。これは、単なる医療技術の問題ではなく、国際的な購買力、製薬企業との契約力、物流、医療インフラ、国際協力の仕組みが不平等に作用した結果でもあります。
UNDPは、低所得国が高所得国と同じワクチン接種率を実現できていれば、2021年のGDP予測が大きく押し上げられた可能性があると指摘しました。ここからわかるのは、ワクチン格差は命と健康の問題であると同時に、経済回復の格差でもあったということです。感染症は国境を越えて広がりますが、それに対処する能力は国や地域によって大きく異なります。その差が、既存の格差をさらに拡大してしまうのです。
格差問題は構造的なものであり、小手先の対策だけでは解決できません。もちろん、緊急時の給付金、食料支援、医療支援、教育支援などは必要です。しかし、それだけでは不十分です。なぜ格差が生まれるのか、なぜ一度不利な立場に置かれた人がそこから抜け出しにくいのか、なぜ豊かな人ほどさらに豊かになり、脆弱な人ほど危機の影響を強く受けるのか。そこまで踏み込んで考える必要があります。
そのためには、税制、社会保障、教育、雇用、医療、住宅、地域政策、金融制度、国際貿易、企業活動、人権保障などを横断的に見直していく必要があります。長期と短期、グローバルとローカル、政府と民間、制度改革と市民の実践、そのすべてを組み合わせなければなりません。SDGsの視点から見れば、格差の是正とは、単に「困っている人を助ける」ことにとどまりません。誰もが社会の一員として尊重され、教育や医療や仕事にアクセスでき、政治や地域社会の意思決定に参加できるようにすることです。それは、社会の安定と信頼を支える土台でもあります。
持続可能な社会とは、環境にやさしい社会であるだけではありません。人が人として扱われ、弱い立場に置かれた人々が危機のたびに切り捨てられない社会でもあります。格差が大きくなりすぎると、人々の間の信頼は損なわれ、政治的な分断も深まり、社会全体の回復力が弱まっていきます。だからこそ、SDGsは目標10として不平等の是正を掲げています。格差を減らすことは、貧困対策であり、人権保障であり、経済政策であり、そして持続可能な社会をつくるための根本条件なのです。
